1832年(天保3年)~1863年(文久3年)7月11日
愛刀:奥和泉守忠重
概要
幕末の志士の一人。同時代の京都にて多数の暗殺を行い、「四大人斬り」の一人として都を震撼させた。しかし、その生涯は謎が多いため西郷隆盛の腹心として知られる中村半次郎、冷酷無慈悲であり色んなゲームに登場している岡田以蔵、どこぞのござるござるござる言ってる流浪人のモデルになった河上彦斎などに比べると確かに知名度は劣る。しかし、この中で岡田以蔵と並ぶほど多くの要人を襲撃し、しかもそのほとんどが成功していたことから実力は確かである。良くも悪くも時代を動かした人間の一人であることは間違いない。
生涯
1832年に薩摩藩(鹿児島県)の船頭(もしくは薬屋)の家で生まれる。新兵衛は幼少期から武芸に励み、剣術のプロフェッショナルであった。流派は不明であり諸説あるが、薩摩おなじみ示現流の流れをくむものを体得したのではないかと考えられている。
1862年の5、6月頃に上京。しばらくは先に上京していた薩摩の浪士に世話になる。6月に同士6人と共に島田左近の暗殺を計画する。左近は、時の大老・井伊直弼の右腕である長野主膳に協力をし、安政の大獄で多くの尊王攘夷の志士を弾圧していた。これに加えて左近は幕府から1万両を越える賄賂を受け取り、「今太閤」と呼ばれるほどの権力を持ち、京都で横暴をふるっていたため、志士はおろか民衆からも反感を買っていた。そんなこんなで左近を襲撃するのだが結果は失敗。しかし新兵衛の執念は凄まじく、1ヶ月近くも追い回したうえ7月21日に鴨川の河原まで追い詰めた挙句に斬殺し、左近を晒し首にした。
8月には土佐勤皇党党首である武市半平太と義兄弟となり、以降は尊王攘夷の志士として岡田以蔵などの土佐の浪士と共に活動する。その後は人斬りとして藩や土佐勤皇党から命令された標的を愛刀、奥和泉守忠重で次々と暗殺していった。命令されれば、それは自分の敵だろうが同士だろうが容赦なく斬っていき、殺害人数の多さや悪名の高さからいつしか新兵衛は「人斬り新兵衛」と呼ばれるようになる。
朔平門外の変
1863年(文久3年)7月4日、過激派攘夷論者である公卿の姉小路公知(あねがこうじきんとも)が京都御所、朔平門付近で刺客3人に襲撃されるという事件が発生(朔平門外の変)。公知は扇子で応戦したり、敵の刀を奪ったりと奮闘したが顔と胸に重傷を負う。そして翌日に自分の屋敷で死亡してしまった。事件現場には1本の刀と下駄が残されており、その刀こそが新兵衛の愛刀であった奥和泉守忠重であった。
当然新兵衛は捕らえられ、尋問を受けることとなる。しかし何を聞いても終始新兵衛は沈黙を貫き通しており、事件の詳細は分からないままだった。そして捕らえられて6日目の7月11日、取り調べに当たっていた町奉行・永井尚志の隙を見て脇差で切腹をし、頸動脈を突いて自殺した。享年30(31)歳。
謎の理由
ここまで謎が残る理由は、新兵衛が何も話さずに死んでいったため供述を得られなかったことにある。新兵衛が本当に公知を殺害したのかも不明であり、新兵衛が暗殺実行犯であるとする主張とそれを否定する主張のどちらも存在する。
■新兵衛が実行犯であるとする根拠
- 現場に新兵衛の愛刀が落ちていた。
- 残されていた下駄は薩摩下駄という薩摩で作られる下駄だった。
- 公知はこの事件より前に勝海舟と坂本龍馬に会い、開国派になりつつあった
- 目撃者の証言で、犯人が受けた傷と新兵衛の傷の位置が一致していた
■新兵衛は実行犯でないとする根拠
- 新兵衛は高確率でその場にて対象を殺害しているが、この事件では公知は屋敷まで逃げている。
- 新兵衛がやったとすれば、あまりにも殺害の手際が悪すぎる。
- 公知と半平太の関係は良好で暗殺する動機に欠ける。
■実際のところ
しかし近年では、やはり新兵衛が朔平門外の変の犯人であるという説が有力である。このころの新兵衛はノイローゼ気味であったといわれており、勤皇党からも薩摩藩からも命令されたわけでなく、単独での犯行と推測されている。
余談
一説によるとこの事件で公知が殺されたことが後の大事件、八月十八日の政変に繋がっていったそうである。また公知は国の富国強兵政策にも関心が高く、産業の近代化に務めていた。勝は公知が死んだことを聞いたときに「国家の大禍」と悲しんだという。もし新兵衛がこれほどの大人物を暗殺していたのであれば、新兵衛は日本の歴史を動かしていた可能性も出てくる。
取り調べ中に目の前で新兵衛の自決を許してしまった永井尚志は、この失態を咎められ閉門処分となったが、後述する映画「人斬り」で新兵衛を演じたのは、彼の子孫に当たる三島由紀夫であった。(三島からみて永井尚志は養高祖父)
登場作品
映画
『人斬り』(1969年)
演:三島由紀夫
薩摩藩の有名な人斬り剣士。「人斬り新兵衛」と呼ばれて、京洛の人気を以蔵と二分する示現流剣法の使い手。武市の陰謀により姉小路卿暗殺の嫌疑をかけられ、自分の剣を見せられ切腹死する。
余談だが演者の三島はこの翌年、実際に割腹自殺をした。(三島事件)
ゲーム
『Fate/GrandOrder』
「昭和キ神計画ぐだぐだ龍馬危機一髪!」」に登場するアサシンのサーヴァント。
『Rise of the Ronin』
CV:喜多田悠
サブクエストで登場。長身で腕が長いなど人外じみた見た目をしている。
薩摩藩士で、倒幕派の暗殺者。同志達の言葉は一切疑わず、指示された人物を斬り続ける。そこに善悪の迷いはなく、相手の命乞いや弁明にも一切耳を貸さない。
西洋かぶれの福沢諭吉や幕府側に寝返ったアーネスト・サトウを殺そうとしていた。
元々は政治的な信条もあったが、暗殺を繰り返す中で自らの頭で考えることをやめた。