概要
1969年1月3日生まれ、西ドイツ(当時)出身の元F1レーサー。
フェラーリチームの黄金時代を築き上げ、同チームを象徴するドライバーであった。
チャンピオン獲得回数7度、通算優勝91回、通算PP獲得68回、通算ファステストラップ獲得76回でいずれも歴代1位の記録を塗り替えている成績を残している。このうち優勝回数とPPではルイス・ハミルトンに破られて、チャンピオンも同率1位に並ばれているが、ファステストラップ記録は依然として守られている。
あまりの速さに「湾岸戦争の原因はミハエル・シューマッハ」「クルマが3台に見える」「クラッシュしても1位を取れる」などという冗談が作られたほど。
速さはもちろんのこと、知将ロス・ブラウンの立てた緻密な作戦を完璧に遂行する、正確無比にして冷徹なドライビングから「サイボーグ」「ターミネーター」などと呼ばれ、フェラーリ時代は「赤い皇帝」の異名をとった。
また彼の特徴的な顎は実況の古舘伊知郎から「顔面三浦半島」という、現代のポリコレ基準ではスレスレなあだ名をつけられており、ネット上でも「顎」という愛称で呼ばれている。
F1には1991年にベルギーGPでジョーダンからデビューし、同年の次戦イタリアGPから移籍したベネトンで2度のワールドチャンピオンを獲得。
1996年にフェラーリに移籍後、2000~2004年までのチャンピオンシップ5連覇を含む上記の記録を打ち立てて2006年に一旦現役を引退した。
2010年にメルセデスGPからF1に復帰するが、年齢的な衰えもあり予選1位(ただしペナルティでポールポジションスタートとはならず)と3位表彰台を各1回獲得できたのみであった。チームメイトで後にチャンピオンとなるニコ・ロズベルグにもランキングで勝てず、2012年に再度引退した。
翌2013年、息子と出かけたスキーで転倒し、頭部を強打する事故に見舞われる。
これ以降表舞台から姿を消しており詳細は不明だが、関係者によると深刻な後遺症を負い、歩行はおろか意思疎通すらもろくに出来ない状態だという。
不定期に彼の病状についてのスクープがされるものの、その多くは家族によって否定されており、2024年現在も回復の見込みは立っていない様子である。
余談
- その圧倒的な成績から、今なお史上最高のF1ドライバーとの呼び声が高く、F1ファンからはセナと並び崇拝の対象となっている。なおシューマッハのキャリア初期とセナのキャリア末期は重なっており、シューマッハが初めてチャンピオンとなった1994年は、セナがイモラで事故死した年でもあった。二人共感情的にケンカをする場面もあったが、シューマッハはセナの優勝記録である41勝を抜いた時(2000年イタリアGP)の会見で涙で声を詰まらせており、心の底では尊敬していたことが分かる。
- ダーティなドライビングはしばし槍玉に挙げられており、事実彼がポイントやポジションで有利な立場にいる時にライバルとの接触により勝者となるという、疑惑のドライビングは多い。実際に1997年は最終戦ヘレスでのヨーロッパGPでそれをやって、全ポイントを剥奪されている。また生前のセナにもラフなドライビングを咎められ、懇々と諭されるシーンもあったが、これについてはセナもたいがい(1990年最終戦など)で、おまいうという意見も見られる。
- 弟のラルフ・シューマッハも元F1ドライバーで、現役時代はウィリアムズやトヨタで活躍し、6勝をマークしている(ただし兄弟仲はそれほど良くはなかったらしい)。息子のミック・シューマッハもレースの道を歩み、2021年にハースでF1デビューしている。ミハエルとラルフの混同を避けるため、日本では「ミハシュー」「ラルシュー」の略称で呼び分けられることがあったが、現在では「シューマッハ」と言うとミハエルを指すのが一般的である。
- F1のイメージが強いシューマッハだが、1991年までの間でグループCのル・マン24時間やWSPC(世界スポーツプロト耐久選手権)、さらには全日本F3000(現在のスーパーフォーミュラ)にも出走したことがある。またバイクにも興味を持っており、一度目のF1引退後はドイツ国内のスーパーバイク選手権にも参戦した。
- フェラーリ時代にタイヤ供給を受けていたブリヂストンの浜島裕英とは懇意にしており、強い信頼関係を結んでいた。
- 全盛期の年収は8000万ドル(約93億2000万円)と言われ、世界のスポーツ選手の中ではタイガー・ウッズに次ぐ2位だった。
- 現役時代、2ちゃんねるやアンサイクロペディアでは「彼が速いのは尖った顎によりドライバー自身の空力性能が良いから」という理由付けが見られた。もちろんネタであり、実際には顎もろともヘルメットで覆われているため、ドライバー自身の格好が空力に影響することは無い。