概要
社名の通り東「京」と千葉県の「成」田を結んでおり、成田空港へのアクセス路線として海外へ行き来する多くの人々が利用している。
現在でこそ空港アクセスとしてのイメージが強いが、元々は成田山新勝寺への参詣路線として開業した経緯がある。その為に正月三が日は下記の金町線(柴又帝釈天)と共に初詣客で賑わう一面も。
路線
2016年9月現在、総延長102.4km、全64駅を有している。
現有路線
京成本線
青砥〜高砂間の列車密度はかなり高い。
押上線
かつての本線の一部。京成上野駅開業後は盲腸線となったが、1960年の地下鉄浅草線開業後は、その後の浅草線・京急線との直通運転の役目を担っている。優等列車は途中駅ノンストップ。
金町線
- 京成高砂〜京成金町
4両編成の短い電車が走っている。都内では珍しく全線が単線。
京成高砂では高架ホームに発着する。
千葉線
- 京成津田沼〜千葉中央
総武本線と並走しているが、普通列車の運行のみ。
日中は京成津田沼折り返しと新京成線直通列車を運転。
東成田線
- 京成成田(駒井野信号所)〜東成田
かつての成田空港駅へ向かう路線。終点東成田で芝山鉄道との相互直通運転を行う。
千原線
- 千葉中央〜ちはら台
かつては千葉急行電鉄により運営されていた。全線単線で本数も少ない。移管の経緯により合算運賃制を導入した為に当区間から出ると運賃が一気に割高になる欠点がある。
成田空港線
- 京成高砂〜小室〜印旛日本医大〜土屋信号所〜成田空港
尚、京成高砂〜印旛日本医大間は営業中の北総線・千葉ニュータウン鉄道と重複する。
土屋信号所以遠はほぼ単線区間なのだが、ダイヤ増発に最大限の努力をしている。
廃止路線
白鬚線
向島〜白鬚、1936年廃止。
都心延伸を巡って試行錯誤していた当時の路線。
京成上野駅の開業により廃止された。
谷津支線
船橋競馬場〜谷津遊園地、1934年廃止。
今は無き谷津遊園へ向かう路線だったらしい。
列車種別
有料列車
スカイライナー
いわずと知れた看板特急。JRの成田エクスプレスより安い・速い。車両は2代目AE形。
モーニングライナー・イブニングライナー
朝夕に運行される有料通勤種別。上野~京成成田・成田空港間を結ぶ。どこまで乗っても420円と激安。なお、新AE形が本線で営業運転をする数少ない列車でもある。
シティライナー(現在は臨時列車のみ)
2010年~2016年までは本線経由の定期列車として運行されていた。晩年は上野~京成成田間の運行だった。車両はAE100形。なお、定期廃止後も成田山新勝寺参拝客、とりわけ正月の初詣や祭礼のための臨時列車として運行はされている。
一般列車
アクセス特急
成田空港線開業に伴い新設。都営浅草線を経由して羽田空港と成田空港を結ぶ系統がメインだが、京成上野始発や西馬込始発などもある。北総線内では実質上の最速達列車にあたる。
京成高砂以東の停車駅は東松戸・新鎌ヶ谷・千葉ニュータウン中央・印旛日本医大・成田湯川・空港第2ビル(第2旅客ターミナル)・成田空港(第1旅客ターミナル)。
快速特急
トンネルの向こうのそれと比べると遅い。それもそのはず、2006年12月9日以前は「特急」を名乗っていた列車であり、さらには1968年11月以前の急行と同格の種別である。以前は押上線は朝から夜まで運行されていて、本線は朝・夜のみの運行であったが、2019年のダイヤ改正で日中にも本線で運行されるようになった。
停車駅は日暮里・青砥・京成高砂・八幡・船橋・京成津田沼・八千代台・勝田台・佐倉・成田・空港第2ビル(第2旅客ターミナル)・成田空港(第1旅客ターミナル)である。東成田・芝山千代田方面へは京成成田以東各駅に停車。
特急
佐倉までは快速特急と同じ停車駅である。佐倉以東は各駅に停車。
1968年に、当時の急行を佐倉から各駅停車とし、停車駅を一部見直すと共に佐倉から成田まで無停車のものと区別するために新設された種別である。2006年12月9日以前は佐倉〜成田間無停車、即ち現在の快速特急と同じであった。新設されてから40年近く後に、当時の急行と同じ運命を辿ることになるとは一体誰が予測しただろうか。
ちなみに押上線に入線する特急は割と少ない。
通勤特急
勝田台までは特急と同じ停車駅で、勝田台以東は各駅に停まる。
平日の朝・夜に運行されるが、上野行き終電はなぜか休日ダイヤでも運行される。
快速
2002年10月12日に本線系統急行の停車駅を削減した上で本線系統急行を廃止し、代わりに新設された種別。主に押上線、都営浅草線方面への運行。2006年12月10日のダイヤ改正からは、日中の特急が佐倉〜成田間各駅に停まるようになり、代わりに快速は佐倉発着に短縮された。一日数本6両編成での運行もある。
停車駅は日暮里・千住大橋・青砥・京成高砂・小岩・八幡・東中山・船橋・船橋競馬場・京成津田沼からの各駅である。押上線の京成押上・青砥以東は本線と同じ。
余談であるが1968年から1974年までにも、京成千葉方面直通の「快速」が走っていたことがある。この時の快速は当時の準急よりも格下で、京成上野・日暮里・町屋・堀切菖蒲園・青砥〜京成津田沼間の各駅・稲毛・黒砂(=KS56 みどり台)・国鉄前(=KS60 京成千葉)・京成千葉(=KS61 千葉中央)に停まっていた。両端がほぼ隔駅停車、中間部分は各駅停車であった。
急行(運行終了)
2002年10月12日ダイヤ改正で本線の急行は廃止、2010年には押上線の急行も廃止された。(地下鉄線内・京成線内普通、北総鉄道線内急行、京急線内エアポート急行となる列車は運行されている)
停車駅は上野発だと、日暮里・町屋・千住大橋・堀切菖蒲園・青砥・京成高砂・小岩・国府台・市川真間・八幡・東中山・船橋・船橋競馬場からの各駅で、押上発(浅草線からの直通運転含む)は曳舟・立石・青砥以後上野発と同じ。
余談だが、この急行の廃止で優等列車が完全に消滅した谷津駅では、快速の停車を要求する署名運動をしていた事が有る。また、船橋以西へ向かう利用者が乗換えをする船橋は、京成線内でも上位の利用者数で、この利用者の流れに対応し、ラッシュ時の急行の一部は東中山で折り返し運転をしていた。
普通
各駅に停車。日中は本線はうすい行きと津田沼行きがメイン、北総線方面(成田空港線)は印旛日本医大発着がメイン、押上線は羽田空港発着と横浜方面の「快特」がメインである。また、日中の千葉線は新京成電鉄と片乗り入れを行っているため、始・終点が新京成電鉄線内の列車が走っている。朝夕には本線からの千葉線・千原線直通列車もある。2010年まであった金町線直通列車は金町線一部高架化のために廃止となっている。
一日に数本だけ、京成大和田で折り返す本線普通が存在する。
車両
現有形式
AE形以外の通勤形車両は乗り入れの関係上、千の位に3が割り当てられる。
その為、2代目3000形以降は3000-1とハイフン入りの車番が使用される。
更に京成は他の関東大手私鉄と異なり10両以上の運行する路線が1つもなく、主に6両~8両の運行がメインとなる。
AE形(2代目)
京成自慢の新型スカイライナー用車両。私鉄最速の160km/hで走行する。
→AE形
3100形(2代目)
3050形就役から10年を目前に登場した2代目アクセス特急用で、次述する3050形の後継車両と次期京成グループ標準型車両である。相変わらずオールロングシートであるが、空港客への配慮した車内設備を有している。これにより3050形は本線へ転属となり、8両編成で非効率な運用の3600形と老朽化が進む3400形を置き換える予定である。
将来、本線用3100形が製造されれば3150形と呼ばれるであろう。
→京成3100形
3050形(3000形7次車)
成田空港線のアクセス特急用。見た目新3000形となんら変わらないが、外装が青くなっている。また、モケットに飛行機の絵があしらわれているのも大きな特徴である。アクセス特急用の車両だが、たまに本線を走っていることがある。
→京成3000形
3000形(2代目)
2003年に運行を開始した電車で現在の主力。赤電を大量に追い出した赤電キラー。現在は3100形へ移行している。
→京成3000形
3700形
1991年に登場した車両。優等種別ならほぼ何でもこなせるオールマイティ。3編成は北総鉄道、1編成は千葉ニュータウン鉄道へリース(貸出)され7300形7800番台と9800形に。
→京成3700形
3600形
1982年に登場した車両である。6両編成でデビューし、8両編成へ組み換えの時に先頭車が6両余った。その6両は1編成を構成し電装・VVVF化された。通称ターボ君。3500形未更新車の引退に伴い現在は4両編成。
引退済みだが8両編成のほうは京急に乗り入れをしない。
2020年、8両編成だった3688編成が重検出場時に編成を6両に短縮した上でリバイバルカラーに塗装されている。
3500形
1972年にデビュー。一部車両が都営浅草線と京急に乗り入れるための工事をする際に運転台部分を新製したり側窓を更新する工事を施工したが金がかかりすぎたので途中の56両で中止した。
未更新車は全車廃車済み。更新車のうち4両編成1本は芝山鉄道へリースされている。
また、2023年?以降金町線・千原線、東成田線、芝山鉄道でワンマン運転が開始され、当該形式がワンマン運転対応工事が行われる事になるが、2024年度より導入予定の次期新車3200形(二代目)の増備に合わせて置き換わる事も予想される。
3400形
後述の初代AE形の足回り転用車両である。車両デザインはステンレス製の3700形にあわせたが3400形は普通鋼製。車体こそ新しく見えても床下はボロボロ。このため現在2本が廃車され3本が残存。
過去の車両
1500形
京成初のクロスシート車両として製造。1941年にデビュー。
戦後特急開運号に初めて使用された。
後に格下げされ通勤車両になり、さらに新京成に譲渡された。1987年廃車。
→京成1500形
1600形
初の特急用車両として製造。1953年にデビュー。特急開運号に用いられた。
日本初のテレビ付き電車。
後に格下げされ通勤車両になった。1981年廃車。
→京成1600形
AE形(初代)
初代スカイライナー。1972年にデビュー。元々スカイライナーとして走るつもりだったが成田空港の開港が延期されたため、しばらくは京成上野~京成成田を結ぶ「開運号」として走っていた。さらに、開港直前に宗吾参道車両基地で過激派による焼打ちに遭い1編成丸々焼失・廃車となっている。(のちに代替生産されている)1983年から茶色中心の塗装から白・青・赤の新塗色に変更された。
AE100形の投入により1993年に全車引退した。引退してすぐは東成田駅旧スカイライナーホームに留置されていた。足回りと車籍は上述の3400形に引き継がれた。
→AE形
AE100形
2代目スカイライナー。2010年の走行ルート・車両変更後はシティライナーの車両となり、2016年まで運行。
→AE100形
赤電
昔はいやっちゅうほど走っていた車両。初代3000形から3300形までの事を言う。
3300形
その「赤電」最後の車両。
新3000形の増備により廃車が進み、最後まで残った4連2本も2015年2月28日で引退。北総鉄道へのリース車もあったほか、リバイバルカラーになった編成もいた。
1000形 ←京急旧1000形(リースによる借用車)
京成電鉄1970年代後半~80年代前半に、不動産事業の失敗や成田空港線開業の遅れによって倒産寸前レベルの経営危機に陥っており、その影響で新車の導入も既存車の冷房改造(1983年になってようやく改造が開始された)も進んでおらず、80年代後半になっても冷房化率は低い状態が続いていた。
その頃京浜急行電鉄では冷房改造済みの1000形の廃車が始まっており、まだ大量の非冷房車を擁していた京成は渡りに船とばかりに8両(4両編成2本)をリースすることになった。当初は前面に種別板を取り付けた上、側面の社名版を変更する程度で使用したが、後に種別板を内側からの差し込み式に、またアンチクライマーのアーマープレートの一部を削る改造を行ったが、塗装は京急時代のまま変わらなかった。
京成が冷房化率100パーセントを達成した1991年に返却されたが、うち4両は千葉急行電鉄に再度リースされ、青塗装となり元祖・ブルースカイトレイン(大嘘)になった。その後1994年に返却されて廃車になった。その後鉄道車両のリースは北総鉄道、千葉急行電鉄、芝山鉄道にも引き継がれている。
→旧1000形
青電
元々は戦後の旧型車に塗られていた塗装であり、初期の高性能車の750形や更新で高性能化された210形、さらに地下鉄直通用の3000形(初代)も製造当初はこの色に塗られていた。
1960年代以降に近代的な車体への更新も進んだが、「赤電」の増備が進むと大半が輸送力の増強に追われた新京成電鉄に移籍した。
「青電」の塗装は1982年に荷物(行商客専用)電車として運用されていた700形の廃車で消滅、本来青電のグループである210形も塗装の合理化で「赤電」もどきの塗装に変更され、1987年に全廃されている。
モニ(工事用車両)
モニたんなどと呼ばれて親しまれた工事用車両。
チやトキなど個性的な車両が多くいたが、老朽化によって数を減らし、2007年3月に引退した電動貨車モニ20を最後に全て消滅した。
直通運転
1960年の東京都交通局(都営地下鉄)浅草線に始まり、京浜急行電鉄、北総線とともに直通運転で羽田・成田間の一大ネットワークの成田側を担う。
乗り入れのために改軌(1372mm軌間から1435mm軌間へ)を行っている。
それ以外にも新京成線(新京成車の片乗り入れ)、芝山鉄道と繋がっている。その関係で路線図も駅数193とかなりぎっしりである。
イメージキャラクター
京成パンダ
京成カードのイメージキャラクターとして登場した。パンダ。のはず。
幾何学的な顔でとてつもなくブサイク。ゆるキャラの一種らしい。どうしてこうなった。
ドアステッカーにも描かれている。
トンネルの向こうの会社の「けいきゅう♪ドレミたん」みたいなキャラはいないものか…。
スカイ君・ライナちゃん
パンダのせいで完全に忘れ去られたキャラクター。
AE100形をモデルにしたキャラクター。ネーミングセンスがダサい。
鉄道むすめ
トミーテックが展開する鉄道むすめは、京成からは一人登場している。
中山ゆかり
当初は成田空港駅駅務掛で、その後運転士に転身している。
意外な側面
京成電鉄系列の企業の一つに東京ディズニーリゾートを運営している「オリエンタルランド」がある。
世界に名だたるテーマパークを運営している企業……では一応あるものの、アトラクションをめぐって何度か日本政府に目をつけられたり、しかもその中に鉄道に関するものが含まれていたり(ウェスタン・リバー鉄道、ディズニーシー・エレクトリックレールウェイ、ビック・サンダー・マウンテン)、或いは「本家」のアトラクションやショーをブラッシュアップしてさらに質を向上させてしまったりと中々やることがフリーダムな面もある。
このディズニーランド開業のために、京成がかつて営業していた谷津遊園が閉業になってしまったのはよく知られる。
関連項目
大手私鉄
私鉄 鉄道会社 民鉄
京成 K▼SEIGROUP スカイライナー 京成パンダ 東京ディズニーリゾート 舞浜リゾートライン オリエンタルランド 北総鉄道 芝山鉄道 新京成電鉄
読売ジャイアンツ:創設時は筆頭株主で1947年まで出資していた。