概要
福岡市博多区にある空港。1944年に旧陸軍の席田(むしろだ)飛行場として建設開始。1945年5月に滑走路が完成したもののすぐに終戦を迎え、そのままアメリカ軍に占領され板付飛行場となる。朝鮮戦争時には日本本土内では最前線基地となった。1951年に民間航空路が開設(福岡-大阪-東京)。1965年に国際線が開設(福岡-釜山線)。1972年にアメリカ軍から返還された。
福岡市中心部に近くアクセスも良好(福岡市営地下鉄空港線で繁華街の天神から約10分。また、九州自動車道に直結する福岡高速道路の出入口も至近にある)であること等から利用者が多く、年間約14万回の発着回数は国内では羽田空港・成田空港の両国際空港に次ぎ3番目に多いが、滑走路が1本しかないため離着陸の輻輳による遅延がしばしば発生する。
また、空港が近くにあることから福岡市中心街には他の大都市と違い超高層ビルは法令上建設できなくなっている。
福岡市営地下鉄空港線の福岡空港駅と直結している。
移転も一時検討されたが、あまりにも便利すぎることから反対論が根強い事もあり、現滑走路に並行して新しい滑走路をねじ込むことで当座をしのぐ事になった。この新滑走路は2025年3月にも供用を開始する予定(ソース)。
なお、構内には航空自衛隊、アメリカ軍、海上保安庁等の基地施設が併設されている。
余談
アメリカ空軍板付飛行場時代、国鉄鹿児島本線竹下駅からジェット燃料輸送用の専用線が敷設されていた。現在の国際線ターミナル付近に貨物ヤードがあったが、1972年の基地返還により廃線となった。
アメリカ軍に占領された際に「席田」から「板付」に名称が変更された理由は、「席田」だと発音しにくく、「板付」のほうが発音しやすかったといわれている。
1945年8月3日と6日と8日に、旧海軍の試作局地戦闘機「震電」の試験飛行が行われた。
戦争末期に強制収用で建設されたが、土地の登記変更が間に合わずいまだに用地の三分の一がが民有地で年間約84億円の借地料を地主に支払っており、空港経営の足かせとなっている。なお、空港用地の地主の中で特に有名なのは東日本大震災の際に宮城県知事と岩手県知事を恫喝した復興担当大臣である。