概要
戦国時代は宇喜多家が備前・美作・備中東部合わせて57万石を治めていたが、関ヶ原の戦いで西軍についたことで宇喜多秀家は八丈島に流された。
代わりに関ヶ原の戦いのキーパーソンとして知られる小早川秀秋が備前・美作51万石で入ったが、江戸幕府が成立する前に亡くなってしまった。
次に播磨姫路藩主・池田輝政の次男で徳川家康の外孫でもある忠継が備前1国28万石で入部し、その後を同母弟で淡路洲本藩主だった忠雄、そして忠雄の跡継ぎの光仲が幼かったため、従兄弟で因幡鳥取藩主の光政が領地を交換する形で入り、明治維新まで続いた。
光政は日本初の藩校「花畠教場」を造り、庶民のために閑谷学校を造るなど教育に力を入れていた。また光政の子・綱政は1700年に大名庭園である後楽園を完成させた。
支藩には鴨方藩(2万5千石)と生坂藩(1万5千石)があった。
岡山の名物料理ばら寿司は「食膳は一汁一菜とする」という倹約令への対抗策として生まれたと言われている。一皿に色とりどりの様々な具材が載っているが、あくまでも皿はひとつなので一菜だと言い張ることできる。
歴代藩主
小早川家:51万石
- 小早川秀秋:無嗣改易。
池田家
- (池田利隆):播磨姫路藩主・池田輝政の長男。本来の当主である忠継が幼少だったため藩主代理を務める。
- 池田忠継:利隆の異母弟。入部時28万石、後に利隆より10万石分知され38万石。
- 池田忠雄:忠継の弟。相続時に弟の輝澄・政綱・輝興に分知したため31万5千石。
- 池田光仲:忠雄の長男。因幡鳥取32万5千石へ移封。
- 池田光政:利隆の長男。因幡鳥取32万5千石より31万5千石で移封。
- 池田綱政:光政の長男。
- 池田継政:綱政の十七男。
- 池田宗政:継政の長男。
- 池田治政:宗政の長男。
- 池田斉政:治政の次男。
- 池田斉敏:薩摩鹿児島藩主・島津斉興の次男で光仲の子孫・治道の孫。
- 池田慶政:豊前中津藩主・奥平昌高(島津斉興の祖父・重豪の次男)の十男。
- 池田茂政:常陸水戸藩主・徳川斉昭(綱政の十八男・政澄(岡山藩家老)の三女・静子の曾孫)の九男。
- 池田章政:宗政の次男・相良長寛(肥後人吉藩主)の曾孫。