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概要編集

社名の通り東「京」と千葉県の「成」田を結んでおり、成田空港へのアクセス路線として海外へ行き来する多くの人々が利用している。

現在でこそ空港アクセスとしてのイメージが強いが、元々は成田山新勝寺への参詣路線として開業した経緯がある。その為に正月三が日は下記の金町線(柴又帝釈天)と共に初詣客で賑わう一面も。


大手私鉄の一角であるが、1970年代後半からの経営危機に伴い、日本民営鉄道協会を一時的に脱退していたことがある。


2025年4月1日付で完全子会社新京成電鉄を吸収合併し、同時に新京成線は「京成松戸線」に編入される予定。


路線編集

2016年9月現在、総延長102.4km、全64駅を有している。


現有路線編集

京成本線編集

青砥〜高砂間の列車密度はかなり高い。

押上線編集

かつての本線の一部。京成上野駅開業後は盲腸線となったが、1960年の地下鉄浅草線開業後は、浅草線・京急線との直通運転の役目を担っている。優等列車は途中駅ノンストップ。

金町線編集

  • 京成高砂〜京成金町

都内では珍しく全線が単線。

京成高砂では高架ホームに発着する。

千葉線編集

  • 京成津田沼〜千葉中央

総武本線と並走しているが、普通列車のみ運行。

日中は京成津田沼折り返しと新京成線直通列車を運転。

東成田線編集

  • 京成成田(駒井野信号所)〜東成田

かつての成田空港駅へ向かう路線。終点東成田で芝山鉄道線との相互直通運転を行う。

千原線編集

  • 千葉中央〜ちはら台

千葉急行電鉄千葉急行線。全線単線で本数も少ない。移管の経緯により合算運賃制を導入した為、当区間から出ると運賃が一気に割高になる欠点がある。


松戸線編集

  • 松戸 - 京成津田沼

現在の新京成線で、2025年4月に編入予定


成田空港線編集

  • 京成高砂〜小室〜印旛日本医大〜土屋信号所〜成田空港

尚、京成高砂〜印旛日本医大間は営業中の北総線千葉ニュータウン鉄道と重複する。

土屋信号所以遠はほぼ単線区間なのだが、ダイヤ増発に最大限の努力をしている。



廃止路線編集

白鬚線編集

向島〜白鬚、1936年廃止。

都心延伸を巡って試行錯誤していた当時の路線。

京成上野駅の開業により廃止された。

谷津支線編集

船橋競馬場〜谷津遊園地、1934年廃止。

今は無き谷津遊園へ向かう路線だったらしい。


列車種別編集

有料列車編集

スカイライナー編集

いわずと知れた看板特急。成田エクスプレスは最大のライバルで、新幹線以外では日本最速となる160km/hで走る。車両は2代目AE形

モーニングライナー・イブニングライナー編集

朝夕に運行される有料通勤種別。上野~京成成田・成田空港間を結ぶ。どこまで乗っても420円と激安。なお、新AE形が本線で営業運転をする数少ない列車でもある。

シティライナー(現在は臨時列車のみ)編集

2010年2016年までは本線経由の定期列車として運行されていた。晩年は上野~京成成田間の運行だった。車両はAE100形。なお、定期廃止後も成田山新勝寺参拝客、とりわけ正月の初詣や祭礼のための臨時列車として運行されている。


一般列車編集

アクセス特急編集

成田空港線開業に伴い新設。都営浅草線を経由して羽田空港と成田空港を結ぶ系統がメインだが、京成上野始発や西馬込始発などもある。北総線内では実質上の最速達列車にあたる。


京成高砂以東の停車駅は東松戸・新鎌ヶ谷・千葉ニュータウン中央・印旛日本医大・成田湯川・空港第2ビル(第2旅客ターミナル)・成田空港(第1旅客ターミナル)。


快速特急編集

トンネルの向こうそれと比べると遅い。それもそのはず、2006年12月9日以前は「特急」を名乗っていた列車であり、さらには1968年11月以前の急行と同格の種別である。以前は押上線で終日運行されていて、本線は朝・夜のみの運行であったが、2019年のダイヤ改正で日中にも本線で運行されるようになった。

元々は京急用の種別を流用して設定したため京急に合わせて「快特」としてたが快速と区別されにくく誤乗が相次いだため正式名が快速特急となり駅の案内や放送も更新に合わせて順次変更された。この経緯から京急と異なり「かいそくとっきゅう」とアナウンスされる。


停車駅は日暮里・青砥・京成高砂・八幡・船橋・京成津田沼・八千代台・勝田台・佐倉・成田・空港第2ビル(第2旅客ターミナル)・成田空港(第1旅客ターミナル)である。東成田・芝山千代田方面へは京成成田以東各駅に停車。


特急編集

佐倉までは快速特急と同じ停車駅である。佐倉以東は各駅に停車。

1968年に、当時の急行を佐倉から各駅停車とし、停車駅を一部見直すと共に佐倉から成田まで無停車のものと区別するために新設された種別である。2006年12月9日以前は佐倉〜成田間無停車、即ち現在の快速特急と同じであった。新設されてから40年近く後に、当時の急行と同じ運命を辿ることになるとは一体誰が予測しただろうか。

押上線の特急は京急線内の特急の一部が押上線内も特急となる(元々は快特)。


通勤特急編集

勝田台までは特急と同じ停車駅で、勝田台以東は各駅に停まる。

平日の朝・夜に運行されるが、上野行き終電はなぜか休日ダイヤでも運行される。


快速編集

2002年10月12日に本線系統急行の停車駅を削減した上で本線系統急行を廃止し、代わりに新設された種別。主に押上線、都営浅草線方面への運行。2006年12月10日のダイヤ改正からは、日中の特急が佐倉〜成田間各駅に停まるようになり、代わりに快速は佐倉発着に短縮された。一日数本6両編成での運行もある。


停車駅は日暮里・千住大橋・青砥・京成高砂・小岩・八幡・東中山・船橋・船橋競馬場・京成津田沼からの各駅である。押上線の京成押上・青砥以東は本線と同じ。


余談であるが1968年から1974年までにも、京成千葉方面直通の「快速」が走っていたことがある。この時の快速は当時の準急よりも格下で、停車駅は京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥〜京成津田沼間の各駅・稲毛・黒砂(現:みどり台)・国鉄千葉駅前(現:京成千葉)・京成千葉(現:千葉中央)。両端がほぼ隔駅停車、中間部分は各駅停車であった。


急行(運行終了)編集

2002年10月12日ダイヤ改正で本線の急行は廃止、2010年には押上線、2022年には北総鉄道線の急行も廃止された。(地下鉄線内・京成線内普通、京急線内急行となる列車は運行されている)


停車駅は上野発だと、日暮里・町屋・千住大橋・堀切菖蒲園・青砥・京成高砂・小岩・国府台・市川真間・八幡・東中山・船橋・船橋競馬場からの各駅で、押上発(浅草線からの直通運転含む)は曳舟・立石・青砥以後上野発と同じ。


余談だが、この急行の廃止で優等列車が完全に消滅した谷津駅では、快速の停車を要求する署名運動をしていた事が有る。また、船橋以西へ向かう利用者が乗換えをする船橋は、京成線内でも上位の利用者数で、この利用者の流れに対応し、ラッシュ時の急行の一部は東中山で折り返し運転をしていた。


普通編集

各駅に停車。日中は本線はうすい行きと津田沼行き、北総線・成田スカイアクセス方面は印旛日本医大発着、押上線は羽田空港発着と横浜方面の「特急」がメインである。また、日中の千葉線は新京成と片乗り入れを行っているため、新京成線発着の列車が走っている。朝夕には本線からの千葉線・千原線直通列車もある。2010年まであった金町線直通列車は金町線一部高架化のために廃止となっている。

一日に数本だけ、京成大和田で折り返す本線普通が存在する。


車両編集

現有形式編集

AE形以外の通勤形車両は乗り入れの関係上、千の位に3が割り当てられる。

そのため、新3000形以降は3001-1とハイフン入りの車番が使用される。

個別形式(ないし番台区分)ごとの連番は成田空港側基準で付番されるが、3700形までの編成番号は京急に合わせて浦賀方先頭車の車号で呼称する。

関東大手私鉄では唯一10両以上の編成を運行させたことがなく、主に6 - 8両運行がメインとなる。

また、片側4ドア車導入、系列外他社への譲渡、民間での保存車がないという珍しい実績を持つ。


AE形(2代目)編集

スカイライナー『AE』

京成自慢の新型スカイライナー用車両。私鉄最速の160km/hで走行する。

AE形


新3100形編集

らふがき

3050形就役から10年を目前に登場した2代目アクセス特急用で、次期京成グループ標準型車両である。本形式の導入により3050形は本線へ転属となり、老朽化した3600形と3400形を置き換えた。

成田スカイアクセス線対応の50番台のみ在籍する。

京成3100形


3050形(新3000形7次車)編集

アクセス特急

見た目は新3000形と何ら変わらないが、外装が大きく変わり、モケットに飛行機の絵があしらわれているのも大きな特徴である。アクセス特急用車両であったが、全車が本線に転属。内装はそのままで新3000形と共通運用されている。

京成3000形


3000形編集

京成3000系

2003年に運行を開始した電車で現在の主力。赤電を大量に追い出した赤電キラー。グループ各社に兄弟車種が在籍する。

京成3000形


3700形編集

上野の京成3700

1991年に登場した車両。優等種別ならほぼ何でもこなせるオールマイティ。3編成は北総鉄道、1編成は千葉ニュータウン鉄道へリース(貸出)され7300形7800番台と9800形に。

京成3700形


3600形編集

[ドット絵]京成電鉄 3600形

1982年に登場した車両である。6両編成でデビューし、8両編成組換時に先頭車が6両余った。その6両は1編成を構成し電装・VVVF化された。通称「ターボ君」。3500形未更新車の引退に伴い現在は4両編成。

8両編成は京急に乗り入れを行わなかった。

2020年、8両であった3688Fが重検出場時に編成を6両に短縮した上に旧塗装(ファイアーオレンジ)に戻されている。


3500形編集

京成3500系(未更新)

1972年にデビュー。1995年から大規模なリニューアルを開始したが金がかかりすぎたので途中の56両で中止した。

未更新車は全車廃車済。更新車のうち4両編成1本は芝山鉄道にリースされ、後に3600型と同じ帯色に変更されている。

また、2023年から一部路線でワンマン運転が開始されたため、ワンマン対応工事が行われた。


3400形編集

京成3400形

後述の初代AE形の足回り転用車両である。デザインは3700形にあわせたがこちらは車体が普通鋼製。機器類はすでに半世紀以上使用しているため、廃車が進み現在は1編成のみ在籍。


3200形(2代目)編集

京成新3200形

2025年2月より営業運転開始予定。フレキシブルに編成車両数を変更できるよう、自動解結装置付き連結器を装備し、正面貫通扉も中央に設置されている。


過去の車両編集

1500形編集

【HD京成14】京成特急車のルーツ【1500形】

京成初のクロスシート車両として製造。1941年にデビュー。

戦後特急開運号に初めて使用された。

後に格下げされ通勤車両になり、さらに新京成に譲渡された。1987年廃車。

京成1500形


1600形編集

グングン京成

初の特急用車両として製造。1953年にデビュー。特急開運号に用いられた。

日本初のテレビ付き電車。

後に格下げされ通勤車両になった。1981年廃車。

京成1600形


AE形(初代)編集

【HD京成09】激動と波乱の中で【AE形Ⅰ】

初代スカイライナー。1972年にデビュー。元々スカイライナーとして走るつもりだったが成田空港の開港が延期されたため、しばらくは京成上野~京成成田を結ぶ「開運号」として走っていた。さらに、開港直前に宗吾参道車両基地で過激派による焼打ちに遭い1編成丸々焼失・廃車となっている。(のちに代替生産されている)1983年から茶色中心の塗装から白・青・赤の新塗色に変更された。

AE100形の投入により1993年に全車引退した。引退してすぐは東成田駅旧スカイライナーホームに留置されていた。足回りと車籍は上述の3400形に引き継がれた。

AE形


AE100形編集

惜別・AE100型

2代目スカイライナー。2010年の走行ルート・車両変更後はシティライナーの車両となり、2016年まで運行。

AE100形


赤電編集

短時間挑戦 1723

昔はいやっちゅうほど走っていた車両。初代3000形から3300形までの事を言う。

3300形編集

鉄面画 京成3300形

その「赤電」最後の車両。

新3000形の増備により廃車が進み、最後まで残った4連2本も2015年2月28日で引退。北総鉄道へのリース車もあったほか、リバイバルカラーになった編成もいた。

京成の通勤形では唯一、試験的にクロスシートを設置した編成も存在した。

1000形 ←京急旧1000形(リースによる借用車)編集

1000形はこの京成パンダが預かった!

京成電鉄1970年代後半~80年代前半に、不動産事業の失敗や成田空港線開業の遅れによって倒産寸前レベルの経営危機に陥っており、その影響で新車の導入も既存車の冷房改造(1983年になってようやく改造が開始された)も進んでおらず、80年代後半になっても冷房化率は低い状態が続いていた。

その頃京浜急行電鉄では冷房改造済みの1000形の廃車が始まっており、まだ大量の非冷房車を擁していた京成は渡りに船とばかりに8両(4両編成2本)をリースすることになった。当初は前面に種別板を取り付けた上、側面の社名版を変更する程度で使用したが、後に種別板を内側からの差し込み式に、またアンチクライマーのアーマープレートの一部を削る改造を行ったが、塗装は京急時代のまま変わらなかった。

京成が冷房化率100パーセントを達成した1991年に返却されたが、うち4両は千葉急行電鉄に再度リースされ青塗装になり、その後1994年に返却されて廃車になった。

旧1000形

青電編集

京成リバイバル青電 特急・金町行き

元々は戦後の旧型車に塗られていた塗装であり、初期の高性能車の750形や更新で高性能化された210形、さらに地下鉄直通用の3000形(初代)も製造当初はこの色に塗られていた。

1960年代以降に近代的な車体への更新も進んだが、「赤電」の増備が進むと大半が輸送力の増強に追われた新京成電鉄に移籍した。

「青電」の塗装は1982年に荷物(行商客専用)電車として運用されていた700形の廃車で消滅、本来青電のグループである210形も塗装の合理化で「赤電」もどきの塗装に変更され、1987年に全廃されている。

モニ(工事用車両)編集

京成電鉄モニ20形貨物電車

モニたんなどと呼ばれて親しまれた工事用車両。

チやトキなど個性的な車両が多くいたが、老朽化によって数を減らし、2007年3月に引退した電動貨車モニ20を最後に全て消滅した。



直通運転編集

1960年東京都交通局都営地下鉄浅草線に始まり、京浜急行電鉄北総線とともに直通運転で羽田・成田間の一大ネットワークの成田側を担う。

乗り入れのために改軌(1372mm軌間から1435mm軌間へ)を行っている。

それ以外にも新京成線(新京成車の片乗り入れ)、芝山鉄道と繋がっている。その関係で路線図も駅数193とかなりぎっしりである。


キャラクター編集

京成パンダ編集

京成パンダ

京成カードのイメージキャラクターとして登場した。パンダ。のはず。

幾何学的な顔でとてつもなくブサイク。ゆるキャラの一種らしい。

「キャラクター=可愛い」という従来の考えを逆手に取った「ぶさかわ」なスタイルが大いにウケ、今や鉄道会社のキャラクターでは屈指のインパクトを誇る。

トンネルの向こうの会社のキャラがたった2年で消えてしまい、その手のキャラが迫害されるようになった時勢を考えると慧眼があったというべきか。


スカイ君・ライナちゃん編集

パンダのせいで完全に忘れ去られたキャラクター。

AE100形をモデルにしたキャラクター。ネーミングセンスがダサい。


中山ゆかり編集

トミーテックが展開する鉄道むすめのキャラクター。

【表紙】ソラんじっと~④京成電鉄編~

当初は成田空港駅駅務掛で、その後運転士に転身している。


意外な側面編集

京成電鉄系列の企業の一つに東京ディズニーリゾートを運営している「オリエンタルランド」がある。

世界に名だたるテーマパークを運営している企業……では一応あるものの、アトラクションをめぐって何度か日本政府に目をつけられたり、しかもその中に鉄道に関するものが含まれていたり(ウェスタン・リバー鉄道、ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ、ビック・サンダー・マウンテン)、或いは「本家」のアトラクションやショーをブラッシュアップしてさらに質を向上させてしまったりと中々やることがフリーダムな面もある。

このディズニーランド開業のために、京成がかつて営業していた谷津遊園が閉業になってしまったのはよく知られる。


関連項目編集

大手私鉄

私鉄 鉄道会社 民鉄

京成 K▼SEIGROUP スカイライナー 京成パンダ 東京ディズニーリゾート 舞浜リゾートライン オリエンタルランド 北総鉄道 芝山鉄道 新京成電鉄


読売ジャイアンツ:創設時は筆頭株主で1947年まで出資していた。


京成杯中山競馬場で施行されている重賞競走。優勝杯を提供している。

京成杯オータムハンデキャップ:中山競馬場で施行されている重賞競走。上記京成杯と同じく優勝杯を提供している。

京成盃グランドマイラーズ船橋競馬場で施行されている重賞競走。優勝杯を提供している。


外部リンク編集

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