概要
1970年代に日本航空が開発を始めた磁気浮上式鉄道。
HSSTとはHigh Speed Surface Transportの略称であり、直訳すると高速地表輸送機。
開発に至る経緯
1960年代末、東京から遠く約65km離れた千葉県成田市で整備が進められていた新東京国際空港(現在の成田国際空港)にまともな交通機関が無いことを憂いた日本航空が、独自に高速輸送機関の研究を始めた。
なおこれと同時に国鉄は成田新幹線の建設を計画したがこれは未成に終わった。
当初は、当時世界各国で開発が進められていた高速輸送システムを導入することを検討していたが、日本の国内事情に照らし合わせた結果、西ドイツが開発していた磁気浮上式鉄道をヒントに、航空会社が持つ技術を活かせると考え独自開発する方針に至った。
当時西ドイツの磁気浮上式鉄道はメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)社が主導する地上一次式リニア同期モーターを採用したトランスラピッドに一本化されており、使い道を模索していたクラウス=マッファイ社が開発した吸引式磁気浮上の技術を導入し、1974年頃から開発を開始した。
ベースが西ドイツの技術ということもあってトランスラピッドとの共通点も多く見えるが、前述のようにトランスラピッドはMBB社主導の地上一次式リニア同期モーターを採用しているのに対し、HSSTは車上一次式リニア同期モーターを採用している。
クラウス=マッファイ社が開発していた車上一次式リニア同期モーターはトランスラピッド04で実用化寸前までいっていたが、トランスラピッドでは高速化が追求されていたため採用されなかった。
またクラウス=マッファイ社が開発していたトランスラピッド04は制御の難しい両側式リニア誘導モーターを採用していたのに対し、HSSTでは比較的制御が容易な片側式リニア誘導モーターを採用している。
特性としては急勾配・急曲線での走行性能に優れ、振動や騒音も少なく乗り心地が安定している。従来の新交通システム(AGT)と比べ最高速度も速く(設計最高速度は130km/h)、積雪時・凍結時の影響も少ないため季節を通して安定した輸送力を持っている。
車両技術
モジュール
一般的な鉄道車両の台車に相当する部分。車両のほぼ全体に分散するような形で配置されており、2個の浮上・案内電磁石を1組として2組、リニア誘導モーターの一時側が1つ、ギャップセンサーが内蔵されている。
車体とモジュールの間は空気ばねで接続されている。
ブレーキ
通常はリニアモーターによる電気ブレーキだが、安全面を考慮し油圧ブレーキも装備している。
ブレーキ系統も常用・保安で2重化されている。
給電装置
車上側の推進コイル・浮上コイルへの電力供給は軌道側の電車線から集電装置による接触給電が行われる。直流750Vまたは1500V。
HSST-03までは推進用のリニア誘導モーターの励磁用の交流電流を地上のVVVFインバータから給電していたため給電線が多かったが、HSST-04からはVVVFインバータを車載するようになったため給電装置は最小限で済むようになった。
車上電源
非常用にバックアップバッテリーも装備されている。バッテリーのみでも数十秒間浮上が可能である。
軌道
浮上と推進に必要なコイルを車体の両側に装備するため、軌道は両側に設置される。軌道構造は2つの支柱で車両を支えるダブルビーム型と、車両直下に支柱を配置するシングルビーム型がある。
ダブルビーム型は重心を低くすることができるため高速化に適しているが、軌道の建設コストが割高になるため現時点ではHSST-03でのみ採用されている。
シングルビーム型は重心が高くなるが、軌道の建設コストが比較的安く済む。現状営業運転を行っている唯一のHSSTである東部丘陵線もこれ。
システムの種類
用途別に3種類の基本形に分かれている。
HSST-100形
都市間交通システムなど短距離路線を想定。車両サイズは新交通システムと同クラスで、モジュールを片側3台ずつ装備、最小曲線半径25m、最高速度100km/h。
派生型として最小曲線半径50mで車両サイズを都市モノレールサイズまで拡大した100ストレッチ形があり、東部丘陵線はこの100ストレッチ形に相当する。
HSST-200形
中距離路線を想定。都市モノレールから新幹線程度までの速度と輸送容量を持つ。最高速度200km/h以上。モジュールは片側4~5個、最小曲線半径は100m。
HSST-04/05が相当する。
HSST-300形
大都市間の高速大量輸送を想定。最高速度300km/h以上。
HSST-03がこのタイプの原型。
歴代実験車両
HSST-01
1975年に製造された無人実験車両。リニア誘導モーター駆動だが試験線の全長が制限されており250km/h以上の速度実験ができず、日産自動車製固体ロケットエンジンを搭載していた。
1978年には307.8km/hを達成した。
国立科学博物館に寄贈され、上野本館での展示の後筑波地区資料庫で保管されている。
HSST-02
1978年に製造された実験車両。車内に8人分の座席を用意し、乗り心地を改善するため2次サスペンションが搭載された。
最高速度は110km/h。HSST-01同様国立科学博物館に寄贈され、上野本館での展示の後筑波地区資料庫で保管されている。
HSST-03
1985年のつくば万博、1986年のバンクーバー国際交通博覧会、1987年の岡崎市制70周年記念博覧会「葵博」でデモ走行を行った。日本航空と住友電子工業が中心となって開発したもので、全長13.8m、幅2.95m、全高3m、重量約12t。座席数47席。
パワーエレクトロニクスが小型軽量化できなかったため、地上にVVVFインバータを設けていた。
つくば万博では約350mの軌道上を30km/hで走行し、1往復4分ほどの搭乗体験ができた。このときは直線のみだったが、バンクーバーでは曲線も設けられた。
日本で初めて一般の人が乗れるようになった磁気浮上式鉄道である。
葵博終了後は1990年8月31日まで約180mの軌道を走行した後、岡崎市南公園に保存されている。
同公園内には名古屋鉄道のモ400形やD51形蒸気機関車も展示されている。
HSST-04
1988年に熊谷市で行われたさいたま博覧会で展示された車両。HSST-200形として開発され、最高速度は30km/h。VVVFインバータが車載式になった。
HSST-05
1989年の横浜博覧会で営業運転された。HSST-200形として開発され、最高速度は45km/h。2両編成。
HSST-100
都市型交通システムへの特化・実用化を目指した車両。中部HSST開発により1991年より名鉄築港線に並行する形で建設された全長1.5kmの大江実験線で試験が行われ、試乗会も開催された。
- HSST-100S
1991年に製造された、車体長8.5mの新交通システムサイズの車両。設計最高速度110km/h。現在は名古屋鉄道の舞木検査場に保存されている。
- HSST-100L
1995年に製造された、車体長14.4mの都市型モノレールサイズの車両。100Sの実験で得られた課題の改善やコスト低減が図られた。
愛知高速交通100形の原型となった車両である。
三菱重工業三原製作所でHSSTの試験車両として使用されていたが、愛知高速交通100形09編成に役割を譲る形で解体された。
営業中の路線
期間限定で運行された路線
- 横浜博線
横浜博覧会の会期中に運行された路線。現在のみなとみらい地区34街区に建設された美術館駅と現在の臨港パークに建設されたシーサイドパーク駅の間を結んだ。
未成線
- 千歳空港連絡線
1975年頃から千歳空港へのアクセス手段として検討され、1980年の実用化に向けて実験線の建設も計画された。
1985年時点で中断されたものの、新千歳空港ターミナル開業に向けて計画が再始動。後にJRリニア式と競合するもいずれも実現には至らなかった。
- 旭川市内線
1984年から旭川市内で神居地区~旭川駅~春光地区、旭川駅~東光・豊岡地区または市内中心部~旭川空港・旭川医科大学のルートを想定。
実際に軌道を仮設して耐寒・耐雪実験も行われたが以後の進展はない。
- 横浜ドリームランド線
おそらくいちばん有名なHSSTの未成線。1966年5月から1967年9月の約1年4ヶ月間のみ運行された幻のモノレール・ドリーム交通モノレール大船線をHSSTで復活させる計画。
実際に1995年に路線免許を磁気浮上式に変更するが、親会社のダイエーの経営が傾いたことから導入計画は頓挫。モノレールの軌道も2003年に正式に廃止となり撤去されてしまった。
- 広島空港線
白市駅から広島空港までの約8kmの建設が計画されたが、後に普通鉄道式に変更。2006年に事実上計画は断念された。