東海道五十三次
とうかいどうごじゅうさんつぎ
江戸時代に整備された五つの街道、すなわち、一般的には東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道のうち、東海道の宿場(駅逓事務取扱のための施設)の存在する場所、53個を総称して表現した言葉である。
同様のものとして中山道六十九次が存在する。
品川宿 川崎宿 神奈川宿 保土ヶ谷宿 ……武蔵
戸塚宿 藤沢宿 平塚宿 大磯宿 小田原宿 箱根宿……相模
三島宿 ……伊豆
沼津宿 原宿 吉原宿 蒲原宿 由比宿 興津宿 江尻宿 府中宿 鞠子宿 岡部宿 藤枝宿 島田宿……駿河
金谷宿 日坂宿 掛川宿 袋井宿 見付宿 浜松宿 舞坂宿 新居宿 白須賀宿 ……遠江
二川宿 吉田宿 御油宿 赤坂宿 藤川宿 岡崎宿 池鯉鮒宿 ……三河
鳴海宿 宮宿 ……尾張
桑名宿 四日市宿 石薬師宿 庄野宿 亀山宿 関宿 坂下宿 ……伊勢
土山宿 水口宿 石部宿 草津宿 大津宿 ……近江
伏見宿 淀宿 ……山城
枚方宿 守口宿 ……河内
小説(派生作品)
十返舎一九が1802年から通算20年にわたって綴った滑稽本『東海道中膝栗毛』が知られる。
栃面屋弥次郎兵衛(弥次さん)と相方の喜多八(喜多さん)の2人が伊勢神宮を目指した徒歩旅の道中に於けるエピソードやトラブルを描いたこの作品は、後年、『やじきた学園道中記(市東亮子)』や『真夜中の弥次さん喜多さん(しりあがり寿)』のモチーフともなったほか、長谷川町子もこの作品を漫画化している。
浮世絵
これらの宿場は江戸時代においては日本の大動脈といってもよいくらいの重要道路であり、また広範囲に広がるため、浮世絵などの格好の題材となった。
特に著名であるのは歌川広重が保永堂から発売したものがあげられる。これは葛飾北斎の富嶽三十六景とともに浮世絵における風景画のトップになるものとしてあげられる。
なお、この作品集は全部で55枚(日本橋と三条大橋を含むため)である。
コメント
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すべて見る仲人
『日本駄右衛門猫之古事』という三枚続の浮世絵で、左から駄右衛門、化け猫、謎の娘さんとなんとも美味しい設定でしたが、娘さんは弁天小僧と判明…。 この作品では歴史的事実から目を背けています。 東海道五十三次より化け猫の岡部宿、足止めの島田宿、おまんの金谷宿をお借りしました。お礼参りに行きませんと。 3/21追記4月中旬に東海道一部分だけ歩く予定を挟み込みました!! 五時間、歩き通せるだろうか、心配もありますが、とりあえず首塚を納めて参ります。 ここまで読んで下さった方へ。 その後です。 おまんは駄右衛門の子を身籠る。 このままでは本当に足手まといになるからと暇乞いを申し出る。 駄右衛門はおまんが母となり、駄右衛門が一番でなくなるのを許さずに、子供を堕胎させようとする。 おまんは子を産んだあとは、すぐに捨てるから、どうか、それだけはと願い出て、駄右衛門は、すぐに手離すのならばと許す。 産まれてすぐの赤子を駄右衛門が抱き上げる。 おまんはここで殺されても文句を言うつもりはないが、一度くらいは手に抱きたいと思っている。 駄右衛門は『ほんに赤いのだな。』と口にして、その子をおまんに抱かせてやる。 『今日限りだ。何かいるものはあるか?』と聞いて、おまんがお湯と新しい布を所望するとおまんと子を二人きりにさせる。 おまんの願いを聞き入れて、人の多い天満宮の祭りの日に子を置き捨てる。 ここで産まれたのが宗之助。 鎌倉の浜松屋の主、幸兵衛の子として大事に育てられてゆく。2,372文字pixiv小説作品