歴史
大洲城(愛媛県大洲市)は関ヶ原の戦い前から藤堂高虎の支城であり、1608(慶長13)年に高虎が伊勢津(三重県津市)22万石へ移封された後、脇坂安治が淡路洲本(兵庫県洲本市)から5万3千石で入部した。
1617(元和3)年、安治の次男で跡を継いだ安元が信濃飯田(長野県飯田市)へ移封となり、伯耆米子(鳥取県米子市)より加藤貞泰が6万石で入封し明治維新まで続いた。
廃藩置県後に大洲県、後に愛媛県に編入された。
歴代藩主
脇坂氏
- 脇坂安治
- 脇坂安元
加藤氏
- 加藤貞泰
- 加藤泰興:貞泰の長男
- 加藤泰恒:泰興の長男・泰義の長男
- 加藤泰統:泰恒の次男
- 加藤泰温:泰統の長男
- 加藤泰衑:泰恒の六男・泰都(幕府旗本・3,000石)の長男
- 加藤泰武:泰温の長男
- 加藤泰行:泰衑の次男
- 加藤泰候:泰衑の四男
- 加藤泰済:泰候の長男
- 加藤泰幹:泰済の長男
- 加藤泰祉:泰幹の長男
- 加藤泰秋:泰幹の四男