フェラーリ(伊:Ferrari)とは、
- イタリア語圏の姓。フェッラーリとも。原義は鍛冶屋で、ポルトガル語などのフェレイラ(Ferreira)に対応する。
- イタリアに本拠地を置く自動車メーカー『Ferrari』が販売する自動車の総称。一般的に成功者の証として認知されているほか、赤いカラーリングのF1カーが有名である。
pixivではほとんどが自動車メーカーを指すタグとして使用され、自動車やF1カーの画像が大半を占めている。
自動車メーカーについて
概要
「ハイウェイの芸術品」とも言われ、流麗なボディースタイルと高い走行性能を兼ねた、いわゆる「スーパーカー」を多く世に送り出しているメーカーである。
イタリア人ならば、たとえクルマに興味の無い人間であっても、同じ国に生まれたことを誇りに感じるメーカー・レーシングチームである。
熱狂的なフェラーリファンは「ティフォシ」と呼ばれる。
歴史
創業者である、エンツォ・フェラーリは若い頃からレーシングチームで活躍していた。
1919年、数々のレースで奮闘を見せ、それを見ていたアルファロメオのチームから声がかかったことから、全てが始まる。
数々のレースを経て、アルファロメオチームの主力となったエンツォは、1925年にムッソリーニの政策がきっかけとなり、アルファロメオからレーシングサービス部門を任されることとなる。
現在もF1シーンにその名を連ねる、「スクーデリア・フェラーリ」が誕生したのは、それから4年後の1929年であった(スクーデリア:Scuderia=馬小屋、厩舎)。
「フェラーリ」が表舞台に登場し、モータースポーツでその力を振るっていく、その瞬間である。
ムッソリーニ率いる政権は自動車レースを国政とし、「イタリアのためにレースに勝て!」とエンツォを何度も励ましたとも。
1923年に始まった"ミッレミリア(イタリア北部1000マイルを走破するレース)"を許可したのもムッソリーニである(時を同じくして、ドイツのヒトラーも同じ政権を用い、イタリアとしのぎを削っていた)。
レースに負けが続くと、次第にフェラーリ側と、親のアルファロメオ側に亀裂が生じてくる。
最終的に両者は決裂し、エンツォは退職。以降4年間、「馬小屋」のネーミングは使用されなかった。
転機が訪れるのは1939年。ミッレミリアに参戦するためのマシーン製作の注文が入ったことから始まる。
惜しくも製作された2台は1500kmの長丁場に絶えられず共にリタイアしている。
そして1940年、第二次世界大戦へ突入し、敗戦を経て、1946年までその活動を中断することになる。
F1世界選手権
1950年の開幕初年度から、2024年現在まで参戦している唯一のチームとなっている。F1の黎明期である1952・1953年には早くもチャンピオンとなり、以降もDFVエンジンに対抗する唯一の勢力として、跳ね馬の矜持を持って対抗し続けた。
しかしターボエンジン全盛期になると1980~1999年の20年間は一度もチャンピオンを取れないという低迷期を経験した。
1996年にベネトンからミハエル・シューマッハが移籍してから少しずつ戦闘力を向上させていく。2000年にはロス・ブラウン、ロリー・バーンと3人の天才が揃ったことで黄金時代を迎え、ミハエルは2000年から2004年(コンストラクターは1999年から2004年まで)までドライバーズタイトルを5連覇した。この時ちょうどF1はジャガーやBMWなど、多数の自動車メーカーが参入した絶頂時代でもあったため、まさに「F1にフェラーリあり」を強く印象づけた。
しかし2007年にキミ・ライコネンがワールドチャンピオンを獲得して以降(コンストラクターズタイトルの獲得は2008年が最後)は再びタイトルから遠ざかっており、2023年現在まで16年に渡り苦戦が続いている。
時に勝てるレースをチーム戦略のミスで失うといった展開もあり(最近だと2022年のモナコGP、チーム側の戦略ミスでルクレール、サインツの2台を同時にピットインさせてしまった)、そのような様を日本のファンからはしばしば「俺たちのフェラーリ」と揶揄されて(しまって)いる。特に前述した2022年シーズンは久々にチャンピオン争いも可能なポテンシャルを秘めたマシンとなっていたにもかかわらずドライバー・コンストラクターズ双方のタイトルでレッドブルに水を挙げられてしまったことで、尚更「俺たち」こと戦略の失敗が槍玉に上げられている。
2023年でも相変わらずの調子であり、しかもライバルが増えたのでなおさら苦戦続きである。
「俺たち」の元ネタはリンクに示した通りだが、ファンからはカラーリングも相まってむしろ阪神と同一視する見方が根強い(参考)。上記の画像はイタリアGP特別仕様のマシンだが、公開当時エンジンカバーの配色がもろにソレだとしてネタにされた。
GT
この分野ではフェラーリはジェントルマン・ドライバーの憧れであり、今も昔も大変人気が高い。世界的に隆盛を極めているFIA-GT3は勿論のこと、ル・マン24時間では稀少なLM-GTE仕様(ル・マン耐久グランドツーリングカー)を開発するメーカー。F1と異なり成績も好調で、多数のクラス優勝を挙げている。
また総合優勝の経験もあり、1960年代にプロトタイプスポーツカーで無敵の6連覇を成し遂げている。
2023年には世界耐久選手権にて半世紀ぶりにプロトタイプ(ハイブリッドハイパーカー)での復帰を果たし、この年のル・マン24時間では6連覇を狙うトヨタを下し58年ぶりの総合優勝を勝ち取り、翌年のル・マン24時間でもトヨタの猛追を躱し2連覇を果たした。
デザイン
フェラーリ車のデザインの大半はカロッツェリアの「ピニンファリーナ」の手によるものが多い。
ボディーサイドに控えめに付けられた"Pininfarina"のエンブレムがそれを示している。
その他、ザガートやギア、ベルトーネの手がけたモデルも存在する。
低く、幅のあるボディーになめらかな曲線を絶妙に構成させたそのスタイリングは、トップモデルスポーツカーの「指標」と言っても過言ではない。
余談だが、"エンツォ・フェラーリ"や"612スカリエッティ"、"599GTBフィオラノ"は日本人デザイナーである奥山清行氏(Ken Okuyama)が手がけている。
性能
スーパーカーの代表格と言えど、実際には同世代のスーパーカーの中で特にずば抜けた性能を誇っているというわけではない。しかし、フェラーリ車に込められた魂は他のメーカーの比でないことは確かだ。
12気筒エンジンを搭載する"512BB"は当時ランボルギーニ・カウンタックと世界最速を争っていたし、"599XX"はモンツァで"FXX"を1秒上回る1分17秒というタイムレコードをたたき出し、ニュルブルクリンク北では6分58秒をマークしている。
2011年には、実用性を重視した同社初の4WDモデル"FF"をロールアウトしたことで話題となった。
しかし、あまりメンテナンスを考慮してないのか、整備費は少々かさんでしまうため、ランニングコストは優れているとは言えない。そこは「イタリア車の愛嬌」といったところか。
市販車のラインナップは全て8気筒以上のコンベンショナルモデルであったが、F1すらもダウンサイジングターボ+ハイブリッドカーになるような時代の趨勢には逆らえず、2013年には初めてハイブリッドシステムを採用した"ラ・フェラーリ"、2019年にはモーターのみでの走行モードを実装したフェラーリ初のプラグインハイブリッドカー"SF90"、2021年にはプラグインハイブリッドに加えフェラーリブランドとしては初のV6エンジンを搭載した"296GTB"を発売している。
エンブレム
フェラーリといえば、その鮮烈な赤色のボディカラー「ロッソコルサ」もまた有名だが、"跳ね馬"と呼ばれ親しまれるエンブレムも忘れてはいけない。
「黄色の盾に黒馬」の紋章、"Cavallino Rampante(カヴァリーノ・ランパンテ)"が正式名称である。
これは、第一次世界大戦のイタリアの撃墜王フランチェスコ・バラッカ大佐の愛機の胴体に張ってあったスクデリア91a部隊の紋章が元となっている。
エンツォがとあるレースで優勝した際、観客に自宅に招かれ、そこで差し出された黒い馬のマークが描かれていた布切れこそが、その紋章であった(実は、エンツォの兄が偶然にしてスクデリア91a部隊に所属していた)。
「名誉の戦死を遂げた息子からの贈り物だと思って受け取って欲しい」と言われ、手渡されたエンツォは早速それをエンブレムとし、車に取り付けた。この紋章を手渡した人物は、バラッカ大佐の両親であった。
参考出典、文章引用:「イタリア車のデザイン」
主な車種
余談
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こうなってしまう原因としては、この車の名前の上3文字が卑猥なワードとなってしまっている為、検索エンジンの規制に引っかかってしまっているのではないかと思われる。