熊谷直実の町
熊谷市(くまがやし)は埼玉県北部にある人口約20万人の市。
- 埼玉県北部地区を代表する都市であり、特例市・業務核都市(深谷と一体指定)・景観行政団体・特定行政庁に指定されている。江戸時代には中山道の宿場・熊谷宿が置かれ、宿場町として栄えた。
- 現在でも市内には国道17号をはじめとする4本の国道(および各線の計6つのバイパス)、9本の主要地方道、上越新幹線をはじめとする3本(JR上越新幹線・JR高崎線・秩父鉄道秩父本線)の鉄道路線が通過しており、交通の要衝としての役割を果たしている。また人口は県内第9位であるが、農業産出額県内第2位、商品販売額県内第3位、製造品出荷額県内第4位であり、埼玉県北部における経済上の一大拠点をなしている。
- 2005年10月1日に熊谷市と大里郡妻沼町、同郡大里町が合併(新設合併)し、新たに「熊谷市」が設置された。また、2007年2月13日には大里郡江南町を編入し、埼玉県北部では初の20万人都市となったことにより、諸手続きを経て、2009年4月1日に特例市の指定を受けた。
- 2007年8月16日14時42分(JST)には日本国内の最高気温となる40.9℃を観測している(岐阜県多治見市においても同日14時20分に同気温を記録)。
- 2011年6月24日には、39.8℃を観測し、国内での6月の最高気温を20年ぶりに更新した。これまでの最高は1991年6月に静岡市で観測された38.3℃。記録的猛暑だった2010年でも、最高気温は岐阜県多治見市の39.4℃(7月)だった(7月の国内歴代最高気温は山形市の40.8℃)。首都東京に近く、歴史的に古くから熊谷という地名が知られていることも相まって、“猛暑の本場”として、メディアに取り上げられる頻度も高く、名実ともに“日本一暑い街”として知られている。
気候
名実ともに「日本一暑い町」として知られる
- 同市で観測された最高気温は2007年8月16日14時42分に観測された40.9°Cであり、これは同日に記録した岐阜県多治見市と並び日本観測史上の最高気温である。
- 2011年6月24日には、6月の最高気温の国内記録を20年ぶりに更新し、39.8°Cになった。1990年代以降、夏の気温の高さが全国的に知られるようになり、市ではこの知名度を逆手にとってまちづくりに利用すべく「あついぞ!熊谷 熊谷新時代まちづくり事業」を展開している。メイン画像右上に登場するあつべえはその流れで作られたゆるキャラ。
- そして、2018年7月23日には史上最高の41.1°Cを記録。ついに41度超えとなった。
なぜ暑いのか?
- 熊谷が高温となるのは、海風に乗り北上してくる東京都心のヒートアイランド現象により暖められた熱風と、フェーン現象によって暖められた秩父山地からの熱風が、一般的に日中の最高気温となる午後2時過ぎに同市の上空付近で交差するためだと考えられており、「熱風の交差点」と呼ばれることもある。
冬は寒い
- 冬場においては、冷たく強い北風(赤城おろし)が吹くとともに朝は-3°C前後まで冷え込む日が多い。
- ただし、この数値はさいたま市などより東京都心に近い都市とさほど変わらないうえ、昼間は10°C前後まで上がることも多い。
- 一方で、降雪が観測される日数は関東の中でも少ない部類に入る。北関東の山間部において雪を降らせる雲が、利根川を越えて当市まで到達することがあまりなく(利根川対岸の太田市・大泉町などで降雪が観測されているにもかかわらず熊谷では観測されないなど)、また東京方面において雪を降らせる南の雲も熊谷まで到達することはあまりない(隣接する行田市・鴻巣市では積雪が観測されているが、熊谷では降雪が観測されないなど)。近年では温暖化の傾向により関東平野部で大雪になる日が少ないので、その傾向がより顕著に表れている。
- 年間の平均気温は15.0°C、平均降水量は1286.3mm、平均風速は2.4m/s。平均日照時間は2042.1時間で、一年のうち最も日照が多い地域の一つである(1981年から2010年までの平年値)。
- また、1917年6月29日の午後5時頃、当時の長井村では直径29.6cm(七寸八分。大正寺の住職が計測。単純計算すれば23.6cmだが、1尺を37.9cmとする鯨尺を用いたと言われる)、中条村今井地区では重さ3.4kg(九百匁。荒物商の角屋の主人が匁の天秤で計測)もの巨大な雹が降った。
- これは当時の熊谷測候所の調査によるもので、今まで観測された中では世界一の大きさであるとされる。
- 市内には熊谷測候所から発展した気象庁熊谷地方気象台がある。
歴史に埋もれた第三の勢力
浦和と熊谷
1873年から、熊谷県という現在で言う(群馬県・埼玉県の大半)の県庁所在地となる。
しかし、そのわずか三年後に出来上がった第二次埼玉県の県庁所在地が浦和となる。
浦和は北足立郡に所属しており、「埼玉」とはまるで関係がないことから幾度も県庁所在地を熊谷への移転を求めたが、これらは全て失敗に終わってしまう。
今となっては浦和はとても規模の大きい都市だが、過去の浦和はそこらへんのベットタウンと何ら変わらない。
浦和が市になったのも川越、熊谷、川口に次ぐ4番目であり、全国の県庁所在地の中では最も遅い。
交通の要衝や経済の中心ではなく行政だけが特徴の浦和を中心にした県作りは当然高コスト。
県民には県予算の分配で不満が多く、隣接する大宮や川口においても浦和に対し現在まで強い不平等感を抱くこととなった…らしい。
第二次埼玉県を作るとかややこしいことした当時の政府もおかしいとは思うが。
大宮と熊谷
日本鉄道第一期線(現在で言う高崎線)の経由地で尚且つ全てのルート案で熊谷を経由しており、第二区線(現在で言う宇都宮線と東北本線の一部)の分岐案にも熊谷分岐案が含まれていたが、
「経費が安い」、「足利方面には支線敷設が妥当」などを理由に熊谷分岐案は採用されず、南部の大宮にわざわざ新駅を作り、そこから第二区線が建設されることとなった。
現在、大宮駅はJR東日本第8位の乗車率を誇り、熊谷駅はそこへ至る若干規模の大きい途中駅に留まった。
以上の出来事があって今の埼玉県が出来上がっている。
南部の埼玉でもなんでもない所に機能が集中し、周りの地域は南部との格差を強いられた。
そんな中に熊谷も含まれており、今現在熊谷はじわりじわりとその人口を減らしてきている。
挙句には大宮出身の芸人に「あの辺はほとんど群馬だから」とか言われてる始末である(もっとも、熊谷や隣の深谷市・本庄市付近の県民自身が「この辺は群馬だと思っている」くらいさいたま市より群馬への愛着の方が強いことは秘密のケンミンSHOWで明らかにされている)。
関連タグ
浦和市…県庁所在地を奪い、「ださいたま」の基礎を築いた
大宮市…コストという交通の要塞の役割を奪い、さいたま市となった今でもなお隣と争いを繰り広げている。
ニャオざね(マスコットキャラクター)
アール・ディー・シー(埼玉県熊谷市に本部を置く外食関連事業を運営する小売業者)
グンマー…もう「ださいたま」ですらないらしい…というかこの漫画じゃのっけから熊谷市内の駅のはずの籠原駅が紹介されとるし。