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中山道

なかせんどう

江戸時代に整備された五街道の一つ。江戸と京都を内陸経由で結ぶ。
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概要編集

江戸時代に整備された五街道東海道日光街道奥州街道、中山道、甲州街道)の一つ。古くから都と東国を結ぶ幹線路であった東山道を改良し、慶長七年(1602年)に成立した。


おおむね現在の国道17号国道18号、長野県道44号、154号、佐久市道、国道142号国道20号国道19号国道21号国道8号の一部に該当する。


南回り・太平洋沿岸経由の東海道に対して、中山道は北回り・内陸経由で江戸日本橋京都三条大橋を結ぶ。東海道とは草津宿で合流する。東海道より40kmも長い道程で、中山道は碓氷峠木曽路をはじめ、峠道が多く、人馬の往来は困難であった。参勤交代で利用する大名も東海道と比べると少なく、東海道の裏街道的な役割に甘んじていた。


しかしながら、大井川の川越えや険しい箱根峠があり、江戸幕府による「入鉄砲出女」の取り締まりが厳しかった東海道を避けて、中山道を選ぶ者も多くいたと言われている。「姫街道」とも呼ばれ、女性の往来も多かった。実際に、皇女和宮の降嫁や清河八郎ら浪士組の上洛など、歴史上の様々な場面でも利用された。


宿場一覧編集

全部で69を数え、東海道五十三次に対し中山道六十九次と総称される。

宿場数が密であったのは、比較的険しい山道が多いことに加え、冬場は寒さも厳しい内陸の地域を通り、降雪時に通行が困難であったために、1日の歩行距離は短くなり限界があったからだと考えられている。


武蔵国

現・東京都板橋

現・埼玉県浦和大宮上尾、桶川、鴻巣、熊谷深谷、本庄

上野国(現・群馬県)

新町、倉賀野、高崎、板鼻、安中、松井田、坂本

信濃国(現・長野県)

軽井沢、沓掛、追分、小田井、岩村田、塩名田、八幡、望月、芦田、長久保、和田、下諏訪、塩尻、洗馬、本山、贄川、奈良井、藪原、宮ノ越、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠(※)

美濃国(現・岐阜県)

落合、中津川、大井、大湫、細久手、御嶽、伏見、太田、鵜沼、加納、河渡、美江寺、赤坂、垂井、関ヶ原、今須

近江国(現・滋賀県)

柏原、醒井、番場、鳥居本、高宮、愛知川、武佐、守山、草津大津


(※)岐阜県中津川市にある。元々は長野県木曽郡山口村に属していた。


関連タグ編集

街道

五街道東海道日光街道奥州街道甲州街道

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