概要
コールサインは「Toa Domes」。
日本国内航空を傘下に収める東急が独自の航空会社を持つことに拘り生まれた会社。
1970年、政界工作と東亜航空の親会社である不二サッシの社長を説き伏せ、1971年、国の意に反して東亜国内航空誕生。
沿革
1953年 | 東亜航空誕生 |
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1964年 | 日東航空、富士航空、北日本航空が国の指導のもと合併、日本国内航空が誕生 |
1996年 | 閣議決定により統合を前提に日本航空との連携を進める。 |
同上 | 東亜航空、中日本航空は将来的に全日空と合併させる予定だったが西日本航空は路線運営を全日空に移管し定期航空路線から撤退。 |
1971年 | 日本国内航空と東亜航空が合併、東亜国内航空誕生 |
1972年 | 45/47体制により国内ローカル線の運航を任される |
1981年 | エアバスA300就航(日本でエアバス機初導入) |
1985年 | 45/47体制廃止、国際線と国内幹線に参入可能に |
1988年 | 国際線運航の為に社名を日本エアシステムに変更 |
1997年 | 日本エアシステムと北海道が共同出資し北海道エアシステム設立 |
同年 | 完全子会社のハーレクインエア設立 |
同年 | 親会社東急とともに経営悪化、理由は採算のとりづらいローカル線と新型機導入のコスト重、業績は3社中最も下だったが労働組合の影響が強く、従業員の待遇が他2社と同等かそれをも凌ぐ高水準で高コスト体質であった |
2002年 | 身売り開始、全日空は拒否、日本航空は国に打診され経営統合 |
同年 | 日本航空と日本エアシステムが株式移転し、持株会社日本航空システム設立 |
2009年 | 経営撤退、北海道エアシステムの筆頭株主が北海道に |
2013年 | 株式を買い上げ北海道エアシステムを再子会社化 |