概要
江戸時代に整備された五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の一つ。1600年(慶長5)に甲斐が徳川家康の領地となって以来、江戸と甲府を結ぶ交通路として整備された。
はじめは1602年(慶長7)に江戸と甲府を結ぶ区間が開設され、その後1610年(慶長15)中山道と合流する下諏訪(長野県)まで延長された。全長約220km(55里)で、45宿場があった。
甲州街道は当初、江戸城と甲府城を結ぶ軍事目的を主眼としたものだったが、江戸城に危機が及んだときの避難路だったという説もあり、これは甲府城を有する甲府藩が親藩であること、沿道の四谷に伊賀組・根来組・甲賀組・青木組(二十五騎組)の4組から成る鉄砲百人組が配置し、鉄砲兵力が将軍と共に甲府までいったん避難した後に江戸城奪還を図るためである。
甲府は江戸幕府の外辺防御の拠点で,街道は軍事・経済上重要視されたが、ほかの街道より交通量は少なかった。
1700年頃に、甲府に甲府金の金座が置かれ貨幣の鋳造が行われるようになると、街道は重要な交通路となったが、交通量は少なく参勤交代の大名も高遠藩、高島藩、飯田藩だけであった。
国道20号(東京-長野県塩尻市) は,まったく別のルートをとっている区間もあるが、ほぼ昔の甲州街道を改良したものであり、現在でも甲州街道と呼びならわされている。
宿場
日本橋→内藤新宿→高井戸→国領→布田五ヶ宿→府中→日野→八王子→駒木野(東京都)
→小原→与瀬→吉野→関野(神奈川県)
→上野原→鶴川→野田尻→犬目→鳥沢→猿橋→駒橋→大月→花咲→初狩→白野→阿弥陀海道→黒野田→駒飼→鶴瀬→勝沼→栗原→石和→甲府柳町→韮崎→台ヶ原→教来石(山梨県)
→蔦木→金沢→上諏訪→下諏訪(長野県)