五代秀堯
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ごだいひでたか
五代秀堯は、幕末の薩摩藩士で儒官。当時の藩主・島津斉興の側近で、実業家・五代友厚の父。「五代秀尭」とも。
幕末における武士で、薩摩藩の藩士。「秀尭」とも書き、通称は「直左衛門」。当時の薩摩藩主である島津斉興の重臣で彼の側近であった人物。明治以降に実業家として活躍した五代友厚の父である。
御記録奉行で多くの文書を執筆・編纂しており、橋口兼古・橋口兼柄と共に薩摩国・大隅国・日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した『三国名勝図会』や、西洋諸国から軍事的圧力で開国を迫られている琉球をどう守り問題を処理するかを記した『琉球秘策』などがある。
特に『琉球秘策』は、“開国した場合は富国強兵や殖産興業を推進して西洋列強に屈しない国力を備える”という内容が記されており、明治維新後における明治政府の基本方針の原点となっている。
また、よく耳にされる「琉球処分」というのは、秀堯の執筆したこの『琉球秘策』の「琉球ノ処分ハ…」という始まりの文言から生み出された造語であり、これが原因で戦後に多くの誤解が生じている。
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