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概要編集

マセラティ(Maserati)とは、1914年にイタリアのボローニャで設立された高級スポーツカーメーカーである。


数々の会社存続の危機を乗り越えイタリアのモデナにてフィアット社傘下のMaserati S.p.Aとして生産を続けていたが、現在はステランティスの高級車ブランドとなっている。


歴史編集

創業期編集

創業は1914年。マセラティ家の7人兄弟の四男にあたるアルフィエーリ・マセラティと弟のエットーレ、エルネストが創業する。

アルフィエーリはドライバーとしてもエンジニアとしても活躍し、瞬く間に知名度を上げる。

しかし、1929年に世界恐慌が発生。その上1932年にアルフィエーリは他界。兄弟は苦境に立たされたと思ったが、徹底した顧客至上主義により無数の自動車メーカーが消滅した中も生き延びることに成功する。


オルシ家の時代編集

それでも経営は難しく、政治的な混乱も続いていたため、1937年にモデナの財閥・実業家であるオルシ家にブランドを渡し、兄弟はコンサルタントとして10年間在籍した。しかしそれでも第二次世界大戦の物資不足、戦後の混乱に見舞われ苦しい状況が続いた。

1950年代。ようやく事態が好転し、市販車の販売もレースでの活躍も目立つようになる。


シトロエンの時代編集

1965年、フランスの自動車会社シトロエンとマセラティの間でエンジン開発がスタートし、1968年、財政が厳しくなったオルシ家から段階的にシトロエンに株式が渡り翌年傘下になる。

この時代は豊富な資金を背景に新規モデルに対する先進技術の投入が目立ったが、オイルショックにより事態が一転したため1975年に資金が凍結されてしまう。


デ・トマソの時代編集

シトロエンが離れ、再び危機が迫ったマセラティ社に対し救いの手を差し伸べたのは、わずか100ドルでマセラティ社の株式の30%を手中に収めたアレッサンドロ・デ・トマソであった。

1981年。市場のニーズを的確に掴んだアレッサンドロは「手頃な価格でコンパクトかつ高級感とハイパフォーマンス性を兼ね備えた車」を大量生産することを決定する。これが現在まで語り継がれる、悪名高きマセラティ・ビトゥルボである。


フィアットの時代①編集

最初こそビトゥルボは大成功を収めたが、後に壊れやすく信頼性に欠けるという悪評が広まってからは大量の在庫を抱えてしまう。1989年にマセラティの株式の49%がイタリアの自動車会社のフィアットに渡りフィアットグループの傘下になる。1993年にアレッサンドロが心筋梗塞で倒れると残りの株式もフィアットが取得し、品質改善やニューモデルの開発に力を注ぐもののフィアット社自体の経済面の厳しさから根本的な改善は中々進まなかった。


フェラーリの時代編集

1997年。かつて、永遠のライバルでもあったフェラーリ社の傘下になったマセラティは人材交換や工場のリニューアルを行い、品質改善やブランドイメージの回復を図った。

これが功を奏し、北米市場へ参入し成功を収める。さらにピニンファリーナとのコラボレーションやSUVマーケットへのリサーチ、魅惑的なコンセプトモデルを発表し、再びラグジュアリーでハイパフォーマンスなブランドとして認知されるようになった。


フィアットの時代②編集

成功を収め生産台数も増えたマセラティであったが、フェラーリ社の資金力では支えられなくなったため2005年に再びフィアット社傘下となる。工場の新設や魅力的なニューモデルを開発して2018年までに年間75000台を作るという目標を設定している。




現行販売モデル編集


ギブリ

  • V6エンジン搭載のエントリーモデル。3代目にあたるが、先代までの2ドアクーペではなく4ドアセダンモデルとなっている。

クアトロポルテ

  • V8エンジン搭載モデルのフラッグシップサルーンモデル。5代目はピニンファリーナの奥山清行によるデザイン。現在は6代目

グラントゥーリズモ

  • V8エンジン搭載のクーペモデル。

グランカブリオ

  • グラントゥーリズモのオープントップモデル

MC12

  • MC12の後継になるスポーツカー。

グレカーレ

  • レヴァンテ1つ下に当たる、マセラティ初の小型SUV。

過去販売モデル編集


ボーラ

メラク

カムシン

キャラミ

ビトゥルボ(スパイダーなど多数の派生モデル有り)

3200GT

クーペ

スパイダー

グランスポーツ

MC12(フェラーリ・エンツォの兄弟車)

レヴァンテ


余談編集


・芸能人の堺正章は世界的に有名なマセラティのファン(マセラティスタ)である。

・マセラティ・ビトゥルボは「美しいがよく壊れる」というイタリア車の代名詞的存在。日本でのイタリア車に対する偏見はだいたいこいつのせい。

・やらかしたのはデ・トマソというイメージも根強いがフラッグシップのクアトロポルテを復活させたのは紛れも無い功績の一つである。

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