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概要編集

名前はドイツ語読みだと「フェテル」であるが、英語読みの「ベッテル」が定着している。


レッドブルの育成プログラムでステップアップしている最中に、2007年にBMWザウバーへレンタルされて、前戦のカナダで大クラッシュを喫したロバート・クビサの代役としてアメリカGPでF1デビュー。この時8位入賞を果たし、当時の史上最年少入賞を果たした。


同年のハンガリーGPから前戦のヨーロッパGPでチームを解雇されたスコット・スピードの代わりとしてレッドブルのbチーム的存在であるスクーデリア・トロ・ロッソからレギュラー参戦を開始。翌2008年に雨のイタリアGPで初優勝を飾り(前身のミナルディを含めてチームとしても、またフェラーリのカスタマーエンジンの初優勝でもあった)、翌年にレッドブルへ昇格。2010年にチームメイトのマーク・ウェバー、フェラーリのフェルナンド・アロンソとの三つ巴の死闘を制して当時の最年少チャンピオンを獲得。


以降はライバルを全く寄せ付けず、V8自然吸気エンジン規定最後の2013年まで4連覇を達成し、母国の先輩であるミハエル・シューマッハの記録に迫る唯一の存在と目された。


RB5 セバスチャン・ヴェッテル

だが2014年にPU(パワーユニット)規定に変わった途端、レッドブルはルノーPUの競争力不足もあり低迷する。加えてこの年からレッドブルに加入したダニエル・リカルドがベッテルを上回る成績を残し始め、それ以前までの蜜月はどこへ消えたのか、チームとの関係も著しく悪化した。この年ベッテルは1勝もできず、フェラーリへ電撃移籍することになる。


フェラーリに加入してからもメルセデスの独走を止められなかったが、ベッテルは幾度かの勝利を挙げてランキング2位につけるなど、唯一ルイス・ハミルトンを脅かす存在として戦った。しかし契約最終年となった2020年は、前年からフェラーリに加入していたシャルル・ルクレールより大幅に下の13位という惨憺たる結果に終わった。

Ferrari F1 SF-15T

2021年からアストンマーチン(旧フォースインディア)へと移籍。チームメイトはランス・ストロール。第6戦アゼルバイジャンGPでは、チームへアストンマーチンへの改称後初となる2位表彰台をもたらし、結果的には燃料の残量不足で失格になったものの第11戦ハンガリーGPではサバイバルレースを生き残って2位でフィニッシュするなど、まずまずの成績を納めた。

2022年もアストンマーチンに残留。しかしシーズン開幕直前に新型コロナに感染してしまい、開幕戦のバーレーンGPとサウジアラビアGPのシートをニコ・ヒュルケンベルグに譲った。

第3戦のオーストラリアGPから復帰。復帰初戦はリタイアに終わったものの、翌第4戦エミリアロマーニャGPでチームにこのシーズン初となるポイントをストロールと共にもたらした(ベッテル8位、ストロール10位)。その後もモナコ、アゼルバイジャン、イギリスで入賞を記録した。

その一方でこの年でチームとの契約が切れることから、残留なのか移籍をするのか注目を集めていたが(一時はマクラーレンに移籍するという噂もあった)、ハンガリーGP開幕を翌日に控えた7月28日にインスタグラムへ自身初の公式SNSアカウントを開設、記念すべき初投稿でビデオメッセージにて自らの口から引退を発表した。

その後もシンガポールGPでストロール6位、ベッテル8位で再びダブル入賞、雨で大混乱となった日本GPではフェルナンド・アロンソとの激闘の結果、僅差で6位入賞するなど、引退が惜しまれる程の活躍を見せた。

最終戦アブダビGPでは10位フィニッシュ、F1側の特別な計らいで1位から3位までのドライバー(順にマックス・フェルスタッペン、シャルル・ルクレール、セルジオ・ペレス)と共にドーナツターンが許可され、レースフィニッシュ直後のホームストレートで披露した。

引退後は以前より興味を示していた環境問題に取り組んでおり、その一環で2023年の日本GPに登場。鈴鹿サーキットの2コーナ内側に昆虫ホテルを現役ドライバー達と共に設置、2コーナーの縁石を蜂を思わせる黄色と黒に塗り替えた。


人物編集

レッドブルでの黄金時代では、ウェバーに対してえげつないチームオーダーが行われていたり、ヒートアップしたときは暴言も吐いていた(2012年のマレーシアで変な動きをする周回遅れのナレイン・カーティケヤンに対して「きゅうり」呼ばわりなど)ことから性格が悪いという印象もあったが、実際はキミ・ライコネンも認めるほどの好人物である。

2021年ベルギーGP予選でランド・ノリスが激しくクラッシュしたときは真っ先にマシンを止めて無事を確認したり、ロシアウクライナ侵攻に対してはいち早く反発の意志を示していた。シューマッハとも懇意で、彼の息子であるミックのレース活動を支援している。


50年前の2ストロークの日本製バイクを色々持っているらしく、F1の会場にも持ち込んでいる。


ベッテルは長年の苦労か、一時はかなり髪の毛が薄くなっていたが、アストンマーチン時代以降ではふさふさの髪を取り戻している。



記録編集

F1において下記のような数々の新記録を樹立している。ただし下記の多くは、同じくレッドブル育成出身のマックス・フェルスタッペンに塗り替えられてしまっている。

(データは2015年8月時点)

最年少記録

・ラップリーダー:20歳89日

・ポールポジション:21歳72日

・表彰台:21歳73日

・優勝:21歳73日

・ポールトゥウィン:21歳73日

・ハットトリック:21歳353日

・ワールドチャンピオン:23歳134日

・2年連続ワールドチャンピオン:24歳99日

・3年連続ワールドチャンピオン:25歳145日

・4年連続ワールドチャンピオン:26歳116日

最多記録

・年間ポールポジション数:15回(2011年)

史上初記録

・初タイトル獲得から4連続ワールドチャンピオン(2010年~2013年)

・1シーズン9連勝(2013年第11戦ベルギーGPから最終戦ブラジルGP)

関連タグ編集

ベッテル レッドブル F1

小林可夢偉…元チームメイトで、仲が良かった。ベッテルと可夢偉がF1で一緒に表彰台に立った2012年鈴鹿のお立ち台では、「べっちゃん」と呼んでいたことが判明している。

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