概要
『インディ500』『ル・マン24時間』と並ぶ世界三大レースの一つで、毎年5月の最終日曜日に決勝が開催されている(2026年以降からは6月開催になることが発表されている)。
モナコ公国のモンテカルロ市街地を縫うようにサーキットが作られており、普段は一般道路として使用されているが、モナコGPが開催される週になると道路は封鎖されて仮設スタンドが設けられる。1周が3.340kmとF1サーキットの中では最も短く、かつストレートがほとんどないため、コースの平均速度は160km/h程度と最も遅い。そのうえ道幅も狭いため、コース上の抜き所がほとんどないと称されている。なお、F1が開催されるサーキットで唯一トンネル(洞門)がある。
このようなサーキットであるが、1929年から開催される格式高いレースであることや、高いテクニックを要求されることからF1ドライバーの間でも「モナコは格別」という者が多く、優勝者には「モナコ・マイスター」の称号が与えられる。また、F1グランプリを開催する場合、主催者のFOMへ開催使用料を支払う必要がある(大抵20億円から60億円)が、モナコだけは免除となっていた。しかし、近年はF1の商業面を取り仕切るFOM(フォーミュラ・ワン・マネージメント)が米国企業『リバティ・メディア』に買収され、国際的なグランプリ招致合戦が過熱している事もあり、(他国GPと比して安価ではあるものの)開催使用料を支払うようになっている。
ちなみに、モナコGPの開催時期がインディ500と重複していることから、同一年に世界三大レースを制覇することは不可能となっている(6月開催のル・マン24時間とのダブル優勝は可能)。
最多優勝はアイルトン・セナの6回で、特に1989年から1993年まで5連覇を達成している。特に1992年のナイジェル・マンセルとの(残り5周からの)デットヒートは伝説となっている(メイン画像がその様子)。
特徴
表彰式
本来であればピットの階上にある表彰ステージが、モナコの場合は王室が観戦するためのロイヤルボックスの階下にある。そのロイヤルボックス付近に停められるのは上位3台のみで、それ以外は停めることができない。
また、モナコ公国の大公がレース後の表彰式に参加することから、かつては表彰ステージ上でのシャンパンファイトは禁止されていた(2019年まで。もしシャンパンファイトを行う場合はコースに降りて実施していた)。しかし、1987年のモナコGPでアイルトン・セナが初優勝した際、(余りにも喜び過ぎたのか)表彰台上からシャンパンファイトをしてしまい、しかもそのシャンパンがレーニエ大公3世(当時)に掛かってしまった事から、後に主催者やチームから雷を落とされた。しかし、2021年以降からはコース上に下りることは無くなったため、現在は(通常通りに)表彰台上でシャンパンファイトが行われている。そして、2024年のモナコGPではシャルル・ルクレール(フェラーリ)がモナコ人初の母国優勝(1950年から始まったF1世界選手権では初、それ以前のものも含めると1931年のルイ・シロン以来、実に93年ぶりである。また、モナコGPで地元出身のドライバーが表彰台を獲得したのも、1950年のシロン以来74年ぶりとなる)を飾り、現モナコ大公であるアルベール2世は歓喜の余り、シャンパンファイトに参加した。
その他
- 1993年に石橋貴明がフジテレビのモナコGPのTV中継にゲスト出演したが、ミハエル・シューマッハ(ベネトン)がエンストすると「やってもうたあ!」と叫んだり、さらに10秒ペナルティストップを受けたアラン・プロスト(ウィリアムズ)に「僕がタイヤに穴をあけておいた」など頓珍漢(本人は笑いを取るつもりだったらしい)なことを言ったため、このGPの解説を担当していた今宮純氏が「もうあいつを二度と呼ぶな!」と激怒したらしい。これにより、石橋はフジテレビのF1中継に二度と呼ばれなくなってしまった。
- 1995年のモナコGPに出場した井上隆智穂(タキ井上)氏は、フリー走行中にマシンが止まってしまって乗車したままロープで牽引されているところを、偶然通りかかったオフィシャルカーに衝突され、マシンが横転してしまった。幸い井上は無事であったが、その様子を見ていたミハエルは大爆笑したらしい。