概要
第二次世界大戦敗北後アメリカ合衆国を中心とした進駐軍の命令により日本は航空機を使った活動が一切出来なくなったのだが、1952年になってその規制が完全に撤廃されたことで日本航空(1951年に設立)以外の航空会社が次々と設立されることになったが、その頃設立された日東航空、北日本航空、富士航空の三社が対等合併する形で設立された。
この三社合併の背景には、経営基盤があやふやであったが故に大阪-東京線や札幌-東京線や東京-福岡線を開設してこの状態を脱したいという各社の思惑(ただし北海道航空は八戸経由ながら札幌-東京線を開設してはいた)に加え、そんな折も折の1964年2月、北日本航空以外の2社が犠牲者を出す事故をそれぞれ起こしてしまったがために、空の安全性確保のためにも合併による規模拡大やむなし、というものがあった。
なお、この3社合併には東急が一枚噛んでいた。
1971年5月15日に東亜航空と合併して「東亜国内航空」という、日本語的に不自然な名称(東アジアの国内という意味不明な表現になってしまう)と化したのち、日本エアシステム(JAS)に改称された。