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長谷川町子

はせがわまちこ

日本の漫画家。女性としては最初のプロの漫画家である。1920年生~1992年没。代表作『サザエさん』は国民的作品として抜群の知名度を誇る。
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長谷川町子は日本漫画家である。女性としては日本で最初のプロの漫画家。女流漫画家の先駆者。

代表作に『サザエさん』『いじわるばあさん』などが挙げられる。


概要

しょうちくばい

1920年佐賀県生まれ。幼少期は福岡市に居住するが、父(鉱山技術者)の死後、一時東京に移住。山脇女学校(現・山脇学園高校)時代に『のらくろ』で知られる田河水泡に師事し漫画を描き始める。1935年に「少女倶楽部」に掲載された『狸の面』でデビューし、「天才少女」ともてはやされた。画像の『仲よし手帖』は初期の代表作で、「少女倶楽部」(講談社)に1940年から連載され、戦後も「少女」に連載された。


戦後になってから福岡県の地元紙「夕刊フクニチ」(1992年休刊)で『サザエさん』の連載を始める。のちに朝日新聞に掲載紙を変えて1974年2月まで連載された。連載最後は休載という形での終了だった。『サザエさん』は姉妹社より書籍版が68巻まで発行された(のちに朝日新聞社の刊行で45巻に組み直されて再発売された)。


『サザエさん』の連載開始と同時期に「週刊朝日」に『似たもの一家』を連載。この作品の主要人物である伊佐坂家の人々は、のちに『サザエさん』の連載にもレギュラー出演することとなった。


コミックエッセイ「サザエさんうちあけ話」でサザエさんの連載末期と思われる頃に胃の強烈な痛みに襲われ、入院のち手術を行っていた事を明かしていた。しかし、うちあけ話では胃潰瘍と本人は記述していたのだが、後年実妹のエッセイ(サザエさんの東京物語)で実は胃癌であった事が明かされた。この事を匂わせるのがうちあけ話にもあり、入院中に新設されたがんセンターに移動した事は描かれている。なお、癌になる事を非常に恐れていたらしく(義弟の死因が癌だった)、周囲には癌になったら自殺するとまで語っていた為に家族は町子には生涯その事実を教えていなかった。


サザエさんの連載終了以後は徐々に漫画家の活動から離れていった。最後に手掛けたのは自身のエッセイ漫画第二弾「サザエさん旅歩き」。


1992年に自宅での転倒による負傷が元で逝去(70歳没)。死後1か月間は逝去が公表されなかった。死後に国民栄誉賞を追贈される。


1993年頃に長谷川家の墓所から町子の遺骨が盗まれる事件があった。脅迫状が届いたらしく遺族はこれに応じるべく新聞広告を出したが、後日犯人から何の連絡もないまま遺族の元に遺骨を隠しているコインロッカーの鍵が届き、無事に戻ってきている。結局犯人は見つからず未解決事件のままである。

この事件と似た事件が同じ頃に他でも先に起きており、同一犯か模倣犯かもわからない。


私生活

長女・毬子、次女・町子、三女・洋子の三姉妹として知られているが、町子と洋子には長女の鞠子の他に実は5歳で夭折した姉(次女)がいた。

その為、戸籍上では四人姉妹である(町子は三女、洋子は四女)。


一度も結婚せず生涯独身を貫いた、これは実父が末妹誕生後すぐに病死し、毬子の夫が太平洋戦争による戦死、そして洋子の夫も35歳の若さで病死した為と言われている。洋子には子供が2人いるがどちらも娘である、詳細はうちあけ話の中に掲載されている。なお、町子自身は結婚願望があまり無かったらしい反面、実子の願望も考えていたらしいが、姪二人が子供の頃から一緒に暮らしていた事でその願望は解決した形となっていたようだ。


自身の分析では女所帯だが、姉・自身・妹がある意味父親的な役割もあったと振り返っている。

三姉妹の父親が短気なところがあったとの事で、しかも三人が三人ともその短気なところを受け継いでしまったらしく、かつては毬子と町子が些細な事で喧嘩して町子が連載中に家出した事もあった程。加えて実母も家では独裁者的存在だったために、箱根に別荘を購入した件でも大衝突が起きたほどであった。


毬子も実は元は画業(洋画家・挿絵画家。今でいうところのデザイナーイラストレーター)を手がけていたのだが、姉妹社の設立によって同社廃業・長谷川町子美術館創設まで実業家(編集・出版業)に徹した。


なお、姉妹社は実質長谷川家で、後継の長谷川町子美術館含めて現在の世田谷区桜新町にあった。


後年、長谷川三姉妹は洋子が毬子・町子との間で「ほんのささいな事(長谷川家が新宅を構えて移住する際に洋子は旧宅にとどまりたいと主張したらしい)」で起きた絶縁状態にあるという。ただし、これは洋子の言及であり、毬子と町子側は絶縁状態を生前に一切言及せずに他界している為、本当の絶縁理由は不明である(洋子は実業家として活動していた為、独立が関わっているとも)。これは最後の漫画作品である「サザエさん旅歩き」でも洋子は一部回想ぐらいでしか登場していないことからも、この時点で既に絶縁状態にあった事が窺える。

その絶縁関係は毬子が町子逝去の際、洋子に対しては関係者に箝口令を敷いた程であり、密かにそれを知らされた洋子は長谷川家の遺産相続の権利を一切放棄したという。

2012年に毬子も死去、姉二人がこの世を去って以降の長谷川家と洋子の現在の間柄はどうなっているのかは不明だが、長谷川三姉妹で唯一存命しているのは洋子だけとなった。


なお、長谷川家には末妹である洋子の孫でイラストレーターのカミーユ=彩瑛・長谷川・ロワイエ(日仏ハーフ・洋子の長女の娘)がいる。運命か偶然なのか大伯母達と同じく画業の道を歩んでいる。


クリスチャンであるが、教会を転々としている過去から宗派は不明。自身では無教会派を信仰していると自認していたとされる。


代表作

以下の作品はすべて姉妹社(長谷川家の私設出版社)より刊行されていた。

ただし姉妹社は町子の死後に解散となり、前述の通り版権は発展改組の上で姉妹社の後継団体となった長谷川町子美術館に移行しており、現在の出版活動は主に長谷川の生前より付き合いのあった朝日新聞出版(朝日新聞の出版事業を分社化の形で継承した会社)などより成されている。


  • サザエさん:説明不要の4コマ漫画。アニメ化・ドラマ化もされている。
  • 別冊サザエさん:4コマの『サザエさん』とは別エピソードのショートコミック。
  • よりぬきサザエさん:『サザエさん』より名作を選び出し再収録したもの。
  • いじわるばあさん:こちらも説明不要の4コマ漫画。ドラマ化・アニメ化もされている。青島幸男主演版ドラマが有名。
  • エプロンおばさん:4ページ程度の短編漫画が基本だが4コマも平行して発表されていた。3度ドラマ化されている。
  • サザエさんうちあけ話:長谷川の自伝を漫画(絵物語絵心経を含む)形式でつづった作品。1979年NHK連続テレビ小説マー姉ちゃん』(主人公は毬子)として、また、2013年フジテレビ金曜プレステージ『長谷川町子物語 ~サザエさんの生まれた日~』(主人公は町子)として、それぞれドラマ化。
  • 似たもの一家:上記のとおり、伊佐坂家が初登場した漫画。
  • 仲よし手帖:戦前時代の代表作。
  • 新やじきた道中記
  • サザエさん旅あるき:最後の作品。
  • おたからサザエさん:掲載当時の時事ネタが強い、オチがわかりにくい(意味不明)等の理由で単行本未収録となった作品を収めた作品集。

アニメ化作品

  • サザエさん
  • いじわるばあさん

版権に関して

姉妹社は作品の版権管理が厳しい事でも知られている。そのきっかけになったのはサザエさんの単行本の海賊版の存在、決定的となったのはとあるバス会社が無断でサザエさんを使ったバスを運行した事で裁判にまで発展した事である。その為、長谷川作品のキャラクターを商用利用できるのは長谷川の生前に契約した企業のみであるとされている。ただし、教科書での歴史資料としての引用や公的機関のポスター採用など非営利目的での利用・引用は例外だと思われる。

姉妹社解散後は先述の通り、長谷川町子美術館が全ての版権管理を行っている。

また、アニメ版サザエさんのビデオDVDブルーレイソフト化も現在に至るまでリリースはされていない。


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