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概要編集

朝鮮戦争(ちょうせんせんそう、朝鮮語:한국 전쟁、英語:Korean War)は、1950年6月に朝鮮半島を戦場とした戦争。朝鮮半島の分断国家である韓国北朝鮮の間で起こった戦争で、アメリカ合衆国ソビエト連邦中華人民共和国が介入したため代理戦争の面を持つ。結果、朝鮮半島のインフラが破壊され、南北の分断が決定的となった。

 この戦争は韓国内では「韓国戦争(あるいは動乱)」・「6.25(韓国語でユギオ)戦争」と呼ばれる。北朝鮮内においては「祖国解放戦争」、アメリカなどでは「korean war」、中国では「抗美援朝戦争」と呼ばれる。


経過編集

1945年8月に太平洋戦争が終結し、敗北した大日本帝国朝鮮の統治権を放棄した。


朝鮮半島は半島北部にソビエト連邦軍(労農赤軍)が、南部にアメリカ軍が進駐し、本来朝鮮半島はヤルタ会談などではイタリアが所有していたソマリランド同様に国際連合による信託統治という、国連の信託を受けた国が国連総会および信託統治理事会による監督により一定の非独立地域を統治する制度が決定されていた。これを特に南側の支配層が嫌い、結果米ソ両国によって分割統治が実施された。


1948年9月に北部にソ連・中華人民共和国の支援を受けた金日成が率いる朝鮮民主主義人民共和国、8月に南部にアメリカで長年ロビー活動を行ってきた李承晩大統領を務める大韓民国(韓国)が建国された。


大韓民国の第2回総選挙で李承晩の大韓国民党が惨敗し、李承晩は威信回復のため北朝鮮に兵を進めたいとアメリカ陸軍長官に表明したが、長官からアメリカを窮地に陥れるような行動はするなと窘められ、アメリカの不興を買って支援が停止された。

支援停止で政治的、経済的に不安定な状況になった大韓民国を見た北朝鮮は、これを好機と捉えた。


連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーCIAから北朝鮮の不穏な動きを報告されていたにもかかわらず、「朝鮮半島で戦争は起きない」と決めつけて全く策を講じることはなかった。

吉田茂内閣の日本政府も半島情勢を楽観視していたが、半島と近い山口県の田中龍夫知事は海戦を懸念して独自に情報収集し、開戦の可能性と対応を政府に伝えたが顧みられなかった。また昭和天皇もマッカーサーに日本の安全保障主権回復の講和条約も踏まえて開戦の可能性を訴えていた。

1949年3月にソ連を訪問した金日成は会談したヨシフ・スターリン党書記長に戦争のための援助を求めたが、スターリンは戦争になれば核保有国のアメリカの参戦を恐れて渋っていた。その後、同年6月にソ連で核実験が成功したことで自信をつけたスターリンは援助に積極的に変わった。

またスターリンは中国の毛沢東との会談で極秘であった核実験の映像を見せて、戦争介入の約束を取り付け、相互援助条約も結んだ。しかも、この条約でソ連軍が旅順港を使える条項を入れ、ロシアの悲願である不凍港獲得を狙った。


1950年6月25日にスターリンの許可を得て、ソ連の支援を受けた朝鮮人民軍の奇襲侵攻で戦争が勃発した。北朝鮮軍は一気に南部の釜山にまで大韓民国国軍を追い詰めたが、補給が途絶えて一時停滞する。


アメリカ軍を中心とする国連軍が韓国の支援に参戦した。同年9月15日に困難と思われた仁川上陸作戦(クロマイト作戦)を成功させ、逆に中国国境付近まで北朝鮮を追い詰めた。


スターリンに命令された毛沢東は北朝鮮支援に義勇軍である中国人民志願軍(実際は正規軍の中国人民解放軍)を派遣。鴨緑江付近での戦闘で大敗を喫した国連軍は後退を続け、1951年1月4日にはソウルを制圧された。


国連軍側では事故死したウォルトン・ウォーカーの後任としてマシュー・バンカー・リッジウェイが第8軍司令官に就任した。リッジウェイは軍を立て直すと北進を開始し、3月14日にはソウルを奪回した。


戦争指揮の失敗が続いたマッカーサーはトルーマンと方針が隔たるようになり、停戦を模索するトルーマンに対してマッカーサーは中国領への攻撃や核兵器の実戦投入を主張。暴走状態のマッカーサーに、第三次世界大戦に悪化すると恐れたトルーマンは司令官解任を決めた。

1951年4月11日にマッカーサーの後任としてリッジウェイが連合国軍最高司令官に任命され、ジェームズ・アルワード・ヴァン・フリートが第8軍司令官に就任。戦況は一進一退を続け、膠着状態となる。中・朝軍は全戦線の縦深20~30kmにわたって塹壕を掘り、東西海岸を結ぶ洞窟陣地を構築して防衛体制に入った。


1953年3月5日にスターリンが死去し、毛沢東は休戦に同意する事にした。7月27日に板門店で休戦協定が締結され、北緯38度線付近に両国の軍事境界線が設定された。休戦ラインが実質両国の国境に定められたが、あくまでも「休戦」であって平和条約は署名されていない為、朝鮮戦争は未だに「終結」しておらず、現在も戦争中ということになっている。

いつ戦争が起きてもおかしくない状態と言われている1980年代には北朝鮮との協定の末離散家族を探しますという番組が放送された



各国への影響編集

この戦争は関係諸国に複数の影響を残した。


朝鮮半島編集

  • この戦争により国内のインフラが失われ、復興に時間がかかった
  • 戦争中に度重なる占領もとの変化により家族が離散するなどの悲劇が発生する。

大韓民国編集

  • 北朝鮮に対して軍隊の近代化が遅れていたため初戦で多数の死傷者が発生。アメリカは韓国に最新の兵器を供与したが韓国兵は全く訓練が行われておらず、使い方がわからなかったため敵に遭遇すると兵器を捨てて逃げた。アメリカは韓国兵をアメリカ陸軍で訓練してから戦場に出すよう李承晩に求めたが、李承晩は自らの求心力が失われるのを恐れて拒否したため、戦争中、韓国軍の戦線は常に穴であり続けた。
    • 1951年7月、戦線がおちつくと野戦訓練団が創設された。アメリカ軍から教官、助教150人が派遣され、韓国軍の全10個師団が基本から訓練をやり直した。また、多くの将校下士官がアメリカ陸軍の歩兵学校や砲兵学校などで教育を受け、幕僚学校や陸軍士官学校も開校されて参謀や将校の育成が始まった。再訓練の効果が現れ、その後、国連軍の作戦の多くは韓国軍の部隊で実行された。
  • ソウル占領時に朝鮮銀行の紙幣原版および予備紙幣の処理を忘れたたため敵の手に渡り強烈なインフレが発生。ただしインフレ自体は大韓民国の経済政策の失敗により発生していた。
  • 在日韓国人の団体である在日本大韓民国民団は義勇軍を募集したものの、人口の一割に当たる6万人の見込みに対し全体で800人程度(うち150人は日本人)が実際に応募した。そのうち韓国人640人程度を朝鮮半島に送り込んだ。
  • 警察および韓国軍の言動により彼らが信頼を失った。
    • 軍や警察の共産主義狩り、戦闘指揮中の命令混乱などによりいくつかの虐殺事件や大量の民間人を巻き添えにした事件(漢江人道橋爆破事件など)が発生。これらの事件の責任追求もすんなりとはいかず、現在に至るまで揉め事の尾を引いている。

朝鮮民主主義人民共和国編集

  • 序盤は圧倒的優勢だったが、仁川上陸以降一時は滅亡しかけた。
  • 中華人民共和国側の司令官であった彭徳懐(中華人民共和国の軍人および政治家、当初国民党の軍隊にいたが追放され、共産党に入党し、軍人として活躍、この戦争では朝鮮民主主義人民共和国英雄の称号を北朝鮮より授与される、後に毛沢東の大躍進政策を批判したため虐待死)は金日成の特に軍事能力に疑問を持ち朴一禹(北朝鮮の軍人および政治家、中国共産党の指導下で朝鮮義勇軍を指揮していたグループの人物であり、この戦争後失脚しその後所在不明となる)を重用しさらには主席にすえようとしたため、中国との仲が険悪となった。
  • 金日成は内政に力を入れることが出来たため、この戦争の敗戦の責任をとらせる形で対立する人物の粛清を実施、国内での地位を高めることが出来た。

日本編集

  • この戦争中ダグラス・マッカーサーシビリアンコントロールを無視して勝手に中国に最後通牒を叩きつけたため、解任された。
  • 米軍を中心とする連合国軍・GHQの占領政策の転換のきっかけとなった。具体的には当初日本を非武装の中立国家にしようとしたものの、在日米軍が手薄となり、日本周辺の共産勢力の脅威も増し、日本人自身に自国を守らせるため、警察予備隊(後の自衛隊)を創設させた。日本政府は多額の占領軍経費を「終戦処理費」として負担させられた。(いわゆる逆コース
  • またアメリカ軍の指示で海上保安庁から特別掃海隊が派遣された。当時の国連軍は対機雷戦能力が低く北朝鮮側の機雷敷設に苦戦していたものの、太平洋戦争で日米双方が敷設した莫大な機雷の処理を旧海軍から引き継いで行っていたことで掃海任務に慣れていた海上保安庁が参戦したことによって元山上陸作戦など遅滞していた半島北部での軍事行動に弾みがついた。一方でこの特別掃海隊に参加した掃海艇の1隻が触雷し、殉職戦死)者1名を出している。
  • 国内でのアメリカ軍物資の生産から「朝鮮特需」が起こり、経済復興の足がかりとなった。
  • 国内における在日朝鮮人在日韓国人の騒乱、それに呼応する日本共産党系過激派の暴動により破壊活動防止法が施工され、公安調査庁が設立された。
  • 終戦直後から内政混乱が発生していた時、朝鮮半島内から難民状態の人々が多数流入したといわれる。戦時中の徴用工として来日していた人は、日本政府が朝鮮戦争前から優先的に半島に帰していた。特別永住者たちは昭和初期から太平洋戦争が始まる頃までに普通に職を求めて内地にわたってきた人やその家族子孫など、いわば昭和半ば時点での「オールドカマー」やこうした難民だった人も多い。
  • 国連軍地位協定により国連軍後方司令部が現在も日本国内に置かれており、現在は横田飛行場内にある。

中華人民共和国編集

  • この戦争で、毛沢東の長男毛岸英が、アメリカ軍のナパーム弾の空襲を受け戦死した。しかし、これにより北朝鮮のような親から息子への主席の継承(世襲)が無くなったことは皮肉と言えるかもしれない。
  • 台湾侵攻のために用意していた軍を朝鮮へ送って大損害を受け、戦後は軍を休戦ラインに貼り付けたため、台湾から当面の危機は去った。
  • 人民解放軍がアメリカ軍と対等に戦える事を示したため国際的プレゼンスがあがり、国内でも毛沢東のプレゼンスが上がった。威信を増した毛沢東は暴君化し、大躍進政策を推し進めるが失敗に終わり、国家主席の座を劉少奇に譲る。
  • この戦争以後「張子の虎」と言っていた核兵器を開発するようになる。当時の国力上、核兵器に一点集中する形で開発しており(「ズボンを履けなくとも核兵器を持つ」といった台詞も伝わっている)、実際に成功した。
  • 空軍を中心に軍隊の近代化が進んだとされ、また軍隊の近代化と核装備を進める契機にもなった。

アメリカ合衆国編集

  • 特にアメリカには経済的にはこの戦争の影響はなく、決着もつかなかったため、忘れられた戦争と呼ばれている。
  • 軍事面においてはそれまで使用していた兵器(例:M26パーシングM24軽戦車F-80)の欠点が明らかとなり、それを踏まえ強化した装備(パットン戦車M41軽戦車F-86)を開発投入した。

東南アジア編集

  • 朝鮮戦争と同時期にフランスベトナムとの間で独立戦争(第一次インドシナ戦争)が発生していた。こちらも同様にアメリカとソ連・中国が介入していたが、朝鮮戦争勃発によってそちらに戦力が集中したため、のちのベトナム戦争ほど世界各国を巻き込む戦争には至らなかった。

主な兵器編集

※第二次世界大戦末期に開発された兵器、または朝鮮戦争が初陣となった兵器を記す。

アメリカ編集

イギリス編集

北朝鮮・中国編集

朝鮮戦争を題材にした作品編集

ブラザーフッド ※原題の直訳は「太極旗翻して」

  • 2004年の韓国映画。朝鮮戦争に翻弄された二人の兄弟の話。保導連盟事件など、韓国側の暗部も描写されている。

トンマッコルへようこそ

  • 2005年の韓国映画。朝鮮戦争最中の小さな村を舞台にし、漢江人道橋爆破事件を下敷きにした設定がある。

トコリの橋

  • 1954年のアメリカ映画。米軍航空部隊からの視点。

コクリコ坂から

  • メインテーマではないものの朝鮮戦争に関するエピソードが描かれている。

レッドクロス~女たちの赤紙~

  • 2015年TBSでオンエアされたドラマ。満州事変から朝鮮戦争までの間を舞台にした従軍看護婦が主人公。

高地戦

  • 2011年公開の映画。最前線で戦う「ワニ部隊」と敵の人民解放軍の間にスパイが居ると噂される。主人公のカン・ウンピョ中尉はワニ部隊へ配属され、探りを入れることになる。

バトル・オブ・ザ・リバー_金剛川決戦

  • 2021年の映画。朝鮮戦争末期、中国軍とアメリカ軍は金剛川で激突。橋を渡ろうとする中国軍、猛烈な爆撃をくわえるアメリカ軍。その川は戦いの雌雄を決する、“運命の境界線”だった

70年前に実在した朝鮮戦争の天王山を描く。



1950 鋼の第7中隊(長津湖)

  • 2021年の中国映画。朝鮮戦争の激戦の一つ「長津湖の戦い」を、国連軍・韓国軍と戦った中国人民志願軍側の視点で描いている。中国本土では史上最高の興行収入を上げる大ヒットとなった。

日本では2022年9月30日より公開。



関連タグ編集

スターリン 毛沢東 金日成 李承晩

ダグラス・マッカーサー マシュー・バンカー・リッジウェイ

韓国戦争 한국전쟁 戦争 冷戦 代理戦争 洗脳

朝鮮 北朝鮮 韓国 アメリカ合衆国 ソ連 中華人民共和国

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M4シャーマン M1918 M14 M26パーシング T-34


外部リンク編集

wikipedia:朝鮮戦争

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