概要
幕府とは、朝廷に任命された征夷大将軍が率いる武家政権の政庁を指す。通常、政庁は最高司令官である征夷大将軍の居館・居城に置かれていた。
全国的な武家政権としては歴史上鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府が存在し、中世及び近世における日本の軍事政権は概ねこの幕府である。平安時代末期の平氏政権・安土桃山時代の織田・豊臣政権などは全国的な武家政権であったが、将軍職ではなかったため幕府とは呼ばない。
語義
「幕」は「帳幕」・「天幕」を意味し、「府」は王室等の財宝や文書を収める場所、転じて役所を意味する。中国の戦国時代、王に代わって指揮を取る出先の将軍が張った陣地を「幕府」と呼んだことに由来する。それが日本に来て、近衛大将の唐名となり、幕下あるいは「柳営」ともいった。
その後、右近衛大将源頼朝が征夷大将軍に任ぜられたことから、転じて征夷大将軍の別称ともなり、遠征時の本陣(本営)を指した。また、戦の平定後も幕府を政策発信地とし、実質的に武家政権の政庁となっていった。
征夷大将軍を中国風に覇者とみなし、覇者の政庁の所在地として「覇府」とも呼ばれる。「幕府」の名称がすなわち中央政庁を表すようになったのは、藩と同じく江戸時代中期以降で朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。
「鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉もこの時代以降に考案されたもので、当時の人々は鎌倉や京都の中央政庁を「幕府」と呼んだことはなく、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したわけでもない。
明治維新における王政復古の大号令では「摂関幕府等廃絶」と明記されており、慶応3年(1868年)10月24日この時をもって、幕府という統治方式は明確に廃止されたものの、実態としては天皇の政治関与はわずかだった。この状況に不満を持った皇道派が二・二六事件を起こすも天皇自らがこの時ばかりは動いて逆に失敗した。
1941年成立の内閣で首相を務めた東條英機がこの時内務・陸軍・軍需・商工大臣と参謀総長を兼務したことを皮肉る言葉として東条幕府があった。
戦後は天皇と政治の分離が徹底され、幕府体制が復活したとも考えられる。自民党は戦後の大半を統治しており、幕府にも例えられる。