- 江戸時代に仙台城(宮城県仙台市)を居城として現在の宮城県全域および岩手・福島、滋賀などの一部を統治した藩。石高62万石。伊達家17代当主・伊達政宗を藩祖として伊達氏が全期間を通じ支配した。本記事で説明する。
- 「Axis Powers ヘタリア」で藩擬人化のキャラクターとして登場した仙台藩のこと。 → 藩の皆さん、藩と日
1の概要
藩祖・政宗の死後、正室の子であった次男の忠宗が仙台藩を継承し、庶長子であった長男の秀宗は大坂冬の陣での戦功から幕府から別家を建てることを許され伊予国宇和島藩の初代となった。
表高62万石で、長らく東北最大の藩として君臨し、実質石高は(盛りまくりだった)薩摩藩(鹿児島藩)を凌駕し事実上加賀藩並みの百万石クラスの実力を有していたとされる。東北地方のみならず、初代鎌倉殿・源頼朝の時代からの伊達家のルーツがある常陸国に龍ケ崎、近江国の八日市という飛び地を持っており、大坂にも藩邸が存在していた。…一関藩3万石が内分分知で表高62万石の中に含まれていたりするが。
徳川将軍家の娘や養女が降嫁することがある藩の一つで、伊達忠宗は徳川秀忠の養女、伊達宗村は徳川吉宗の養女を正室に迎え、伊達周宗は徳川家斉の娘と婚約している。
伊達綱宗から伊達綱村の治世中に起きた伊達騒動は、加賀騒動や黒田騒動(または仙石騒動)とともに江戸三大お家騒動と呼ばれ、歌舞伎の演目になっているが、この3つの中で一番史実が過激である。…もっとも吉原三浦屋の高尾太夫の身請け話やつるし斬り事件なんかは俗説だが。
親藩である会津藩同様に東北諸藩への政治的な影響力が大きく、米沢藩の七家騒動においては上杉治憲の政策に反対する奉行陣営が反対理由の一つに仙台藩と会津藩での出頭人政治失敗を挙げているほどである。
買米制と呼ばれる事実上の米の専売制を敷いており、米作の出来・不出来や米相場に左右される藩経済であったために、豊作時にはこれまでの藩の借金が完済できてしまう反面、凶作時には扶持米取りの武士すらも餓死するレベルの食料不足に陥る。…「農業は博打」を体現した藩ともいえる。
江戸時代後期から幕末には択捉島や国後島などの千島列島の警備を担当したこともある。
維新と廃藩後
ところが明治維新期に他の東北諸藩と共に「奥羽越列藩同盟」の首班として加わり、戊辰戦争に敗北すると仙台藩もまた処分対象となった。
これにより藩は大幅な所領没収を命じられ、表高28万石、実高に至っては全盛期の10分の1である10万石程度まで減らされた。その後の新政府の華族令では実高15万石未満5万石以上の藩の藩主は伯爵として遇されたため、これは戊辰戦争の懲罰的意味合いを持っていたといえる。
一方で本来の分家である宇和島伊達家は表高10万石程度の中規模藩であったためやはり伯爵に叙されたのだが、のち維新の功績を認められ侯爵に陞爵した。これにより仙台本家と宇和島家との間に爵位の逆転現象が生じている。
藩主の藩内での敬称
藩主の藩内における敬称は『御屋形様』。また隠居後は官名で呼ばれることが多いが、病気により、特に官位もなく隠居した伊達周宗は、隠居後に『大屋形様』と呼ばれた。
歴代藩主
- 伊達政宗
- 伊達忠宗:政宗の嫡男(次男)
- 伊達綱宗:忠宗の六男
- 伊達綱村:綱宗の長男
- 伊達吉村:忠宗の八男・宗房の長男
- 伊達宗村:吉村の四男
- 伊達重村:宗村の次男
- 伊達斉村:重村の次男
- 伊達周宗:斉村の長男
- 伊達斉宗:斉村の次男
- 伊達斉義:吉村の孫・田村村資の四男
- 伊達斉邦:吉村の孫・宗充の長男
- 伊達慶邦:斉義の次男
- 伊達宗基:慶邦の四男