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封建時代の地方政権を指す名称。とくに江戸時代の日本の藩が有名。
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封建制度(あるいはそれに類似した制度)をとる国家において諸侯が治める領地のこと。語源は中国古代の王朝といわれる。


日本の藩編集

歴史的用語として江戸時代から明治初期において1万石以上の領地を支配する封建領主=大名が治めていた自治領的な区域及びその支配機構を指して用いる。藩という呼称が公的に用いられたのは明治初頭の版籍奉還から廃藩置県(琉球藩のみ1879年の「琉球処分」まで)までのごく短期間のみ。


江戸時代においては、「藩」という概念自体がなかったことに注意。当時の呼び名は、大名とその家臣団は「○○家中」、大名領は「○○領」というように通常家名で呼ばれていたらしい。


藩とはあくまで大名(地位の高い武士)が領有する領地のことであり、律令国都道府県のような行政区分とは基本的に異なる。例えば飛び地がたくさんあったり、国替えが行われた場合、藩主の地位に応じて藩の領地が変更されたり、藩主の不祥事によって藩そのものがなくなったりするなど、単なる地理的な区分としては扱えない。


支藩という概念もあり、藩同士に従属関係が存在する点も律令国や現在の自治体などと大きく異なる。あくまでも武士の財源を表しているだけなので、支藩ははっきりした領地が決まっていない場合もある。「支藩の支藩」も存在する。


どの藩にも属していない土地もある。旗本(将軍直属の武士)の領地や幕府直轄地(天領)、寺社領などがある。旗本領として有名なのは吉良上野介でおなじみの三河国吉良などがある。石高ベースでいうと、日本全国総石高の70%前後、約1800万石が藩領であった。


藩主は領地と江戸を数年おきに移動していた。これを参勤交代という。すべての藩主が行っていたわけではなく、江戸に常駐して領地に行かない藩主もいた。主に具体的領地のない支藩などは行っていない。水戸藩も例外的に江戸に常駐していた。幕府の権力を維持するため、藩主の家族は人質として江戸に住んでいた。人質といっても現代でイメージされるものとは違い、脅されたり迫害されたりすることもなく普通に暮らしていた。各藩は江戸に屋敷を持ち、大坂には経済活動のため、京は朝廷との関係で屋敷を持っている藩もあった。


比較的中央集権が進んだと言われる江戸時代であるが、藩はほぼ独立国に近い仕組みであった。藩の中では法の制定も、行政も、裁判も、全て藩主の権限である。原則として、幕府が口出ししたり幕府に判断を仰ぐようなことはなかった。これは将軍のお膝元である江戸でも、将軍から大名に与えられた屋敷の中は藩主が全てを取り仕切り、江戸町奉行所などが介入することは出来なかった。


ただしこれら大名を統制する手段として、武家諸法度という幕府の法律が定められていた。武家諸法度に反する行いがあった藩主は、特に江戸時代初期は全領地を奪われる改易という処分になることが珍しくない。また藩主を監視する大目付という幕府の高官が置かれて、藩主による叛乱などに備えていた。


石高とは編集

藩の生産力を表す石(こく)という単位がある。1人が1年間に食べる米の量を1石としていた。例えば10万石の藩は、10万人が1年間に食べる量の米を生産できるということになる。メートル法で言うと1石は約150kgで180リットルとなる。薩摩のように火山があるせいで土地が米を生産するのに適していなかったり、中国地方や四国地方のように平地が少なく水田を作るのが難しかったりするため面積とは比例しない。もちろん豊作や凶作があり、開墾で農地が増えたり災害で農地がつぶれたりすることもあるので実質的な石高は時代によって大きく異なる。しかし長い江戸時代の間に石高の見直しはほとんど行われておらず、名目上の石高と実際の石高には大きな差異があった。廃藩置県の頃の実質的な石高は、開墾や技術の発達により江戸初期よりかなり増えている。石高の見直しを行わなかったのは、石高が増えると幕府内での負担が増えるなどの理由による。一方で実際よりも高い石高を設定している藩もあったが、面子を保つ以外にメリットは少ない。

江戸時代は税を金銭ではなく米で徴収するのが基本だったため、石高は藩の生産力と同じような意味で扱われた。貨幣価値とは別に米価が変動するので、武士は米価に踊らされることが少なくなかった。

江戸時代初期こそ米は重要な収入源のひとつであったが、平和な時代になっていくにしたがい農業技術の向上に米の収穫量が上がって値崩れを起こしたり、災害による凶作で高騰したりするなど、参勤交代や幕命による土木工事も相まって各藩は財源の確保、藩財政の運営に苦労している。

そのため、米の収穫量だけで藩財政を賄うことは不可能に近く、各藩ともそれぞれの土地に見合った和紙や織物、陶磁器の生産に力を入れ、収入の確保に力を入れることとなった。


主な藩編集

現在では藩の名前は基本的に都市名が使われている。広い範囲を領有している藩は都市名と広域地名の2種類の呼称が存在し、一般的には広域地名で呼ばれることが多い。同名回避のために旧国名や広域地名を冠することもある。ただしこれらに厳密なルールがあるわけではないので、同じ藩でも人によって呼び方が異なることも少なくない。「伊達藩」「南部藩」などのように藩主から名前をとることもあるが、藩主の家が変わった場合はこの方法が使えないため使用される例はごく一部にとどまる。既存の藩から分立した支藩には「○○新田藩」という名前がつけられることがよくある。

※この一覧は大政奉還の頃のものです。それまでに消滅した藩や明治時代に生まれた藩は含んでいません。旧国名は藩庁の位置による区分です。複数の国にまたがっている藩もあります。

リンクのない藩は支藩です。


蝦夷地 松前藩

陸奥国 弘前藩(津軽藩) 黒石藩 七戸藩 八戸藩 盛岡藩 一関藩 仙台藩 棚倉藩 相馬中村藩 三春藩 磐城平藩 守山藩 泉藩 湯長谷藩 福島藩 二本松藩 会津藩

出羽国 久保田藩 岩崎藩 亀田藩 本荘藩 出羽松山藩 矢島藩 米沢藩 鶴岡藩 新庄藩 山形藩 上山藩 天童藩 長瀞藩 米沢新田藩

常陸国 水戸藩 土浦藩 笠間藩 松岡藩 常陸府中藩 下館藩 谷田部藩 下妻藩 宍戸藩 麻生藩 牛久藩

下野国 宇都宮藩 烏山藩 壬生藩 高徳藩 黒羽藩 佐野藩 大田原藩 足利藩 吹上藩 喜連川藩

上野国 前橋藩 館林藩 高崎藩 沼田藩 安中藩 伊勢崎藩 小幡藩 吉井藩 七日市藩

下総国 佐倉藩 古河藩 関宿藩 結城藩 多古藩 生実藩 高岡藩 小見川藩

上総国 久留里藩 大多喜藩 飯野藩 佐貫藩 鶴牧藩 一宮藩 請西藩

安房国 安房勝山藩 館山藩

武蔵国 忍藩 川越藩 岩槻藩 岡部藩 六浦藩

相模国 小田原藩 荻野山中藩

佐渡国 なし

越後国 新発田藩 長岡藩 村上藩 村松藩 与板藩 三根山藩 黒川藩 三日市藩 椎谷藩 高田藩 糸魚川藩

信濃国 松代藩 松本藩 上田藩 高遠藩 諏訪高島藩 飯山藩 飯田藩 岩村田藩 田野口藩 小諸藩 須坂藩

甲斐国 なし

越中国 富山藩

能登国 なし

加賀国 金沢藩加賀藩) 大聖寺藩

越前国 福井藩 丸岡藩 大野藩 鯖江藩 越前勝山藩 敦賀藩

若狭国 小浜藩

伊豆国 なし

駿河国 田中藩 沼津藩 小島藩

遠江国 浜松藩 掛川藩 横須賀藩 相良藩

三河国 西尾藩 岡崎藩 三河吉田藩 刈谷藩 挙母藩 田原藩 西大平藩 西端藩

尾張国 名古屋藩尾張藩) 犬山藩

美濃国 大垣藩 加納藩 大垣新田藩 郡上八幡藩 岩村藩 高須藩 今尾藩 苗木藩 高富藩

伊勢国 津藩 桑名藩 伊勢亀山藩 久居藩 長島藩 神戸藩 菰野藩

志摩国 鳥羽藩

近江国 彦根藩 膳所藩 水口藩 大溝藩 仁正寺藩 宮川藩 山上藩 三上藩

山城国 淀藩

丹波国 丹波亀山藩 篠山藩 福知山藩 園部藩 柏原藩 綾部藩 山家藩

丹後国 宮津藩 丹後田辺藩 峰山藩

大和国 大和郡山藩 高取藩 小泉藩 柳本藩 柳生藩 芝村藩 櫛羅藩

河内国 狭山藩 丹南藩

摂津国 高槻藩 麻田藩 尼崎藩 三田藩

和泉国 岸和田藩 伯太藩

紀伊国 和歌山藩紀州藩

但馬国 出石藩 豊岡藩

播磨国 姫路藩 明石藩 赤穂藩 龍野藩 小野藩 三草藩 林田藩 安志藩 山崎藩 三日月藩 福本藩

淡路国 (全域が徳島藩に属する)

因幡国 鳥取藩 鹿野藩 若桜藩

伯耆国 なし

隠岐国 なし

出雲国 松江藩 広瀬藩 母里藩

石見国 浜田藩 津和野藩

美作国 津山藩 美作勝山藩

備前国 岡山藩

備中国 備中松山藩 生坂藩 鴨方藩 足守藩 新見藩 庭瀬藩 浅尾藩 岡田藩 成羽藩

備後国 福山藩

安芸国 広島藩 広島新田藩

周防国 徳山藩

長門国 萩藩長州藩) 長府藩 清末藩

阿波国 徳島藩

讃岐国 高松藩 丸亀藩 多度津藩

伊予国 伊予松山藩 宇和島藩 大洲藩 今治藩 新谷藩 西条藩 伊予吉田藩 小松藩

土佐国 高知藩土佐藩) 高知新田藩

豊前国 小倉藩 中津藩 千束藩

豊後国 府内藩 岡藩 臼杵藩 杵築藩 日出藩 佐伯藩 森藩

筑前国 福岡藩 秋月藩

筑後国 久留米藩 柳川藩 三池藩

対馬国 対馬府中藩(対馬藩)

壱岐国 (全域が平戸藩に属する)

肥前国 佐賀藩 島原藩 平戸藩 唐津藩 蓮池藩 小城藩 大村藩 鹿島藩 福江藩 平戸新田藩

肥後国 熊本藩 人吉藩 高瀬藩 宇土藩

日向国 延岡藩 飫肥藩 高鍋藩 佐土原藩

薩摩国 鹿児島藩薩摩藩

大隅国 (全域が鹿児島藩に属する)


消滅した藩編集

藩が消滅する理由は跡継ぎがいない・不祥事・領地の統廃合・幕府にとって危険だと思われる大名をつぶす(本当に危険かどうかは別問題)など様々な理由があり、その大半は江戸時代前半に集中していて、その多くは跡継ぎがいないため。そのまま藩が消滅してしまう事態が多発し後に養子の条件が緩和された。

白河藩は棚倉藩との領地の統合により消滅した。

大政奉還より前に消滅した藩は以下のようなものがある(すべてを網羅しているかは不明)。藩として存在していた期間の短いものが多く、記事が必要とされる藩はほとんどないと思われるので一部を除いてリンクはとりあえずしていない。


陸奥国 中津山藩 窪田藩 梁川藩 大久保藩 白河藩

出羽国 左沢藩 大山藩

下野国 西方藩 那須藩 皆川藩

上野国 板鼻藩 白井藩 上野豊岡藩

下総国 三浦藩 栗原藩 榎本藩

武蔵国 武蔵小室藩 喜多見藩 久喜藩

越後国 蔵王堂藩 福島藩 沢梅藩 高森藩

信濃国 奥仁科藩 高井野藩 埴科藩 長沼藩

甲斐国 甲府藩 谷村藩 徳美藩

加賀国 大聖寺新田藩

駿河国 興国時藩 駿府藩

遠江国 掛塚藩 相良藩

美濃国 清水藩 上有知藩 揖斐藩 野村藩 青野藩

三河国 水野藩

尾張国 清洲藩

伊賀国 上野藩(伊賀藩)

近江国 近江小室藩

山城国 御牧藩

丹波国 八上藩 八木藩

摂津国 大坂藩

大和国 宇陀松山藩 御所藩 大和新庄藩

和泉国 谷川藩 陶器藩

播磨国 姫路新田藩

伯耆国 米子藩 黒坂藩

美作国 津山新田藩

備後国 三次藩

土佐国 中村藩

筑前国 直方藩

筑後国 松崎藩

肥前国 日野江藩


明治に誕生した藩編集

明治時代に誕生した藩もある。例えば江戸幕府が藩に格下げとなった静岡藩、日本領であることを明示するために廃藩置県後に設置された琉球藩などがある。その他の藩は石高が加増されて藩に昇格したもの。一時期消滅していた藩が復活した例はここには含めていない。


常陸国 志筑藩

駿河国 静岡藩

大和国 田原本藩

紀伊国 紀伊田辺藩 新宮藩

但馬国 村岡藩

周防国 岩国藩

琉球 琉球藩


その他編集

大阪藩:実在したのは大坂藩であり表記揺れ。ヘタリアの藩擬人化のキャラクターのイラストが多い。

琉球藩:旧琉球王国。1872年から1879年まで存在。


関連タグ編集

幕府 大名 殿様/殿 家老 藩士/家来

城下町

ヘタリア 藩の皆さん 藩と日

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