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概要

1966年5月から1974年4月まで姫路駅-手柄山駅で運転されていた。

19966年4月から開催された姫路大博覧会のためにひとまず開業した。(とりあえずの、になるはずだった)終着駅が置かれた手柄山は姫路大博覧会の会場の一つであった。

計画では手柄山駅からさらに南方へと路線を延ばして工業地帯を結ぶものや途中で分岐して姫路城に向かうもの、市内を結ぶ環状線、さらには姫路城からさらに北、鳥取県のあたりまで結ぶ壮大なものまであった。
ただ、この鳥取県にまで路線を延ばすという構想、このモノレールの建設等に尽力した当時の姫路市長・石見元秀が抱いた妄想に近いものがあり、後に姫路市長になるこの人の三男・利勝でさえ「いくら何でも無理や」と呆れたそうである。なお、このモノレール、元秀がアメリカに視察に行った際、ディズニーランドで見たモノレールに感激し、「我が市にもこれを作ろう!!」という思いつきから実現してしまったそうである。

ところがこの路線、実は敷設申請を国に出したのはよかったのだが、自治省(現在の総務省)から「採算取れるんですか??」と呆れられ、何とか建設許可は出たものの、姫路駅の用地買収でもたついたうえ、工事自体も大雨や台風の影響で取りかかりが大幅に遅れてしまい、結局姫路大博覧会の開幕に間に合わなかった(が、会期中には何とか開業出来た)。
しかも姫路大博覧会が終わると、距離が短い(路線距離1.6キロメートル)のに運賃は100円(ちなみに「平行」して走っていた山陽電鉄のほぼ同区間の運賃はモノレール開業時点で20円)とあまりにも高く、「タクシーの方がまだ安い」と揶揄される有様。その結果、誰も利用しなくなってしまった。
当然ながら維持費もバカにならず、赤字垂れ流しで走るものだから「税金の無駄遣い」とばかりに市民からは完全に嫌われてしまう。
さらにモノレール建設に尽力した元秀がそれ故に市民から嫌われ選挙に敗れて市長の座から引き摺り降ろされ(そのまま引退す)るわメーカーが解散してパーツの確保が絶望的になってしまうわと存続への強い逆風も吹き荒れていき、結果1974年4月10日の運行をもって事実上廃線となってしまった。しかもその廃線(表向きは休止。正式な廃止は1979年1月)も、手続き上のミスで本来の予定であった3月末から延期になってしまうわと、最後までごたついてしまった。

こうして姫路市営モノレールは姫路市の黒歴史として長らく封印されてしまったものの、設備に関しては基本放置されてしまった。だが、ある設備が崩落してしまう事故が発生したため、早期対策が必要なものに関しては流石に撤去されていった。
だが終着駅であった手柄山駅のホームに封印されていた車両に関しては、市長になった利勝などの尽力もあって2009年にその封印が解かれ、手柄山駅の外に出されたのだった。そして2011年4月29日からモノレールの車両は手柄山駅のホームに戻された上で一般公開され、様々な事情に振り回された結果薄幸・短命に終わった姫路市営モノレールを今に伝えている。

別名・表記ゆれ

姫路モノレール
手柄山モノレール

関連タグ

モノレール
姫路市

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