ドリームランド線
どりーむらんどせん
神奈川県横浜市戸塚区と奈良県奈良市で遊園地ドリームランドを運営していた日本ドリーム観光の子会社ドリーム交通(のちにダイエー系のドリーム開発に移譲)が営業。1966年5月2日に開業。
横浜ドリームランドの輸送と沿線住民の通勤用に大船駅 - ドリームランド駅間で運行していた。
建設には東芝の協力を得ており、また車両(10形)は東急車輛製造が製造していた。
先立って奈良ドリームランドでアトラクションとして運転していたモノレール・スペースライナー(東芝製)を参考としている。
基本的には日立製作所が開発したアルウェーグ跨座式と同様だが、連接車となっていることが最大の特徴である。
しかし用地買収を巡るルート変更により激しい急勾配が連続する路線となったため、東芝が車両の設計変更を行ったのだが、それにより車体重量が当初の予定を超過。30tの予定が46tとなってしまった。
これにより軌道や橋桁にヒビが入る、タイヤがバーストする、車軸が折れるなどの異常が発生し運行開始から1年4か月後の1967年9月に運休。
これを巡ってドリーム交通側は東芝を裁判で訴えることになり、最終的に東芝が多額の補償金を払う形で和解したのだが、その間証拠物件として遺留されていた車両は部品の盗難が相次ぎ荒廃が進んでいた。駅も大船駅こそワークショップとして貸し出され路線復活を目指した有志によって維持されていたが、和解金をもってしても軌道を修復、新たな車両の購入(日立製作所から新たな車両を購入する予定だったとされている)することは出来なくなってしまった。
そこで再開計画は当時最新技術のHSSTの実用試験という形で再始動した。1995年に磁気浮上式に免許更新され、1996年の首都圏整備計画では運行再開の実現が図られることとされていた。
一方で設備投資の回収が問題となり小型モノレールに変更するか上下分離方式を採用するかなども検討されていた。
しかし用地を貸渡して使用料を得ていたことから軌道の真下に民家が建っているなど再開後の取り扱いが問題となり、さらに沿線住民からは未知の技術である磁気浮上式ゆえに電磁波などの影響から反対意見まで出るようになった。
結局親会社のダイエーの経営も傾いたこともあって、計画からわずか3年後の1998年に横浜ドリームランドの閉演が決定。付近への通勤路線化計画も道路整備が進んだことや沿線人口の変化などから需要が見込めないとして2002年に運行再開の断念・廃止が決定。2003年に正式に廃止となり軌道も撤去された。
廃止後もドリームランド敷地の跡地に建てられたドリームハイツは分譲する際に同線の運行再開を前提に募集をかけていたこともあって、廃止後も住民によりモノレールまたは新交通システムの整備を要求する声もあったが、沿線の道路整備もあって実現することはなかった。