誕生と国体キャラとして
国体開催に向けて動いていた埼玉県は2000年に国体マスコットとキャラクター名の公募を実施した。当時はアジア通貨危機の影響が色濃く残るだけでなく、ITバブル崩壊の匂いが漂う世相だったため、大会予算削減を埼玉県は余儀なくされていた。そのため、埼玉県は広報キャラによる興行策を展開して大会費用を捻出しようとした。
ほどなく、公募に応募された案からデザインを竹腰博晃氏のもの、キャラ名を小松稔氏のものを採用して「コバトン」と命名されたマスコットは、公費が絡むイベントに必ず着ぐるみを出没させて認知を図った。結果、キャラグッズの売れ行きも総額1億円以上を稼ぎ出し、国体が実施される2004年までには県内全土で知れ渡るマスコットとして定着した。
県民マスコット就任
ただ、本来の目的である国体の宣伝を終えても愛らしい見た目から県民からコバトンのキャラ存続を願う声が湧き上がることになった。これを受け、埼玉県はデザインを制作した竹腰氏から権利譲渡の承諾をもらい、2005年1月4日より正式な埼玉県マスコットキャラクターとなった。
県マスコットに就任するとコバトンは活躍の場を広げた。就任まもなく、地元のメインバンクである埼玉りそな銀行のキャッシュカードデザインに採用されるだけでなく、県内小学校の給食向けにコバトンパンなるパンを配布するなど周知が徹底された。2006年には県内の自然景観を守る「さいたま緑のトラスト運動」向けに黄緑色の体色になった「ミドコバ」も展開された。
ゆるキャラブームの到来
2000年代後半に入ると、俗に言う「ゆるキャラブーム」が到来して埼玉県としても対策を迫られた。そのため、県マスコットであるコバトンを団長とした「ゆる玉応援団」を結成して県内ゆるキャラ達の認知拡大策を図った。県内市町村も結成に呼応して続々と応援団に参加して、2013年末には団員ゆるキャラは100体を越えた。
また、テレビ朝日で放送されているバラエティ番組「バナナTV」の企画から2014年11月14日、お笑い芸人バナナマンの2人が企画開発した「さいたまっち」がお披露目された。ゆるキャラ界のトップランナー達が奇人方向へ振り切れる戦況下、バラエティ重視のエンターテイナー設定で新規ファン層の掘り下げを狙ったが、老若男女問わず名の知れた鉄板キャラのコバトンと肩を並べるには力不足だった。最近では県の広報イベントには顔を出すが、コバトンと比べてさいたまっちの露出頻度は減っている。