A300
えあばすえーさんびゃく
本格的なジェット旅客機が世界中で登場した1960年代ごろから、誰もが気軽に旅客機に乗れる大型旅客機「エアバス(空のバス)」の登場が期待されるようになった。当時、ヨーロッパの航空機メーカーは単独で「エアバス」を開発する体力がなかったため、国際共同のエアバス社を設立してエアバスA300の開発が開始された。A300のAはエアバス、300は300人乗りを目指して開発されたことに由来する。
A300は1974年に就航したが、深刻な航空不況もあって販売は伸び悩んだ。そんな中で、エアバス社はアメリカ国内線大手のイースタン航空に4機を破格の条件(6ヶ月間、リース料無料)でリースした。イースタン航空は最高の機体と評価し、A300の経済性も全世界に認められるようになった。この結果、A300はエアバス社を一気に世界有数の旅客機メーカーへと押し上げることになる。A300は標準型のA300B2、航続距離延長型のA300B4が開発された。
A300の成功のあと、エアバス社はA300の胴体を縮めて航続距離を延長し、グラスコクピットを採用し、2名乗務としたA310を開発した。この開発の過程で得られた技術をA300にフィードバックすることで、ハイテク版A300ともいえるA300-600ならびにその航続距離延長型A300-600Rを開発した。A300-600、A300-600Rは合計312機が製造された。
エアバスは各国で生産したパーツを特定の組み立て工場に集めて組み立てるというスタイルを取っているため、大きな旅客機の翼や胴体となると大きすぎて普通の輸送機では運ぶ事ができない。
そこで当初はボーイング社のC-97輸送機改造型「スーパーグッピー」をアメリカから購入して使用していたが(そのため、「全てのエアバス機はボーイングの翼によって届けられる」というジョークも生まれている)、それもいい加減古くなってきたため、A300-600をベースに新たに開発されたのがA300-600ST「ベルーガ(シロイルカの別名)」である。
スーパーグッピーと同じく胴体は上に大きく膨らんだ形状をしており、コックピットの上部分が開いてそこから翼や胴体を入れる。
1995年から運行され始めたベルーガは、今やエアバス製飛行機を作るために欠かせない存在となっているが、宇宙ステーションのモジュールや人工衛星、美術品を運ぶ事もあり、1999年にはドラクロワの絵画「民衆を導く自由の女神」を運ぶため日本に飛来した事もある。
2019年からはA330をベースにした新型のベルーガ「ベルーガXL」にバトンタッチしていく予定であるが、一方で耐用年数に達するまで充分な時間が残されていることから、今後はエアバス社が展開する大型貨物の輸送サービス用として引き続き運航されていくとのこと。
東亜国内航空がA300B2、A300B4を導入し、日本エアシステムに社名変更した後はA300B2、B4の後継機としてA300-600Rを導入、主力機として活躍した。JALとの合併後、A300はまもなく退役し、A300-600Rは国内線の主力機のひとつとして活躍していたが、JALの経営破綻で退役が決定、2011年3月いっぱいでの退役が予定された。しかし、2011年3月11日に東日本大震災が発生。東北方面への支援物資ならびに人員を輸送するための臨時便がいくつも設定され、A300-600Rがこの役につき、最後の花道を飾るかの如く活躍した。そして、支援物資の輸送が一段落した2011年5月、A300-600RはJALでの、そして日本での役目を終えた。
日本とA300で外せない出来事として、1994年に名古屋空港で日本の航空事故では2番目に多い犠牲者を出した中華航空140便墜落事故を起こしていることでも知られる。