概要
1587(天正15)年に豊臣秀吉が九州征伐を終了した後の論功行賞で、家臣の黒田孝高に豊前6郡12万石を与えたのが始まり(太閤検地により18万石へ上方修正)。その主城として中津城が築城された。
関ヶ原の戦い後、黒田氏は筑前福岡へ移封となり、代わって細川忠興が豊前1国・豊後2郡39万9千石で入部するも、小倉城を築城しそちらを藩庁としたため、中津城は城代がおかれた。
1632(寛永9)年、細川氏が肥後熊本へ移封すると、小笠原長次が8万石で入部したが、5代約80年の間で2度の改易処分を受け、最終的に1万石まで減らされたうえで播磨安志(兵庫県姫路市)へ移封となった。
1717(享保2)年、奥平昌成が10万石で入部したことで明治維新まで続いた。
藩主
黒田氏
細川氏
小笠原氏
- 小笠原長次:播磨龍野6万石から移封
- 小笠原長勝:長次の次男
- 小笠原長胤:長次の長男・長章の長男。悪政の為改易。
- 小笠原長円:長章の五男。4万石で相続。
- 小笠原長邑:長円の長男。無嗣改易となるも弟の長興が播磨安志1万石へ減転封。