姫路市
ひめじし
兵庫県南西部の播磨地方の中心となっている中核市で、南側で瀬戸内海に臨む。
人口約53万人。
と隣接する。
1889年に市として発足。
鎌倉時代に砦として初めて築かれて、その後江戸時代までに大増築がされ姫路藩の拠点として栄華を誇った、現存天守を擁する姫路城(世界文化遺産)の城下町としての歴史を持つ。
主要産業は工業で、地場産業とされる皮革や鎖、食品などの他、1930年代以降は鉄鋼、石油精製、化学などの分野が中心となっている。
※以下一部ユーザーの私的な見解も含む。
「神戸市との関係」
廃藩置県の直後は播磨地方全域で「飾磨県」を構成し、姫路市がその県庁所在地であった。ところが、明治政府が主導した府県統合により神戸港の開発費用を捻出するため飾磨県を兵庫県へ強制的に編入合併することが決まり、よりによってその発表が飾磨県庁舎の完成直後だったため猛反発を招くことになった。旧県庁舎は市議会議事堂として使用された後、病院に転用されたが火災で全焼。跡地に建てられた病院も老朽化による移転のため2002年に取り壊されている。また、戦前には県内に師範学校が御影と姫路の2校存在したのだが、戦後に明石の女子師範学校を含めて神戸大学教育学部へ再編された際に姫路の教育学部は廃止されてしまった。
戦後にテレビ放送が開始されると地元企業の共同出資で姫路に本社を置く「姫路テレビ放送」の設立を目指したが、姫路局の電波が当時の郵政省の方針で大阪の第3波(後に読売テレビとして開局)へ振り替えられたため実現しなかった。その後、1967年にUHF帯のチャンネル割り当てが開始されると再び姫路テレビ構想が再燃したが、神戸新聞やラジオ関西が出願した神戸の新テレビ局と競合し、両者を一本化する形でサンテレビが開局している。その結果、1981年のテレビ大阪開局でサンテレビがネット受けしていたテレビ東京の番組が明石以西では一切視聴不可能となり、特にアニメの視聴者層に大きな遺恨を残すこととなった。ただし、1984年以降は岡山に開局したテレビせとうちが視聴可能となり、テレビ大阪も姫路ケーブルテレビでの再送信が行われるようになっている。
以上のような歴史的経緯から市民の間では県庁所在地の神戸市に対する敵愾心が非常に強く「飾磨県の再分離独立」もたびたび主張されているが、神戸に近い明石や三木などの東・北播磨地域では冷ややかに見られている。また、市内の新聞購読率は神戸市と同じく神戸新聞が1位であり、同紙では2019年より姫路支社を姫路本社に昇格させて2本社制を敷くようになった。
こうした廃藩置県に絡む県庁所在地との対立関係は長野県における長野市と松本市の関係とよく比較されるが、姫路市はその松本市と姉妹都市関係を締結している(公式には、どちらも天守閣が現存する城下町であることが理由)。