九州旅客鉄道 800系新幹線電車
JR九州が、九州新幹線の開業に際し製造した新幹線電車。700系をベースにして九州新幹線区間の急勾配対策等を施した。車両内外装デザインは水戸岡鋭治氏が担当。
九州新幹線において「つばめ」「さくら」に使用。山陽新幹線に乗り入れることも想定されており、博多までの開業前の試運転時には同線内を走行しているが、現時点で営業運転では乗り入れの実績はない。
番台区分
- U001~U005編成
0番台。2004年3月13日の先行開業に備えて製造された。U005編成は熊本地震被災により2018年に除籍。
- U006編成
0番台。2005年に増備。
- U007~U009編成
2011年3月12日の全線開業に備え、2009年~2010年に増備。デザインが一部変更されている。九州新幹線内はこの3編成が「ドクターイエロー」の代わりの役目を果たしており、検測を行うときは専門スタッフが同乗、回送列車として運行される。
⇒U007・U009編成:軌道の検測を可能とする装置が搭載可能な「1000番台」。
⇒U008編成:電力、信号、通信の検測を可能とする装置が搭載可能な「2000番台」。
東武鉄道 800系電車
東武鉄道8000系をワンマン運転対応化改造して誕生した車両。⇒東武8000系
秩父鉄道 800系電車
ドアカット機能と制御車の連結面側に両開きの仕切り扉を設置したのみで、小田急時代の原番号から1000を減らしただけの車番で運用された。
22両が譲渡されたがうち2両は部品取りであり1981年に解体された。
列車無線もついたまま譲渡されたため、秩父鉄道でも列車無線を使用した。
1985年には車体塗装を黄色地に黒帯の新塗装に塗り替えたが、翌1986年に1000系(元国鉄101系)が導入されたことに伴い1990年までに全車廃車となった。
デッドマン装置付きマスコンと種別幕が1000系に転用された。
多くの車両が倉庫などに転用されたとされるが、大部分が解体され現存が確認されているのは渋川市内のデハ801とクハ851(車体前半部のみ)の2両のみである。
京阪電気鉄道 800系電車
京阪電気鉄道が京津線において運用する通勤形電車。1997年10月運用開始。京都市営地下鉄東西線に直通運転している。京津線は大津市内の一部区間が併用軌道(路面電車)となっており、日本で唯一の地下鉄区間と併用軌道区間を直通する(しかもその間に日本国内でも有数の急勾配区間が存在する)電車となっている。
京阪神急行電鉄 800系電車
京阪神急行電鉄→阪急電鉄が1949年に導入した通勤型電車。製造はナニワ工機。
神戸線向け新造車として製造され、運輸省規格型車体から離脱した独自設計が行われた。
登場時は700系を名乗ったが、京都線の700系と重複するため1950年に改称された。
電動車700→800形と制御車750→750形の2両編成5本が製造された。
1950年6月に2両編成2本が増備されたが、半鋼製車体で前面貫通型だった1次車とは異なり全鋼製車体で前面非貫通となっているなどの相違点から805系と区別されることもある。
一部の車両は当時直流600V電化だった神戸線と1500V電化の京都線を直通するため複電圧車に改造されたほか、1950年3月に阪急西宮球場周辺で開催されたアメリカ博覧会宣伝のため阪急では珍しい黄色地に青帯の塗装を纏ったこともある。
神戸線の編成両数が増えるにつれて前面非貫通の2次車にも貫通扉の設置が検討されたが、最終的に中間に920系を組み込み4両編成とすることで対応した。
神宝線の昇圧に合わせて直流1500V対応改造が施され、1次車は全鋼製車体に、前照灯シールドビーム2灯化、窓枠の軽金属化、雨樋の取り付けなどの更新が行われた。
神戸高速鉄道開業に伴い特急運用から離脱。1970年代ごろまでは7両編成の先頭に立つこともあったが1970年代後半に本線系での運用を終了。末期は甲陽線で3両編成で運行されていた。
1982年に全車廃車となり形式消滅した。
804号車の運転台部分が宝塚ファミリーランドに展示され、閉園後は正雀工場に保管されている。
1964年の映画『黒い海峡』の六甲駅のシーンに805-855編成が登場している。
叡山電鉄 800系電車
叡山電鉄が運用する通勤形車両。京阪電気鉄道鴨東線が開業し、「孤立路線」状態が解消されたことから、輸送力増強と従来車代替を兼ねて1990年から1995年までに2両編成5本が製造された。
近江鉄道 800系電車
近江鉄道が運用する通勤形車両。1990年から1997年にかけて西武鉄道から譲り受けた401系を自社の彦根工場にて改造を施したもの。
近畿日本鉄道 800系電車
近畿日本鉄道の奈良線向け高性能車として、1955年から1958年にかけて4両編成6本が製造された。旧・生駒トンネル区間でも入線可能な18m級・片側2ドアの車体を採用し、前面も当時流行していた湘南電車スタイルの2枚窓となった。
新生駒トンネル開通に伴い大型車の運用が可能になると徐々に優等運用が縮小され、晩年は近鉄生駒線・近鉄田原本線などの支線へ活躍の場を移した。1992年形式消滅。
- 1986年、2両編成2本が台車交換のうえ近鉄伊賀線(現・伊賀鉄道伊賀線)へ転用、880系となった。こちらも1993年に運行を終了している。
神戸電鉄 800系電車
神戸電鉄開業当時の車両や電動貨車のモーターを再利用し、当時製造していた300系や1000系列の車体を載せた神戸電鉄最後のツリカケ駆動の旅客車両の車体更新車両だった。 モデルチェンジを繰り返しながら全17両が改造されたが、3両編成しか連結出来なかった為、余剰の2両は1972年に1100系の中間車に転用された。
非冷房且つ老朽化の為、1993年に全廃となった。
伊予鉄道 800系電車
伊予鉄道が1984年から1985年にかけて導入した通勤形電車。製造は日立製作所・日本車輌製造・東急車輛製造。
1984年に廃車となった京王帝都電鉄2010系の車体に、井の頭線用1000系(初代)の台車とモーターを取り付けたもの。改造は京王重機整備により行われ、同社による改造譲渡車第1号となった。
当初は冷房は取り付けられていなかったが後に京王重機整備の出張工事により搭載され、当初は冷房車であることをアピールするマークを取り付けていた。
また当初は3両固定編成を組んだが、1993年から1994年にかけて中間車サハ850形の高浜・郡中港方に700系(元京王5000系(初代))を思わせる運転台が新設され2両編成での運行も可能になった。
3000系の導入に伴い2010年までに全車廃車となった。
2009年に廃車となったモハ822-クハ852・モハ823-クハ853の4両が銚子電気鉄道に譲渡され、同社2000形となった。