特徴
東京都・神奈川県に路線網を持つ大手私鉄の一つ。通称「東急」。
大手私鉄では第二位、純粋な民営鉄道としてはダントツの乗客数・売上高を誇る。
発足としては後発組だが、それだけに他社の成功やノウハウを積み上げてきた堅実な運用で勢力を伸ばしてきた。郊外の田園にニュータウンを開拓し、その機能の一部として通勤通学手段を提供するというスタイルは、イギリスのハワードによる田園都市計画、そして阪急電鉄の手腕に倣ったものだといわれている。
また、草創期の総帥である五島慶太がかつて短期間ながら商業学校の英語教師をしていた教育者であった事もあってか、大岡山の東京工業大学や日吉の慶應義塾大学などといった大学の沿線誘致も古くから行っており、それに留まらず自らも東京都市大学や亜細亜大学の運営に(グループ内の学校法人を介して)携わっていたりする。なお駒沢大学駅には駒沢大学があるが都立大学駅と学芸大学駅は名称詐欺なので受験生は注意(かつては双方とも各駅前にあったが、戦後に多摩地域に移転)。
運賃は大手私鉄の中でも最安のクラスに属し、JRと比べて半額に近いエリアも存在する。
東京都世田谷区や横浜市の北部といったJR空白地帯を補う形で機能しており、ライバルというよりは互助的な関係にあるともいえる。
全く競合していないわけでもないが、横浜⇔渋谷間であっても「早いJR」か「安くて多い東急」かを選択する程度には住み分けができている。
駅デザインやホームドア設置に積極的で、近年のバリアフリー法の施行に伴い、田園都市線・東横線・大井町線の全64駅にホームドアを施工する計画を発表。2020年3月に世田谷線・こどもの国線とセンサー付固定式ホーム柵が設置されている池上・東急多摩川線を除く自社管内全ての駅にホームドアの設置が完了した。
2024年5月から関東の大手私鉄では初めてクレジットカードでの乗車システムを導入している。
歴史
現在の目黒線と東急多摩川線を建設・運営した目黒蒲田電鉄を源流とし、(旧)東横電鉄(現在の東横線)との合併によって社名を(新)東横電鉄に改める。その後大井町線を建設、玉電(同・田園都市線の一部と世田谷線)と合併、そしてとどめにライバルの池上電鉄(同・池上線)を買収して現在の路線の大半が揃うこととなった。
戦時中の1942年には京浜電気軌道(現在の京浜急行電鉄)および旧小田急電鉄(現小田急の路線に京王井の頭線を加えたもの)と合併し「東京急行電鉄」へ社名変更。更に1944年には京王電気軌道(現在の京王電鉄のうち井の頭線を除いたもの)と合併、1945年には相模鉄道から鉄道事業を受託。こうして東京城南~神奈川の各私鉄を統合していた時期の東急は「大東急」とも呼ばれる。上記事業者は戦後すぐに独立することとなるが、かつて東横電鉄だった部門がこの時に東急の事業名を引き継いでいる。
戦後の東急の歴史としては多摩田園都市構想に基づいた田園都市線の建設やそれに伴う大幅な沿線開発が特によく知られている。平成期には東横線・田園都市線の一部複々線化や東京メトロ・都営地下鉄への更なる乗り入れ強化、東横線横浜ー桜木町間を廃止し横浜高速鉄道へ乗り入れるなど相互直通運転の向上及び輸送力の増強強化を行っている。またその資金力をもって東横線系統の高架化・地下化を進めたのもこの時期である。
最近では将来的な人口減少を見据え、有料座席指定制サービスにも着手している(S-TRAIN・QSEATなど)ほか、アクセス改善を見込んで2023年3月から相模鉄道との相互直通運転を開始している。
2018年9月、東急は「持株会社化と鉄道事業の分社化」を発表。2019年4月25日付で「東急電鉄分割準備株式会社」を子会社として設立、同年9月2日付で社名変更を実施した。「東京急行電鉄株式会社」は持株会社化で社名を「東急株式会社」へ変更、「東急電鉄分割準備株式会社」は社名を「東急電鉄株式会社」へ変更。この結果「東京急行電鉄」の名称は消滅することになった。「東急電鉄株式会社」は同年10月1日付で鉄軌道事業を「東急株式会社」より引き継いだ。
車両
日本で初めてオールステンレス製電車(初代7000系、概要は「東急7000系」の記事を参照)を走らせた鉄道会社であり、1989年以降は在籍するすべての電車がステンレス製となっている。
駅間が短い路線の例に漏れず、伝統的に車両の加速度が非常に高い。上記の7000系の起動加速度は公称4.0km/h/sであった。
「前面は切妻以外考えない」という首脳陣の意向から四角四面の車両が多く、一部のファンからは「弁当箱」という綽名を頂いていた。
しかし3000系以降の新車は通過運転時の風圧を考慮し流線型のデザインが採用されており、今や弁当箱な車体の形式は少数派となっている。
かつてはグループ内で鉄道車両製造会社を所有しており、JRや私鉄の多くの車両を製造したことから業界の標準仕様となることも多く、2代目5000系は日本鉄道車輌工業会が定める通勤電車の標準化ガイドラインに強い影響を与えた。また、3000系以降の新形式はJR東日本の一般形車両の設計を取り入れている。
ステンレスボディを生かした更新工事を実施しており、先述の7000系はVVVFの7700系として更新され、東急線から撤退した現在も養老鉄道で使用され我々の度肝を抜いた。1962~1966年製造なので、ボディだけなら同世代の京王電鉄3000系、南海電気鉄道6000系といい勝負である。
ステンレスな上にかつては車両仕様が短い18m車が多く、18m対応設計が多い地方事業者との互換性も高いこともあり、廃車した車両の多くが解体されることなく地方の中小私鉄に譲渡されており、青森県から熊本県まで全国各地で現在も元東急車が活躍している。
特徴的なのは中小私鉄のみならず大手私鉄への譲渡実績もある点で、かつては名古屋鉄道に3700系、そして最近では西武鉄道へ9000系の譲渡が発表された。
車両の型式については千の桁がグループ、百の桁がサブカテゴリと号車(あるいは搭載機器の仕様)をあらわし、残りはシリアル番号となる。百の桁がかなりゴチャゴチャしており、当時の車両管理システムの限界を超えて苦し紛れにすさまじいデフレナンバーを生んだ逸話がある。
5000系以降は番号が概ね統一されており、百の位が号車となっている。
現在、東急多摩川線・池上線で使われているのは3ドア18m車、それ以外は4ドア20m車である。
300系は路面電車タイプの低床車両である。
これ以外の路線の車両設計は基本的に共通しており線区内での転配も時折実施されているが、車幅規格は東横線の方が比較的広めに対し、田園都市線は狭めとなっている。
目黒線はこれといった特殊条件は存在しないが、直通先に対応するためATOが搭載されている。
東急9000系
新造時より三相誘導電動機を採用した最初の系列。車端部にボックス式クロスシートがある。
東横線(8両編成)、大井町線(5両編成)に配置されていたが、東横線用の8両編成は5050系に追われて5両編成に短縮され、現在は全編成が大井町線に集結している。
一部編成に見られる木目調の壁がナウい。
東急1000系
東横線用の8両編成、池上線、東急多摩川線用の3両編成を用意。3ドア18m車。
東横線用の8両編成は2013年3月で用途廃止になったため、2014年から1500番台に改造され
池上線、東急多摩川線での運用が開始された。
9020系(旧東急2000系)
9000系の田園都市線バージョンとして10両編成3本が製造された。東武へは乗り入れない運用に充当されていた。大井町線を走る8500系の代替車両に抜擢され、2018年より順次大井町線転属改造を行い改番。
東急3000系(二代目)
先述の解体禁止令が解け、ようやく目黒線に増備された新車。6両編成だが、第1編成のデビュー時は8両で東横線を走った。
東急5000系(二代目)・5050系・5080系
増備が進む東急の標準車体で現在の主力。それぞれ田園都市線、東横線、目黒線で活躍中。
増備時に東急が大株主であった某航空会社の経営不振の影響で増備用の資金が一時的に不足し、玉突きで押し出された5000系が東横線に移動するという事態も起きている。また、番号が足りないので東横線の10両編成増備目的で5050系4000番台というデフレグループも存在する。
東横線の5050系の中には新世代ステンレス車両sustinaの試作車が一両だけ紛れて耐久実験に供されている(5576号車)ほか、田園都市線の5000系には混雑対策として6ドア車を組み込んでいた。しかしホームドアの支障になる為、6ドア車は4ドア車へ置き換えられて全廃となった(主要機器類については新造中間車に流用)。
この他、5050系の一部がQSEAT中間車を編入して4000番台へ改番されるなど、形式のカオスぶりはかつての8000系を彷彿させる。5080系は相鉄直通を前に中間車を増結して8両化された。この際組み込まれた中間車は大半が新造な他、2両だけ元6000系の車両が紛れている。
- 5000系:田園都市線用は10両編成、東横線用は8両編成。
- 5050系:東横線用の8両編成。
- 5050系4000番台:東横線用の10両編成。8両編成にもなれる。
- 5080系:目黒線用の8両編成。
東急6000系(二代目)
田園都市線にも乗り入れ可能な大井町線の急行専用車。7両編成。東急車のくせに先端が尖っている。高加速と高速性能を両立。その性能を活かし、土日祝日を中心に田園都市線に入線する。
6020系と同型のQSEAT車を連結している編成が2編成存在しており、QSEAT運用を行う6020系の予備車としても扱われる。この際編成から外れた2両は5080系に編入された。
東急7000系(二代目)
東急多摩川線と池上線の新車。青蛙(初代5000系)をイメージした丸っこい前面が特徴。
1000系1500番台が入ってきたため増備は一時中止になっていたが、2017年より増備再開。
東急300系
世田谷線用の路面電車。低床バリアフリー構造である。
東急では唯一の1372mm軌間(馬車軌)である。
東急2020系・3020系・6020系
東急田園都市線と大井町線急行線用の新車。2020系は8500系の置き換え、3020系は目黒線の8両化・新横浜線開業に伴う輸送力増強用、6020系は大井町線急行の輸送力増強用としてそれぞれ新造。
6020系の一部の車両にはデュアルシートが導入され、クロスシート時に有料座席指定サービス「QSEAT」車両として使用される。
運賃
2023年(令和5年)3月18日現在。
キロ数 | 運賃 | |
---|---|---|
ICカード利用 | 切符利用 | |
初乗り - 3km | 140円 | 140円 |
4km - 7km | 180円 | 180円 |
8km - 11km | 227円 | 230円 |
12km - 15km | 250円 | 250円 |
16km - 20km | 288円 | 290円 |
21km - 25km | 309円 | 310円 |
26km - 30km | 347円 | 350円 |
31km - 35km | 381円 | 390円 |
36km - 40km | 430円 | 430円 |
41km - 45km | 469円 | 470円 |
46km - 50km | 500円 | 500円 |
51km - 56km | 531円 | 540円 |
こどもの国線 | 154円 | 160円 |
世田谷線 | 160円 | 160円 |
加算運賃
1日乗車券
- 東急ワンデーオープンチケット(大人:780円、子供:390円)
- 世田谷線・こどもの国線を含めた全ての路線で使える1日乗車券。但し、こどもの国線と世田谷線各駅では購入不可能だが、三軒茶屋駅で本乗車券を購入後に当日の世田谷線の乗車証明書を駅窓口に提出すると、世田谷線運賃相当額の払い戻しを受けることが出来る。
- なお、QRコード乗車券版では40円引きで購入可能で、2024年9月にはキャンペーンで半額の370円で発売されていた。
- トライアングルチケット
キャラクター
東急クマ
車両のドアステッカーに登場するクマのキャラクター。
決して下半身露出ではない。
のるるん
2012年から登場したマスコットキャラクター。
エピソード
上記にもあるが会社創業期に阪急の手腕を倣った事もあって、阪急同様にブランドイメージの維持に強いこだわりを見せており、イメージを毀損すると判断した事象に対し厳しい姿勢を見せることが多い。
- 「高知東急」騒動。詳細はウィキペディアを参照。彼は後に麻薬所持で逮捕されており、風評被害を阻止できた。
- 「当社を利用するお客様には不倫を行う方は居ません」という理由でドラマの駅前撮影を拒否した。
等々、かつてはこの手の逸話に事欠かない時期があった。しかしながらCMやドラマ撮影に寛容なライバルの京王電鉄等が大きく知名度を上げた事やグループのイメージアップを図る必要かある事などから方針を転換、現在では専門窓口を設けてロケ提供事業を行っている。
近年他の事業者で実施している萌えキャラも一切導入しておらず、鉄道むすめとステーションメモリーズ!の両シリーズに登場が無い唯一の大手私鉄である(両作ともグループ会社は登場実績がある)。
東映はかつての東横電鉄の関連会社・東横映画株式会社を始祖としている。東急は1946年12月18日プロ野球チーム・セネターズを買い取り、1949年1月に東急フライヤーズと名付けた。その後急映フライヤーズに改称し、1954年1月1日に東映にチーム運営を委託、2月1日に東映が子会社にチームを移管して東映フライヤーズに改称した。
1959年に東映・旺文社・日本経済新聞社の出資により日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)が開局し、東映グループは会計の専門家だった大川博がテレビ時代に先手を打った。ところが1964年9月30日、東映の再建を果たした大川と、東急の経営を五島慶太から引き継いだ五島昇の確執により、東映は資本面で東急グループから離脱。
1966年にNETテレビの株の半分を朝日新聞に売却し、総合局化とANN結成のきっかけとなった。大川が大切にしていた東映フライヤーズも成績不振と黒い霧事件で観客数が伸び悩んだため、1972年に売却した。
ロッキード事件での「記憶にございません」との答弁で有名な小佐野賢治や彼の経営していた国際興業は東都乗合自動車や東京観光自動車を継承した大東急の衛星企業としてのバス会社でもあった。
日本の企業では唯一、2013年から2019年まで7年連続で、女性社員の活躍を推進する企業を表彰する「なでしこ銘柄」に選出されている。
車内広告は田園都市線系統と東横線系統では広告が異なり、東横線の方では債務整理の広告が直通他社より少なめで、週刊誌や出版社の広告が多い。
自社広告はやや少なめ。
路線
現在の保有路線
- 東横線:TY01(渋谷駅)-21(横浜駅)
- 目黒線:MG01(目黒駅)-13(日吉駅)
- 田園都市線:DT01(渋谷駅)-27(中央林間駅)
- 大井町線:OM01(大井町駅)-15(二子玉川駅)・16(溝の口駅)
- 池上線:IK01(五反田駅)-15(蒲田駅)
- 東急多摩川線:TM01(多摩川駅)-07(蒲田駅)
- 世田谷線:SG01(三軒茶屋駅)-10(下高井戸駅)
- 東急新横浜線:SH01(新横浜駅)-03(日吉駅) 相鉄新横浜線への直通運転を行う。基本的に東横線・目黒線の一部電車が乗り入れる。
東急多摩川線と東急新横浜線のみ、社名の「東急」を含めた名称が正式な路線名である。
使わなくなった路線名
- 溝ノ口線:二子玉川駅-溝ノ口駅(現溝の口駅) ※1943年に大井町線(1963年以降は田園都市線)に編入・名称消滅。
- 新玉川線:渋谷駅-二子玉川園駅(現二子玉川駅) ※2000年に田園都市線に編入・名称消滅。
- 目蒲線:目黒駅-蒲田駅 ※2000年に目黒駅-多摩川駅を目黒線、多摩川駅-蒲田駅を東急多摩川線に分割。線路はそのまま残っている。
廃線
- 玉川線:渋谷駅-二子玉川園駅 1969年5月廃線 国道246号を通る路面電車であった。
- 砧線:二子玉川園駅-砧本村駅 1969年5月廃線
- 新奥沢線:雪ヶ谷駅(現雪が谷大塚駅)-新奥沢駅 1935年に廃線
- 東横線:横浜駅-桜木町駅 2004年1月廃線
他事業者に譲渡
1938年に東京市電気局に運営委託、1948年に東京都に正式譲渡
- 中目黒線:渋谷橋駅-中目黒駅(東横線の駅とは少し離れた位置)※1967年12月廃線
- 天現寺線:渋谷駅-天現寺橋駅※1969年10月廃線
1947年に経営委託解除に伴い相模鉄道に経営権返還
以下は1948年の大東急解体に伴う経営分離の結果である。
京王帝都電鉄(現京王電鉄)に譲渡
- 京王線:新宿駅-東八王子駅(現京王八王子駅)・調布駅-京王多摩川駅(多摩川支線)
- 御陵線:北野駅-多摩御陵前駅※御陵線は譲渡の時点で運行休止中(~1967年)、山田駅-多摩御陵前駅間は1964年廃止
- 井ノ頭線:渋谷駅-吉祥寺駅・代田二丁目駅(現新代田駅)-世田谷中原駅(現世田谷代田駅)(代田連絡線)※代田連絡線は1952年使用停止
小田急電鉄に譲渡
京浜急行電鉄に譲渡
- 品川線:品川駅-横浜駅・京浜川崎駅(現京急川崎駅)-桜本駅(大師線)・京浜蒲田駅(現京急蒲田駅)-穴守駅(現穴守稲荷駅)(穴守線)※大師線小島新田駅-桜本駅間は1952年までに廃止
- 湘南線:横浜駅-浦賀駅・金沢八景駅-湘南逗子駅(現新逗子駅)(逗子線)・横須賀堀内駅(現堀ノ内駅)-湘南久里浜駅(現京急久里浜駅)(久里浜線)
関係路線
- 東京メトロ副都心線・東武東上線:東横線・東急新横浜線が直通。
- 西武有楽町線/池袋線/狭山線/西武秩父線:東横線が直通。
- 相鉄新横浜線/相鉄本線/いずみ野線:東横線・目黒線・東急新横浜線が直通。
- 東京メトロ南北線・都営三田線・埼玉高速鉄道:目黒線・東急新横浜線が直通。
- 東京メトロ半蔵門線・東武スカイツリーライン/日光線:田園都市線が直通。なお東横線も後述の日比谷線を介して線路は繋がっているが、東横線とスカイツリーラインを直通する営業列車の設定実績はない。
- 東京メトロ日比谷線:過去に東横線が直通していた。また、現在も鷺沼工場へ向かう日比谷線車両が東急各線を経由して回送される。
- 東京メトロ有楽町線:ダイヤ乱れ時、東横線10両編成が入線・臨時で運用する場合あり。
- 横浜線:長津田駅付近に田園都市線との連絡線が存在。車両搬入に使用。
関連タグ
- 東急フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)
- 東急車輛製造:旧・東京急行電鉄時代の100%出資の子会社だったが、2012年にJRグループに買収され、総合車両製作所となった。
- 東急くろがね工業(現日産工機)
- 上田電鉄(旧・上田交通)
- 日本航空:東亜国内航空時代からの縁でかつて同社の筆頭株主だった。ちなみに60年代は全日空を名古屋鉄道グループと争ったが、名鉄優勢のまま撤退した。
- 西武鉄道:箱根山戦争という言葉に象徴されるように、伊豆の観光開発における最大のライバルだった。現在は協調関係を築きつつある。
- 阪急電鉄:東に東急あれば西に阪急という大手私鉄界のハイソ&エリート。ワンハンドルマスコンの導入には協力を仰いだほか、同時期にSDGsラッピング車両を走らせるなど関係は非常に深い。
- 東急中古車両センター:地方中小私鉄(たまに大手も)への豊富な中古車売却実績から生じたあだ名。