ピクシブ百科事典

小田急電鉄

おだきゅうでんてつ

小田急電鉄は、日本の大手私鉄のひとつである。東京都の新宿駅を起点とし、神奈川県中西部を東西に貫くように走っている。開業当時の社名は「小田原急行鉄道」で、小田急とはもともとその略称であった。
目次[非表示]

路線

小田急電鉄の路線は2014年1月現在、全部で3路線、総延長120.5kmである。

現有路線

  • 小田原線:新宿〜小田原間 (82.5km)
  • 江ノ島線:相模大野(相模大野分岐点)〜片瀬江ノ島間(27.6km、相模大野分岐点からは27.4km)
  • 多摩線:新百合ヶ丘〜唐木田間 (10.6km)

いずれも全線電化、小田原線の複々線区間(多摩川橋梁【登戸手前】~梅ヶ丘)間と3線区間(向ヶ丘遊園~登戸)を除いては全て複線である。

廃止路線

  • 向ヶ丘遊園モノレール線:向ヶ丘遊園〜向ヶ丘遊園正門間(1.1km)
    • 2001年廃線。日本どころか世界でも2路線でしか採用されなかったロッキード式モノレールだった。経年劣化による不具合と、その修繕費の調達困難、さらには遊園地の客が減ったことで廃止になった。それにしてもあの車輌は凄い形をしてたな。ウルトラマンのお面をしていたこともあった。
  • 向ヶ丘遊園索道線:遊園正門前〜見晴台間 (0.245km)
    • 1986年廃線。って、ロープウェイも運行していたのか、小田急…。

ロマンスカー

ロマンスカーと記念撮影


(ロマンスカー7000形 LSE)
詳しくはロマンスカータグを参照。
簡単に説明してしまうと、小田急線の特急の通称である。

現有車輌

車輌形式は小田急の場合、「〜系(けい)」ではなく「〜形(がた)」と呼称する。
番号はM車は十の位が0~4を使用し、T車は5~9を使用する傾向があり、新宿方面から数が増える構造になっている。(例:8051Fや1091F等)

通勤形ほか

8000形

小田急 8000形


ブラックフェイスが特徴的な電車。4両編成、6両編成がある。
登場時は界磁チョッパ制御だったが、全編成リニューアルが完了。
初期に更新された車両は内装のみで足回りはそのまま(界磁チョッパ制御のまま)であるが、6両編成の
更新は3編成目から3000形に準じた制御装置、内装に改められている。
また近年更新された編成は後述の4000形に準じた制御装置、内装に改められ、LED灯を車内に設置した編成も登場している。

1000形

小田急1000形


初のオールステンレス製通勤電車。4両編成、6両編成、8両編成、10両貫通編成がある。4000形が出るまでは地下鉄千代田線直通運用にも入っていた。
VVVFインバータ制御を初採用した。近年、全編成純電気ブレーキ化されたほか、ソフト変更が進行していることもあって走行音も変わっている。
4両編成の一部は登山電車に合わせた赤系の色にされ、主に箱根登山鉄道線の小田原~箱根湯本間で走っている(朝夜に送り込みを兼ねた相模大野~小田原間の運用がある)。

YouTubeアバター画像【小田急1000形・その②】


2014年度より更新工事が順次行われている。対象はワイドドア車以外の全車両。すでに1回更新されているので、今回が2回目ということになる。
主な更新内容は
・従来のVVVFインバーター装置のフルSiC適用VVVFインバーター装置への更新
・化粧板取り替え
・モケット取り替え
・LCD設置
・ドアチャイム設置or更新
・行先表示幕&種別幕のフルカラーLED化
・側帯のインペリアルブルー化
等である。
2015年11月現在、4連×3本が更新されている。

1000形ワイドドア車(2代目の1700形ともいう)

小田急1000形 6両 ワイドドア車(1751F 1752F)


標準ドアの1000形をベースに開発されたワイドドア車。6両編成のみが存在する。
もともと4両編成が1500形、6両編成が1700形と呼ばれていたが、やはり開発失敗に終わり 、後に1500形が改造されて全編成が6両編成に揃えられた為に1700形と呼ばれる。
1500形の1700形への改造に関しては先頭車の中間車改造が行われた。
全開するとその幅2mにも及び、縦よりも横幅の方が広かった。現在は改造されて、左右0.2mずつ引き残す(幅が1.6mになる)。車内からはそれ程違和感は無いが、外から見ると違和感を感じる。

2000形(2代)

【HD小田急28】せっかく準備してたのに・・・【2000形】


1000形ワイドドア車について、「(ただでさえ"すし詰め"が常態である小田急で更に)座席が少なくなって座るってレベルじゃねえぞゴルァ!」というクレームが続発したため、ドアの幅をちょっとだけ狭くして幅を1.6mとした。8両編成のみが存在する。
ちなみにこの2000形、全国でいち早く(今では当然のように使用されている)IGBT素子のVVVFインバーターを搭載した画期的な最新性能車両なのだ。しかも、インバーターはIPMモジュールを使用した3レベルインバーターだから、すご過ぎる。内装の更新、LED灯化、行先表示LED板の更新を行った編成も存在する。

3000形(2代)

【HD小田急18】いまや一大勢力【3000形Ⅱ】


平成不況の影響で登場した、経済電車である。6両編成、8両編成と、6両編成に後から中間車を追加した10両貫通編成がある。8000形や1000形と連結運転ができる。
大量に製造・投入されて旧型車を追いやり、現在の小田急の主力となった。2次車以降からは側面形状、内装までもが「走ルンです」こと209系に酷似してしまった。(1次車はワイドドアで戸袋窓も有ったので似ていない)。あと前面がシンプル過ぎる。…それでも小田急ファンなら、「走り」で納得すべきかもしれないが…。

もっとも、車体構造そのものは日本車輌が開発した「日車式ブロック工法」によるものである。

クヤ31形「テクノインスペクター」

2004年から運行を開始している総合検測車。車両は3000形(2代)をベースとした。月に2回程度、軌道や架線の検測を行う。動力を持たないため、動力車として1000形の一部編成とつないで検測を行う。

4000形(2代)

列車 小田急4000形


地下鉄千代田線直通用に製造された電車。10両編成のみが存在する。
JR東日本E233系を基本に設計されているため、別名「O233系」とも呼ばれている。
これにより1000形が地上用に捻出され、5000形が置き換えられた。
パクリ元…もとい、ベース車種のE233系にはLCDが2つあるタイプがあり、
登場当時4000形は1つしか設置していなかったが、2013年登場の4065編成から取り付けが始まり、
同年度内に4052編成にも設置されている。
今後、JR線の保安装置および無線装置の取り付け工事を行い、小田急-東京メトロ-JR間三社直通運転に加わる予定で、2015年9月からJR常磐緩行線での試運転が始まった。

余談であるが、地下鉄千代田線には兄弟車のE233系2000番台が走っている。

特急形(ロマンスカー)

各車輌の解説はロマンスカータグの記事に詳しいのでそちらを参照されたい。

過去の車輌

HB車

特徴については、HB車の記事も合わせて参照されたい。

デハ1100形

【HD小田急13】小田急線の一号電車【モハ1→1100形】


もともとは開業当時に用意されたモハ1形電車である。モハ1形は15m級の3扉車両で、主に各駅停車専用として使用された。一部は戦時中の合併を経て相鉄に移籍したほか、小田急に残存した車両も日立電鉄熊本電鉄へと譲渡されている。
最後まで残っていたのは1101で、こちらは早い時期に荷物車輌になってデニ1101となっているのだが、
1960年代の一時期、振子式の試験車輌に改造されていた。
熊本電鉄で廃車になった車両を譲渡してもらい、モハ1形として復元された車両が現在も保存されている。


デハ1200形

【HD小田急17】相模野の韋駄天【101形→1200形】


開業当時にそろえられた車両のうち、急行用として使用されたモハ101・モハ121・モハ131形である。
もともとは荷物室とトイレがついていてモハニだったが、すぐに取り外されてモハになった。
16m級2扉で、当初はセミクロスシートだった。
トイレに行くときには一回荷物室に入らないといけない、という謎の仕様だったそうである。
廃車後は越後交通などに渡っている。

デハ1300形(→デニ1300形)

全線複線化に合わせて登場、モハ101・モハ121・モハ131形の荷物室を大きくしたバージョン。
こちらは16m級3扉ロングシートの車であった。
戦後に東急車輛で車体を改造した際、幅1500mmの両開き扉を2箇所に設置し荷物車の代わりとして働いたが、
HB車の旅客運用がなくなるとデハからデニに形式が変わった。

1400形(デハ1400・クハ1450形)

江ノ島線開業に合わせ登場。当初の形式はモハ201・クハ501およびクハ551・モハ251。
2扉だがロングシート、比較的まとまった数が働き、HB車を代表する形式であった。
引退後は新潟交通越後交通岳南鉄道などに譲渡された。

ABF車

間接自動制御(三菱電機製ABF)を採用した吊り掛け駆動の車輌の一群。

1600形

【HD小田急30】戦前小田急最後の電車【1600形】


戦前の小田急としては最後の新造車で、窓が大きく美しいスタイルを持つことでファンの人気を集めた。
これよりも前にクハ601形という形式がクハ1651形として編入されたが、これらも戦後デハ1600形に合わせたスタイルになった。
廃車後は岳南鉄道や近江鉄道に渡ったほか、一部は関東鉄道にも渡っている。

1900形

【HD小田急29】戦後小田急復活のシンボル【1900形】


戦後各地の私鉄に投入された「運輸省規格型」と呼ばれる電車。
規格設計のせいか窓が小さく重苦しい印象。
もと帝都電鉄(→京王井の頭線)出身の1500形も改造・編入(デハ1914Ⅱ・クハ1964)された
(ただしこの2両の制御器は国鉄制式品であるCS-5であるためABF車ではない)。
特急仕様は1910形として登場したがのちに2000形を名乗るも、格下げの際1900形に戻された。
廃車後は富士急行や岳南鉄道、大井川鉄道に渡った。

1700形(初代)

【HD小田急09】本家は私です【1700形Ⅰ】


小田急では始めて転換クロスシートを採用した本格的な特急車輌。
先頭車は17mだったが、中間車は戦災国電の台枠を使ったために20mとなった。
3000形「SE」が初代ロマンスカーと呼ばれることがよくあるが、この電車のことも忘れないであげてください。現在LSEで見られる、百合をかたどったエンブレムは、もともとはこの車輌につけられていたものだった。のちに格下げされて通勤電車に改造。車輌の長さも17mにそろえられた。

2100形

【HD小田急32】小田急の茶坊主【2100形】


小田急最後のABF車で、軽量構造を初めて採用した。
そのスタイルは後に登場する2220形に通じる軽快なもの。廃車後5両が三岐鉄道に渡った。

1800形

もともとは国電63系……に、なるはずだった車輌を割り当てたものと、
戦災で焼けた国電の台枠を流用して新造した車輌の寄せ集め。名鉄からやってきた車輌もある。
車体更新で小田急顔になったが、切妻で異彩を放っていた。廃車後秩父鉄道に譲渡され800形となった(こちらも1989年に引退した)。

ABFM車

初期の高性能車群を指す。「FM車」「FM系」とも。
三菱電機製の多段制御器である「ABFM」を搭載しているためこう呼ばれた。

2200形

【HD小田急02-R】小田急の新風【2200形】


1954年から製造された小田急初の高性能車。直角カルダン駆動。
ただしデハ2217・2218は2220形と同一の性能を持つWN駆動車である。
廃車後富士急行に譲渡されたほか、台車が伊予鉄道に渡っている。
また2両が旧塗装に塗り直された上で静態保存されている。

2220形

【HD小田急01-R】WN駆動の先駆者【2220形】


1958年から箱根急行用に製造された小田急初のWN駆動車。登場時は4連だったがのちに2連に改造。
廃車後富士急行新潟交通に譲渡されたほか、台車が伊予鉄道に渡っている。

2300形

【HD小田急20】薄幸のロマンスカー【2300形】


1955年製。2200形の特急バージョンだが、SE車登場までのショートリリーフ的な側面が強く、
4両編成1本のみの製造に終わり、準特急用を経て通勤型に格下げされた。
廃車後富士急行に譲渡された。

2320形

【HD小田急21】特急になれなかった優等車【2320形】


1955年製。2220形の準特急・急行バージョンだが、NSE車が増備されたため程なくして通勤型に改造された。
廃車後富士急行に譲渡された。

2400形(HE車)

【HD小田急19】ふぞろいな高性能車【2400形】


4両固定編成だが、両端2両と中間2両で車体長が3m近く異なる、変わった構造の電車。
HEとはHigh Economicalの略である。
レールのジョイントを通過する音の間隔が違うため、走行音だけで容易に判別できた。
2400形は最後まで残った、非冷房車でもある。

2600形(NHE車)

【HD小田急23】大量輸送の立役者【2600形】


1964年登場。初の20m4扉、裾絞りの大型車両で、後の通勤形電車の標準的規格となる。
小田急顔の電車の代表格として、ありふれた存在であった。
NHEはNew High Economicalの略である。
最後まで側面表示が種別のみ表示だったことが判別しやすい特徴である。
各駅停車専用とされたため、小田急では初めて回生ブレーキを搭載しているほか、
電動車は3両1ユニットという珍しい方式である。
それゆえ編成の自由度は低かったが、この頃の小田急は固定編成が前提であるため問題はなかった。
単独で運用する分にはそれでよかったが、5000形以降の形式と連結した場合、
2600形は回生ブレーキの失効速度が速く、すぐに空気ブレーキに切り替わってしまうため
連結運転の際には運転士に嫌われたらしい。
1編成8両だけ2000形と同じIGBT素子のVVVF制御に改造された車両あり。
最後まで残った1編成6両は旧塗装に塗り直され、その先頭車が保存されている。

4000形(初代)

【HD小田急25】改造改造また改造【4000形Ⅰ】


車体は2600形とほぼ同じだが、足周りが特徴の電車。
ギラリと光るディスクブレーキと、吊り掛け駆動が魅力であった。
…が、1984年に、先述の2400形から機器を譲り受けて高性能化された。
その際に冷房化もされたが、2600形・5000形とはクーラーの数が違うのと、
デハはやっぱりディスクブレーキが特徴だったので容易に判別できた。

しかしWN駆動化後も回生ブレーキはおろか、発電ブレーキすらついていないため、
ブレーキ操作がシビアで、特に異形式併結時は2600形以上に運転士に嫌われたそうである。
そのためなのか2600形と共に廃車が進み、2600形全廃後程なくしてひっそりと姿を消した。

9000形

小田急9000形 生誕40周年


千代田線直通用として1972年より製造が開始された。小田急初のチョッパー制御を採用した車両でもある。
「営団に負けるな」という設計陣の一言で決められたという斬新な前面スタイルから
「ガイコツ」の異名をちょうだいした。今の所、小田急車両唯一のローレル賞受賞車両。
30年たっても古さを感じさせないスタイルが人気だったが、回生・発電併用のHSC-RDブレーキなど、
特殊部品の確保が困難であるほか、車体腐食に伴う老朽化により、2006年5月に全車引退となった。1000形登場後は地上線運用となっていた。
引退後はトップナンバーの先頭1両のみ保存されている。

5000形

YouTubeアバター画像【小田急5000形・ラストナンバー】


【HD小田急22】最後の『小田急顔』【5000形】


この電車のような前面形状は、ファンの間で「小田急顔」と呼ばれ長年親しまれていた。
1972年からは上述の9000形に予算を転用したため製造が中止されたが、1978年から製造を再開した。
後述の5200形と合わせ、主に急行用であったが、実際には特急以外の多彩な運用につくことができた。
「最後の小田急顔」として親しまれていたが2012年3月に引退。

5200形

小田急5200形


6両編成の増備を目的に登場した。
形式上はあくまでも5000形であるが、外観(とくに側窓)が変更されているため便宜的に5200形と呼ばれる。
3000形や4000形(2代)の登場により、廃車が進行、2011年1月に6両編成はラストランを行い引退した。一部の編成は4両編成に短縮され、5000形と共通の運用についていた。5000形と共に運用についていたが5000形より一歩早い2012年1月に引退した。

500形(モノレール)

【HD小田急24】向ヶ丘のモノレール【500形】


1967年に運転を開始したが、実は川崎航空機が試作したロッキード式モノレールの電車を小田急が引き取ったもの。
向ヶ丘遊園へのアクセス輸送用に登場したが、台車に致命的なひびが発生していたことから
2000年に休車となったが向ヶ丘遊園の利用者が減少していたため路線廃止となり2001年に廃車された。

キハ5000形・5100形

国鉄御殿場線との乗り入れ用に1955年に開発された小田急唯一の気動車である。主に特急「銀嶺」「芙蓉」「朝霧」「長尾」に充当されていたが、1968年に御殿場線が電化されたためお役御免となり関東鉄道へと譲渡された(関東鉄道では3ドア化、通勤車格下げを実施)。

なお、窓割を見ればわかるがキハ5000形は登場当時、シートピッチが恐ろしく狭く窮屈であり、
しかもこれで満席の状態になると乗客の重さでエンジンが焼きついてしまうというトラブルに見舞われた。
その反省からキハ5100形ではシートピッチを広げたため、キハ5000形もそれに合わせて改造したのだが、
今度はシートと窓の位置関係が合わなくなってしまった。

電気機関車


デキ1010形


デキ1020形


デキ1030形


デキ1040形(ED1041)

【HD小田急15】小田急最大の電機【デキ1040形】


1951年三菱製。軸配置はB-B。小田急最大の電気機関車である。
長らく貨物列車を引いてきたが、1984年以降は新車の甲種輸送などが主な任務であった。
しかし、合理化のため電車に代替される形で1996年に廃車。

デキ1050形


関連タグ

pixivに投稿された作品 pixivで「小田急電鉄」のイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 74163

コメント