鉄道車両の形式の一つ。ここでは代表的な車両を取り上げる。
京浜急行電鉄 800形
初代800形は→旧1000形
※右側の車両。
2代目800形は→京急800形
新京成電鉄 800形
(※画像下)
同社としては初の完全自社新製車であり、初の高性能車両であった。
2010年7月に営業運転から引退。なお、1991年に8両編成1本が北総開発鉄道に譲渡され、北総線~新京成線直通運用に使用されたが、1992年に新京成線との直通運転が廃止されたため新京成電鉄が再び買い戻した。この北総に一時譲渡された編成が800形で最後まで残った編成となった。
新京成電鉄 N800形
2005年に登場した新京成電鉄の通勤形車両。京成電鉄への片乗り入れに備えて6両編成で登場、2018年製造のN858編成をもって製造を終了した。6両編成5本が在籍。京成3000形と共通設計であり、見た目は同形式の色違い。
函館市交通局 800形
函館市交通局(函館市電。現在の函館市企業局交通部)が1962年から1965年にかけて導入した路面電車車両。製造は新潟鐵工所。
車体・性能は先に導入された710形に準ずるが、制御方式は間接非自動制御となっている。
前扉が1枚引戸に改められたが、1965年に製造された811・812号車のみ710形と同じ2枚引戸になっている。
1990年代以降8000形への車体更新が進められたが、812号車は原形のまま2020年に旧標準色に復刻され事実上動態保存扱いで残存している。
上毛電気鉄道 デハ800形
上毛電気鉄道が1955年に導入した電車。
大元は大糸線の前身にあたる信濃鉄道が1925年に導入した電車で、国有化後に形式名を1100形に改めて引き続き大糸線で運用されていたものである。
導入時はそのまま使用されていたが、1962年に西武所沢工場で台枠を延長したうえで鋼製車体に載せ替えた。
230形に置換えられる形で1980年に廃車となった。
上毛電気鉄道 800形
上毛電気鉄道が2024年に導入した電車。
老朽化の進んだ700形3本を置換えるために東京メトロ03系の先頭車を譲受したもので、2両編成3本を導入予定。
導入にあたって西桐生駅方の先頭車を制御電動車に改造、中央前橋駅方の制御付随車に補助電源装置・空気圧縮機・蓄電池を搭載し2両編成を組んだ。
東京都交通局 800形
東京都交通局(都電)が1947年から1948年にかけて導入した路面電車車両。製造は木南車輛製造と日本鉄道自動車工業。
700形の増備車として製造され、当初は戦災廃車となった700形の空き番号を埋める形で車番が付けられたが側面窓上のウィンドウ・ヘッダーなど車体デザインが変更され台車の形式も異なることから製造途中で800形に改称された。
40両が製造され、全車両が早稲田車庫に配置。15系統の運用に就いた。
1968年1月までに全車廃車となった。15系統が廃止になったのは同年9月である。
黒澤明監督の映画『生きものの記録』のオープニングに821号車が登場している。
銚子電気鉄道 デハ800形
銚子電気鉄道が1985年に導入した電車。
大元は伊予鉄道が1931年に導入したモハ100形で、伊予鉄道時代に片運転台化され3両編成で運行していたため片側の前面にのみ貫通扉が設置されているのが特徴だった。
同じく伊予鉄道から800系を譲受した2000形に置換えられる形で2010年に定期運用を離脱。外川駅構内に静態保存されている。
江ノ島鎌倉観光 800形
江ノ島電鉄(江ノ電)が、前身の「江ノ島鎌倉観光」時代に保有していた電車。上田丸子電鉄(現在の上田電鉄)より移籍。
名古屋鉄道 モ800形
名古屋鉄道では「初代800形」「二代目800形」の2種類が在籍していた。
初代は1935年に当時の「名岐鉄道」が導入した、モ800形・モ830形・ク2310形からなる「800系」のうちの1形式。二代目は路面電車車両で、2000年に3両が導入された単行型の部分低床車。
⇒モ800
名古屋鉄道 デキ800形
名古屋鉄道が1944年に導入した電気機関車。製造は名鉄鳴海工場。
戦時中の貨物輸送増加に伴う電気機関車不足を補うため、旧碧海電気鉄道(西尾線)デハ100形のモーターなど電装品を流用して3両が製造された。
当時としては一般的な凸型の車体であったが、戦時中に急増されたため木製だった。
主に三河線で使用されていたが、戦時中に急増したため老朽化が早く、貨物取扱量も減少したことから1966年までに全車廃車となった。
7000系「パノラマカー」を製造するにあたって、2階の運転台から信号を確認する訓練のためにボンネット上に運転台を仮設して訓練を行った写真が有名である。
名古屋市交通局 800形
名古屋市交通局(名古屋市電)が1956年から1958年にかけて導入した路面電車車両。製造は日本車輌。
路面電車の近代化を目指して日本車輌が試作した「NSL-1」で、鋼体設計を簡略化して製造コストを削減、さらに軽量化まで実現した。
準モノコック構造の車体で従来より薄い板材を使用しつつ車体剛性を確保するため外板にプレスによるリブを設けていた。
大型の2枚の前面窓や足回りを覆うスカートなど近代的な外観で、間接自動制御でワンハンドルマスコン、ブレーキも当時1800形などの「和製PCCカー」に用いられたものと同じドラムブレーキ、台車には弾性車輪を採用するなど極めて意欲的な設計で、1958年に国鉄大井工場で開催されたECAFE鉄道展にはモハ90系やモヤ4700、東急5000系と共に展示されている。
軽量かつ快速だったことから、都電8000形同様スピードが出過ぎて法定速度をオーバーしたというエピソードが残されている。
しかし軽量すぎてスプリングポイントで脱線する、断熱材さえも簡略化したために真夏は鉄板焼きのような暑さになり、運転台は大きな1枚窓だったため運転士は過酷な勤務だった。
またドラムブレーキも雨天時はドラム部分に水が入ってブレーキの利きが悪くなりオーバーランが多発していた。
1969年に港車庫廃止に伴い全車廃車となり、全車両が渥美半島沖に漁礁として沈められた。
樽見鉄道 オハフ800形
樽見鉄道が1990年に導入した客車。
JR四国から50系客車3両を譲受したもので、展望客車うすずみ1形とともに「うすずみファンタジア」として運用された。
シルバーグレーを基調に青帯を巻いた塗装に変更されたが、JR東海から譲受した12系・14系客車に置換えられる形で1995年までに全車廃車となった。
広島電鉄 800形
初代と2代目があり、上イラストは2代目。
初代は1951年にナニワ工機で10両が製造された。京都市電800形をベースに設計され、形式名も同じになった。
前後2扉で車体前面の中央上部に方向幕、その両脇に通風機が設けられていた。
前後2扉構造からワンマン対応に適さず、1976年までにほとんどの車両が廃車になった。しかし千田車庫の火災により車両不足に陥ったことから残った803号車のみ3扉に改造されワンマン対応工事を施工、1983年まで活躍した。
廃車後は長らく荒手車庫に倉庫として残されていたが2003年に解体された。
2代目は初代の廃車後の1983年に運行を開始した路面電車車両。製造はアルナ工機。
同時期に製造された700形とほぼ同型だが、集電装置はZ型パンタグラフ、制御方式は回生制動付き電機子チョッパ制御、駆動方式は並行カルダン駆動に変更されている。
製造時期によって同時期の連接車に合わせて前面の形態が大きく変化している。
土佐電気鉄道→とさでん交通 800形
※ 山陽電気軌道時代の形態
土佐電気鉄道(2014年10月1日付でとさでん交通に移行)が1971年に導入した路面電車車両。製造はナニワ工機。
元々は1959年に山口県下関市で路面電車の営業を行っていた山陽電気軌道が導入した車両で、700形の準同型車。台車と排障器の形態のみが異なる。
1971年の廃止に伴い土佐電に譲渡された。
当初土佐電は同時期に廃車が始まっていた名古屋市電の車両を譲受する予定だったが、名古屋市電は前乗り後降りだったのに対し土佐電は後乗り前降りであったため、同じく後乗り前降りを採用していた山陽電気軌道の車両を譲受することにしたという経緯がある。
5両全車が譲渡され、集電装置をビューゲルからZ形パンタグラフに交換した。
1997年から1999年には冷房改造を実施。冷房化に際し車体側面の柱を太くしたため側面窓が狭くなった。
熊本市交通局 0800形
2008年に熊本市交通局(熊本市電)に登場した、9700形に次ぐLRV車両。2連接構造。
0801号と0802号は試運転を経て2009年運行開始。塗装は白と赤紫で、正面の窓下に紺色が入る。
0803号は2014年運行開始。外装は、ヘッドライトを従来車とは位置や形状を変更し、濃茶メタリックの塗装に金色のシンボルマークやロゴを配している。デザインは水戸岡鋭治氏が担当。0803号の車両愛称は「COCORO」。
鹿児島市交通局 800形
鹿児島市交通局(鹿児島市電)が1967年から1969年にかけて導入した路面電車車両。
ワンマン運転を実施するにあたりワンマン運転対応改造に適さない旧型車を置換えるため大阪市電2601形32両を譲受・改造したものである。
大阪市電とは車両限界が異なるため車体の前後を台枠だけ残して解体し車体幅を絞るなど大規模な改造を実施した。
都電の影響が強い従来車に対し、本形式の導入以降は大阪市電スタイルの車両が増え、都電スタイルで製造された500形もワンマン対応改造の際に大阪市電スタイルに改造された。
1985年の伊敷線・上町線廃止に際し半数以上の17両が廃車となり、残った車両も9500形に機器を供出する形で2000年までに全車廃車となった。
ユニオン・パシフィック鉄道 800形蒸気機関車
アメリカのユニオン・パシフィック鉄道において、1937年から1944年の間において製造された蒸気機関車。車輪の配置から『FEF』と呼ばれ、製造時期によって『FEF-1』、『FEF-2』、『FEF-3』の3種類がある。
車両番号『800』を先頭に45両が製造され、1962年に『844』が車籍を失うことなく動態保存に移行し、21世紀の現在に至るまでイベント列車牽引用として使用されている。