主に人物名や地名であることが多い。
人物名については主に名字で使用されるが、片倉喜多(戦国時代の人物)のように名前として使用される例も。また「宇喜多」「喜多川」などのように単語の一部に含まれる例も多い。
曖昧さ回避
実在の人物
片倉喜多(戦国時代の人物)
キャラクター
「喜多」のつく名
その他
片倉喜多(戦国時代の人物)
天文7年(1538年)~慶長15年(1610年)。
独眼竜の異名で知られる大名・伊達政宗の乳母を務めた女性。政宗を支えた「伊達三傑」のうち、片倉小十郎(片倉景綱)、鬼庭綱元(茂庭綱元)それぞれの姉でもある。
1538年、伊達氏家臣・鬼庭良直(左月斎)の娘として生まれる。母は本沢真直の娘・直子。
兵書を好む文武両道の才女であり、母が再婚した片倉家では異父弟で20歳近く齢の離れた景綱にこれらを講じたという。
1567年に政宗が誕生すると、政宗の父で当時の主君である伊達輝宗の命により政宗の乳母を拝命する。ただし、喜多は独身であったため実際は養育係であったとみられ、記録には「保姆」と記されている。政宗が成長した後は、1579年に政宗に嫁いだ正室・愛姫付きを任ぜられる。愛姫が豊臣秀吉の人質となった際もこれに従い上洛し、拝謁した秀吉からもその聡明な才智を「少納言」と賞賛された。
しかしその後、秀吉が恋慕する政宗の愛妾を、独断で秀吉に献上したことが政宗の勘気に触れ、蟄居を命ぜられる。以後は景綱が城代を務める領地に庵を設け余生を過ごしたという。
1610年死去。享年72歳。
創作作品における片倉喜多
戦国大戦
「喜多」の名義で登場。検索ワードは「戦国大戦」「喜多」に「宇喜多」をマイナスしないと見つけるのは難しい(→結果)。
戦国大戦wiki - カードリスト/伊達家/Ver.2.0/012_喜多
殿といっしょ
異父弟の景綱と顔はよく似ている(政宗曰く「美人の姉」)が、正確は真逆の熱血キャラであり、男らしくない態度を取った景綱には体罰なのではないかと言うほど過激なツッコミを入れる。政宗の教育係を務め、幼い頃の政宗を震え上がらせていたのだが、景綱に注意の殆どが向いていることに気付いた政宗からは良いように扱われている。悪い意味でブラコンなのかもしれない。
愛姫とも仲は良いのだが、あまりにボケ殺しな彼女には内心手を焼いている。
政宗さまと景綱くん
紫髪の美女。
政宗の「乳」母であり、全く母から愛を注がれなかった政宗を激烈に可愛がっている。景綱が政宗の右目を抉り抜いた時には「私に言ってくれれば食べました!!」と本気の眼をして言っていたほど彼を溺愛している。言うなれば小十郎がムチ担当で喜多がアメ担当。
輿入れが決まった時には政宗を部屋に連れ込んで教育を施した(伊達家公認)。
実父である左月斎には複雑な感情を抱いており、政宗の挙式で顔を合わせた際には「左月斎様のことなど気にしていません、そもそもどなたでしたっけ」などと発言していたとか。