概要
日本の航空会社の一つで、略称はJAS。かつては日本航空(JAL)や全日本空輸(ANA)と並ぶ国内の三大航空会社の一つであった。当初の名称は東亜国内航空(TDA)で、その名の通りローカル線を中心とした国内線を主力としていた。
日本国内航空の時代から東急傘下にあった。一方で、日本国内航空の前身(のひとつである)日東航空は近畿日本鉄道の傘下であるとともに歴史的経緯から朝日新聞の支援を受けていた全日本空輸に対抗するため産経新聞の支援を受けていた。
合併後は名古屋鉄道が支援する全日本空輸と東急電鉄と近鉄の支援を受けた東亜国内航空の代理戦争の構図となり、これは日本航空合併後も変わらず日航破綻まで続いた。
TDA時代から取り入れられた特徴的なレインボーカラーは、元々エアバス社がコーポレートカラーとして使っていたものを、A300を導入した際に譲ってもらったという経緯がある。それをライバルたるMD機にも塗装するとはエアバスも思わなかっただろうが…
二十一世紀に入り、経営悪化から主力路線(JASは国内ローカル線、JALは国際線を主力としていた)が被ってない日本航空グループと経営統合を果たした。その後、日本航空グループに吸収合併されることとなった。
合併後旧レインボーシート制度が「クラスJ」として日本航空に引き継がれたほか、かつての子会社の内、日本エアコミューターと北海道エアシステムが現在でも存続している。
JASにおいて機内で配られた飴は黄金飴であったが、これも日本エアコミューターにてその伝統は引き継がれている。
また、日本エアシステムのパイロット有志によって「大畑線キハ85動態保存会」が結成され、旧下北交通大畑駅にてキハ22の動態保存が行われている。
なお、2024年には元日本エアシステムの客室乗務員であった鳥取三津子氏がJAS出身者(かつ女性)としては史上初めて日本航空の社長に就任することとなった。
沿革
- 1971年 日本国内航空と東亜航空の合併で東亜国内航空(TDA)が誕生
- 1988年 日本エアシステム(JAS)に改名
- 2002年 日本航空と経営統合し日本航空ジャパンに改名
- 2006年 日本航空インターナショナル(旧:日本航空)へ吸収合併