街道の設備のひとつ。
通行者に対し、その距離の目安として起点より一里ごとに設置された塚。
曖昧さ回避
一里塚(街道設備)
街道の距離を通行者に把握させるため、一里(約3.927km)毎に設置された塚。
おおむね盛り土の形で設置されており、時に盛り土の横や上に木を植えたり標識を立てたりして、その存在を目立たせていた。
日本では平安末期ごろから見られ、一休宗純が歌(狂歌)に詠んだりしている。
門松(正月)は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし |
江戸幕府によって街道の全国整備が行われた際、江戸の日本橋を起点として各主要街道に設置する事が義務付けられた。この時に設置された一里塚には木が植えられたものが多いが、これは通行人などが木陰で休む事を意図して植樹されたもの。
しかし明治時代以降になると、街道の拡張・国道の整備・バイパスの新設による街道筋のルートチェンジが頻繁に行われるようになり、また第二次世界大戦(太平洋戦争)中の本土空襲の影響や高度経済成長期の都市開発もあいまって、一里塚は徐々にその役割を終えるとともに破壊され消えていった。
なお、とても誤解されやすい事だが、本来、一里塚とは一対のものである。
つまり道路の左右(いわゆる上りと下り)に同じ塚があるのが一里塚の本来の形とされる。
しかし上述した(上りあるいは下りのどちらかが破壊され、修復されなかった)一里塚の存在により、一里塚は街道の左右どちらかにひとつだけあるものだと勘違いしてしまう者も多い。
しかし阿野一里塚(東海道・愛知県)、下野田一里塚(日光御成街道・埼玉県)、真金一里塚(山陽道西国街道・岡山県)のように上下両塚現存の一里塚も存在している。なお現在まで上下現存の形態を保っている一里塚は現在ではとても珍しく、おおむね国の史跡に指定されている。(ただし上下どちらかの単独現存の塚の中にも国指定史跡となっているものもある)