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スターリン

すたーりん

ソ連共産党(ボリシェヴィキ党)初代書記長であり別名〈赤い皇帝〉とも言われた世界の半分を支配した男。渾名『全人類の教師』
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概要☭

ヨシフ(正確なロシア語発音はイオシフ)・スターリン
露.Иосиф.В.Сталин
英.Joseph Stalin
喬.იოსებ სტალინი
1878年12月18日-1953年3月5日

本名ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ(Иосиф Виссарионович Джугашвили)、グルジア語ではイオセブ・ベサリオニス・ヅェ・ジュガシヴィリ(იოსებ ბესარიონის ძე ჯუღაშვილი)ソ連共産党(ボリシェヴィキ党)初代書記長。

初代〈赤い皇帝〉、共産主義の大看板、レーニンの残忍さとユートピア計画の正当な後継者。グルジア靴屋ヴィッサリオン・ジュガシヴィリ(通称“ベソ”)、ケテヴァン・“ケケ”・ゲラーゼの息子として生まれ、神学校で学ぶも無神論者となって共産主義に傾倒し、ロシア社会民主労働者党に入党し職業革命家となる。その後革命家として地下活動を続け、論文発表で筆名「スターリン(「鋼鉄の人」の意)」を名乗った。

偽名「スターリン」を署名に用いたのは1913年という見解が一般的(特に有名な論文として「マルクス主義と民族問題」。Stephen Kotkin, "Stalin" volume 1: Paradoxes of power, Penguin books, p. 133.)。以前には「コーバ」「コーバ・イヴァノヴィチ」「K・カトー」「K・ステフィン」「K・S」「K・サーリン」「K・ソーリン」なども用いていた。
それまではグルジア語で檄文や論文を発表していたが、『ドリフターズ』の織田信長の様に、母国語ではないロシア語を用いて書き始めたのは1907年以降とみられている(日本語版『スターリン全集』第2巻、および前掲書"Stalin"のpp. 112-113を参照)。

「コーバ」はグルジアの小説家アレクサンドレ・カズベギ(1848-1893)も作品の中に描いた義賊の名から取られているというが、グルジア語で「ヤコブ」にあたる人名の愛称で、一般的なあだ名でもあるため、はっきりした理由は判然としない。

1917年のロシア革命に参加し、ボリシェヴィキ党内で頭角を現した。1922年に書記長に就任し、その生みの親であるレーニンが亡くなると、スターリンは政敵のトロツキーやブハーリンを排除し最高実力者となった(トロツキーはソ連から追放した後、しばらく経ってから暗殺者ラモン・メルカデルをメキシコへ送り暗殺、ブハーリンは失脚させ後に見世物裁判で処刑)。それ以降スターリンは問答無用の存在感とソ連と世界中の共産党への最高権力を振りかざし、自身に歯向かう者を容赦なく消し去る権力者として歴史に名を刻むことになる。

(ただし、特に中国共産党などは戦前からソ連の統制から独自に動いており、それだけが原因ではないがスターリンも中国における交渉相手としては当初はむしろ国民党の方を想定していた)

【私のテンポ(リズム)を乱したものは消えろ】
Иногда спрашивают, нельзя ли несколько замедлить темпы, придержать движение. Нет, нельзя, товарищи! Нельзя снижать темпы! Наоборот, по мере сил и возможностей их надо увеличивать. Этого требуют от нас наши обязательства перед рабочими и крестьянами СССР. Этого требуют от нас наши обязательства перед рабочим классом всего мира.
(いくらかテンポを緩め、運動を控えてはいけないか、という質問をするものが時々ある。いや、同志諸君、それはいけない! テンポを低めてはならない! それどころか、力と可能性に応じて、それを増大しなければならない。ソ同盟〔ソ連〕の労働者と農民に対する我々の義務が、我々にこのことを要求している。全世界の労働者階級に対する我々の義務が、我々にこのことを要求している)
(訳文は日本語版『スターリン全集』第13巻収録「経済活動家の任務について」の訳を参考)
(И. Сталин, «О задачах хозяйственников: Речь на Первой Всесоюзной конференции работников социалистической промышленности», 4 февраля 1931 г.)

ソビエト国家の共産党(当時の名称はロシア共産党〔ボリシェヴィキ〕)の書記長として主導権を得たスターリンは、急速な工業化と農業の集団化に邁進した。農業の集団化によって、農民の自主性を犠牲にしつつ、工業化を優先するというやり方は、かつてトロツキーも示唆したものだった。スターリンは帝政ロシアの敗北を「立ち遅れ」によるものと位置づけ、工業化を提唱した。

Задержать темпы – это значит отстать. А отсталых бьют. Но мы не хотим оказаться битыми. Нет, не хотим! История старой России состояла, между прочим, в том, что ее непрерывно били за отсталость. Били монгольские ханы. Били турецкие беки. Били шведские феодалы. Били польско-литовские паны. Били англо-французские капиталисты. Били японские бароны. Били все – за отсталость. За отсталость военную, за отсталость культурную, за отсталость государственную, за отсталость промышленную, за отсталость сельскохозяйственную. Били потому, что это было доходно и сходило безнаказанно. Помните слова дореволюционного поэта: “Ты и убогая, ты и обильная, ты и могучая, ты и бессильная, матушка Русь”. Эти слова старого поэта хорошо заучили эти господа. Они били и приговаривали: “ты обильная” – стало быть, можно на твой счет поживиться. Они били и приговаривали: “ты убогая, бессильная” – стало быть, можно бить и грабить тебя безнаказанно. Таков уже закон эксплуататоров – бить отсталых и слабых. Волчий закон капитализма. Ты отстал, ты слаб – значит ты не прав, стало быть, тебя можно бить и порабощать. Ты могуч – значит ты прав, стало быть, тебя надо остерегаться.
(テンポをおさえることは、立ち遅れることを意味する。そして立ち遅れたものは打ち負かされる。だが、我々は打ち負かされることを欲しない。断じて打ち負かされることを欲しない。旧ロシアの歴史の一面は、ロシアが立ち遅れのために絶えず打ち負かされていたことにある。蒙古の汗に打ち負かされた。トルコの豪族に打ち負かされた。スウェーデンの封建領主に打ち負かされた。ポーランド=リトアニアの地主に打ち負かされた。イギリス=フランスの資本家に打ち負かされた。日本の貴族に打ち負かされた。以上すべてのものは、ロシアが立ち遅れていたので、ロシアを打ち負かしたのである。すなわち、軍事上の立ち遅れ、文化上の立ち遅れ、農業上の立ち遅れのためである。彼らが打ち負かしたのは、それが利益があり、何の罰も受けずに済んだからである。革命前の詩人〔ネクラーソフ〕の言葉、「なんじ貧しくまた豊かなる、なんじ強くしてまた無力なる、母なるロシアよ」という言葉を思い出してみたまえ。昔の詩人のこの言葉を、これらの紳士諸君は、よく暗記していたのである。彼らは、ロシアを打ち負かして、宣告した――「なんじ豊かなり」――したがって、お前を犠牲にして儲けられるのだ。彼らはロシアを打ち負かして宣告した――「なんじ貧しく無力なり」したがって、何の罰も受けずにお前を打ち負かして略奪できるのだ。遅れた弱いものを打ち負かす、――これが搾取者の法則である。資本主義の狼の法則は、こうである、――お前は遅れて弱い――つまり、お前は正しくなく、したがって、お前を打ち負かして、奴隷にして差し支えないのだ。お前は強い、――つまり、お前は正しく、したがって、お前には用心しなければならない、と)
(訳文は同じく日本語版『スターリン全集』第13巻を参考)
(И. Сталин, «О задачах хозяйственников: Речь на Первой Всесоюзной конференции работников социалистической промышленности», 4 февраля 1931 г.)

さらに政治家軍人はもとより、一般の人々に至るまであらゆる層の人々を大量に弾圧、監視社会体制を確立した。このときの万能感を得た傍若無人の独裁者ぶりは後に赤い皇帝とあだ名されるようになり、共産党の指導者というものは何においても万能的権力を振りかざしてもかまわないというロジックを共産主義者に刷り込んだ。

【ボリシェヴィキ党とナチ党の対決】
ヒトラー率いるナチスドイツと独ソ不可侵条約を締結し、ヨーロッパを独ソで分割することを取り決める。この条約に基づいて行われたポーランドの分割、バルト三国の併合、フィンランド侵攻(冬戦争)などの侵略行為が国際的な非難を浴びた。ナチスドイツは間もなく不可侵条約を破棄してソ連に侵攻し、第二次世界大戦で最も悲惨と言われる独ソ戦(ソ連側の呼称は大祖国戦争)の火ぶたが切って落とされる(スラヴ民族を蔑視し共産主義を敵視するナチは文字通りの絶滅戦争、反撃するソ連軍は占領地での報復や協力者への懲罰など非人道的な行為を多数行ったうえ、ソ連側が焦土作戦をとったため、両国の戦いに巻き込まれた諸国民には大変過酷なものになった)。
米英から援助を受ける連合国ではあったが、アメリカハリー・S・トルーマンイギリスチャーチルとは対立していた。良好だったフランクリン・デラノ・ルーズベルトとのヤルタ密約に基づき対日参戦し、満州・樺太・千島列島に侵攻。
ボリシェヴィズムとナチズムという、自国の国境線の外にまで影響力を及ぼした一党制システム同士の戦いは、ボリシェヴィキ党の勝利で終わり、ソ連は国際社会における存在感を確立した。

2700万人以上ともいわれる戦死者を出した独ソ戦を勝利で終わらせたことから、今なおロシアにおいてスターリンを敬愛し、優れた指導者として信奉する人々も存在し、評価は二分している。当初から侵略戦争を目的として全面的に押し出し、結果として敗戦に至ったヒトラーのドイツにおける評価とは異なっている。
トニー・ジャットは『ヨーロッパ戦後史』に書いている。

Jews who found themselves in Soviet-occupied Poland after the Germans attacked in 1939 were frequently deported eastwards and many died of disease and hardship. But they were not systematically exterminated. The advance of the Red Army through Ukraine and Byelorussia into the Baltic States, Romania, Hungary, Czechoslovakia, Poland and Germany saved the remaining Jews in these lands. It was the Red Army that liberated Auschwitz. Stalin most certainly did not fight the Second World War for the Jews; but had Hitler won—had the Germans and their collaborators remained in control of the territories they had captured up to the Battle of Stalingrad—millions more Jews would have been exterminated.
(1939年ドイツ軍による攻撃の後のソヴィエト占領下のポーランドにいたユダヤ人は、しばしば東方へと強制移住させられ、病気と困窮で多数が死亡した。しかし彼らは意図的に絶滅させられたのではなかった。ウクライナとベラルーシを経てバルト諸国、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロヴァキア、ポーランド、ドイツへと侵攻した赤軍は、これらの地方に生き残っていたユダヤ人を救済した。アウシュヴィッツを解放したのは赤軍だった。スターリンは第二次世界大戦をユダヤ人のために戦ったのではなかったことは、ほぼ確実である。しかし仮にヒトラーが勝利していたら、ドイツ軍とその協力者たちがその占領地域をスターリングラードの戦闘まで支配し続けていたら、さらに何百万ものユダヤ人が殲滅されていただろう)
(Tony Judt, "Postwar: A History of Europe Since 1945", Penguin Press, p. 181)
(訳文は森本醇訳『ヨーロッパ戦後史』、234ページから)

あらゆる過去に対する神格化や美化について、ロシア史におけるモンゴル支配を研究している栗生沢猛夫氏は、『図説 ロシアの歴史』の中で書いている。

もちろんこうした見方(アレクサンドル・ネフスキーの英雄視)は歴史的に必ずしも正しいとは言えない。何百年もあとの時代に生きるものがアレクサンドルの行為を一方的に非難することも問題であるが、逆に英雄や聖人扱いすることも、歴史的事実を重んじる立場からは問題である。ネフスキーは当時のロシアを襲った危機的な状況の中で迷い、右往左往しながら、時には陰謀も躊躇わずに、結果として今日明らかにされているような方策をとるにいたった事情が、見えにくくされるからである。非難や称賛、つまりは評価することに熱心になるよりは、まずは事実を明らかにすることにこそ努めるべきであろう。
(栗生沢猛夫『図説 ロシアの歴史』河出書房新社、2010年、30-31頁)

ジャンヌ・ダルク研究者で、2016年に没した高山一彦氏は書いている。

そもそも歴史とか歴史上の人物の研究や説明とは、当然のことながら、資料を証拠だてる資料の記述の真偽を批判的に検討して、かつてあった真実を明らかにすることから始まります。この作業をおろそかにしたり、抜きにして、特定の人生観や世界観に基づいて歴史を勝手に断罪してはならないのです。日本の優れた文化遺産も洩れなく記載されている教科書の中に、近代の戦争に関して日本の軍隊の恥ずべき行動の記載があるからと言って、これに関係する諸資料を否定したり、この事実はなかったことにしよう、という態度は正しい歴史の見方ではありません。かつて、日本古代の史実を調べる資料としては問題の多い『古事記』や『日本書紀』の記述にある神話だけを絶対とし、日本という国を神の子孫が統治する独自の、比類のない〈国体〉であるとして、これを疑い、批判する研究や考えは容赦なく弾圧された時代が再現されることを許してはならないのです。
(高山一彦『ジャンヌ・ダルク ―歴史を生き続ける「聖女」―』岩波新書、2005年、10-11頁)

第二次世界大戦は連合国の勝利に終わり、ソ連は東欧を自らの勢力におさめ(衛星国)、世界はアメリカを中心とする西側とソ連を盟主とする東側に分かれた冷戦へと時代は移る。アジアでも金日成北朝鮮毛沢東中華人民共和国を支援。国内では個人崇拝や強烈なプロパガンダを布き、核兵器原子力開発を急がせた。

1953年に脳卒中で倒れ死亡。享年74歳。ソ連邦から『全人類の教師』の称号を得た。

人物

性格など

自分が少数民族グルジア人であるにもかかわらず、グルジア人が現地カフカースでは支配的な多数派であることを意識していた。1904年9月1日、グルジア語で書かれた論文「社会民主党は民族問題をどう理解するか」で、スターリンは書いている。

Прежде всего необходимо помнить, что действующая в России социал-демократическая партия назвала себя Российской (а не русской), Очевидно, этим она хотела нам показать, что она под своим знаменем будет собирать не только русских пролетариев, но и пролетариев всех национальностей России, и, следовательно, она примет все меры для уничтожения воздвигнутых между ними национальных перегородок.
(まず最初に、ロシアで活動している社会民主党〔ボリシェヴィキ党の前身〕がロシアロシア人ではなく〕社会民主党と自称したことを覚えていなければならない。明らかなことだが、これによって社会民主党が我々に示そうと望んでいることは、社会民主党は、ロシア人のプロレタリアばかりでなく、ロシアのあらゆる民族のプロレタリアをもその旗のもとに集めるであろうということ、したがって党は、我々の間に築かれた民族的な隔壁をもなくするために、あらゆる手段をとるであろうということである)
(И. Сталин, «Как понимает социал-демократия национальный вопрос?», 1 сентября 1904 г)
(訳文は大月書店から出ている日本語版『スターリン全集』第一巻収録のもの)

「ロシアの」を意味するロシア語の形容詞は二つあり、民族的な意味で「ロシア人の」を差すрусский、また地域的・国家的な意味の「ロシアの」を意味するроссийскийに分かれ、「日本人(国民)」と「大和民族」が混同する日本語のような事態は厳格に避けられている。また多民族国家ロシアの歴代の国家は、その国名においては、「ロシア人の」国家であることを退けていた。

モスクワ大公国Великое княжество Московскоеモスクワの大公国
ロシア帝国Российская империяロシアという地域の帝国
ソヴィエト社会主義共和国連邦Союз Советских Социалистических Республикソヴィエト社会主義共和国の同盟
ロシア連邦Российская Федерацияロシアという地域の連邦

ソ連を構成する「ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国(Российская Советская Федеративная Социалистическая Республика)」も「ロシアという地域」で表されていた。これに対し、独ソ戦中に第三帝国が編成したロシア人の反共義勇兵「ロシア解放軍(Русская освободительная армия)」は「ロシア人(русский)」を掲げている。

スターリンはここで、社会民主党が多民族国家ロシアのあらゆる貧困層を代表することを唱えている。この民族問題に対する目線は、自らを支配民族の出身者と位置づけていたレーニンたちとも異なるものだった。
そこでウクライナやベラルーシなどをソ連の構成国とするレーニン案に対し、スターリンはすべての非ロシア人少数民族地域を自治区としてロシア連邦に組み込む、より公正な「自治化案」を提出した。
一方、独ソ戦中にはロシア人を「第一の民族」と位置づけ、ロシア民族の国粋主義をソ連の防衛に活用した。1941年11月7日、スターリンは赤の広場の革命記念日を祝賀する演説で、帝政時代の英雄たちの名を挙げて抵抗を訴えた。

Товарищи красноармейцы и краснофлотцы, командиры и политработники, партизаны и партизанки! На вас смотрит весь мир, как на силу, способную уничтожить грабительские полчища немецких захватчиков. На вас смотрят порабощенные народы Европы, подпавшие под иго немецких захватчиков, как на своих освободителей. Великая освободительная миссия выпала на вашу долю. Будьте же достойными этой миссии! Война, которую вы ведете, есть война освободительная, война справедливая. Пусть вдохновляет вас в этой войне мужественный образ наших великих предков — Александра Невского, Димитрия Донского, Кузьмы Минина, Димитрия Пожарского, Александра Суворова, Михаила Кутузова! Пусть осенит вас победоносное знамя великого Ленина!
(同志赤色陸海軍兵士諸君、指揮官及び政治部員諸君、男女パルチザン諸君! 全世界が諸君を、ドイツ侵略者たちの略奪者の徒党を殲滅しうる力として注視している。ドイツ侵略者のくびきに囚われたヨーロッパの諸国民が、諸君をその解放者とみなしている。偉大なる解放の任務が諸君に担わされた。この任務に相応しく振る舞って欲しい! 諸君が遂行する戦争は、解放戦争、正義の戦争である。我らが偉大なる祖先――アレクサーンドル・ネーフスキィ、ドミートリィ・ドンスコイ、クジマー・ミーニン、ドミートリィ・ポジャールスキィ、アレクサーンドル・スヴォーロフ、ミハイール・クトゥーゾフの勇敢なる先例が、諸君をこの戦争で鼓舞せんことを! 大レーニンの勝利の旗幟が、諸君の頭上に翻らんことを!)
(И. Сталин, Речь на Красной площади 7 ноября 1941 года)

戦後にはイスラエルの親西側傾向を受け、医師団事件などユダヤ人陰謀論にも思える側面を見せた時期もある(ただし、大テロルの時代も生き抜いた旧知の副官カガノヴィチはユダヤ人)。人間不信で疑い深く臆病、権力欲と顕示欲が強い性格で、このような性格は独裁者になると一層増幅され、家族や肉親ですら信用せず、被害妄想と言えるほど周りの他人を疑って接していた。

Когда мне приходится теперь, в наши дни, читать и слышать, что мой отец при жизни сам себя считал чуть ли не богом, - мне кажется очень странным, что это могут утверждать люди, близко знавшие его... Отец, правда, особым демократизмом в жизни никогда не отличался, но богом он себя не воображал...
(今になって、父は生前、自分をほとんど神にも等しい存在と考えていた、などという話を読んだり聞いたりすると、私は、父を身近に知っていた人たちにどうしてそんなことが言えるのかと、奇異に思えてならない……確かに父の生活態度は、とりたてて民主的とはいえなかった。けれど、自分を神と考えたりすることは、父には決してなかった……)
(Светлана Аллилуева, «Двадцать писем к другу», глава 18)
(訳文は娘スヴェトラーナ・アリルーイェヴァの回顧録『友への二十への手紙』の日本語訳『スベトラーナ回想録 父スターリンの国を逃れて』江川卓訳、新潮社、1967年、283ページ)

Неприятной для отца была дорога сюда. Отец вообще не выносил вида толпы, рукоплескающей ему и орущей "ура", - у него перекашивалось лицо от раздражения.
(父を不快にしたのは、ここへ来る道中のことだった。父はもともと、自分に拍手を浴びせ、「万歳!」を叫ぶ群衆を見るのが大嫌いで、そういう時には、決まって不機嫌に顔を歪めたものである)
(Светлана Аллилуева, «Двадцать писем к другу», глава 17)
(『スベトラーナ回想録』、277ページ)

母と長女だけは別であったが、長女の方は恋愛絡みで酷い干渉を受けた(最初の恋人がスパイ容疑でシベリア送りとなった)件を根に持っていたらしく、スターリンの死後10年も経ってからアメリカに亡命してソ連を捨て、出版した回顧録で父親を「孤独感と絶望感から来る弾圧マニア」とボロクソに叩いていた。

Он всюду видел врагов. Это было уже патологией, это была мания преследования - от опустошения, от одиночества.
(父はいたるところに敵を見た。これはもう病理学だった。孤独感と絶望感から来る、弾圧マニアだった)
(Светлана Аллилуева, «Двадцать писем к другу», глава 17)
(『スベトラーナ回想録』、272ページ)

上記のように直接的な死因は脳卒中だが、間接的には他人を信用しなかったことによる発見、及び治療の遅れが原因ともされる。治療の暮に関しては、長女の回顧録によると倒れた際に側近たちがいたにも拘らず、やる事なす事に全員我慢の限界だったのか放置したとされおり、いまだに諸説入り乱れている。また、ある側近が「流石に毒には勝てなかった」と零していたとの記録が存在しており、そのせいで毒殺説も現在まで存在し続けている。

生活

趣味は温室でのレモン栽培や映画(特にアメリカ製)鑑賞。レモンを来客に食べさせては嬉々として自慢していたが、映画鑑賞に関しては周りにまともな露訳ができる人がいなかったため、映画産業の責任者が必死に暗記したり適当なアドリブで凌いでいたとか。しかし、スターリンはむしろ馬鹿げた通訳騒ぎを楽しんでおり、決して専門の通訳を入れようとしなかったそうだ。
飛行機が苦手で、列車での移動がほとんどだった。
特異かつ捻じ曲がったユーモアセンスがあり、側近を結構キツイ方法でからかったり、個人的なお遊び(部下を酔い潰すのが好き)と実益(忠誠度チェック)を兼ねて毎度仕事の終わりに宴会を開いては部下に酒を沢山飲ませていた。当然側近は例外なく腎臓か肝臓のどちらかがアルコールでボロボロだったという。

語録

  • とか友情などというものはすぐに壊れるが恐怖は長続きする」
  • 「感謝とは、に悩まされて気分を悪くするようなものだ」
  • 赤軍には捕虜は存在しない、存在するのは『反逆者』のみである」(冬戦争でのロシア人捕虜の話を聞いて)
  • 「お母さん、僕はツァーリみたいな仕事をしているんだよ」(1935年に死期の近づいた母のお見舞いに行き、彼女に「どんな人になったの?」と聞かれた際に。ただ、息子の悪名は耳に入っていたのか母は「司祭になってもらいたかったのにねぇ」と零し、それを知った殆どの人民が大喜びしたとか。ただし直前に「どうして(子供のころ)あんなに僕を殴ったの?」「だからそんなに立派になったのよ」という会話もなされている)
  • 「ろくでなしがくたばりやがった」(ヒトラー自殺の報を聞いて)

元ネタはジューコフ回想録に出て来る発言かと思われる。
Очень скоро И. В. Сталин подошел к телефону. Я доложил о самоубийстве Гитлера, о появлении Кребса и решении поручить переговоры с ним генералу В. Д. Соколовскому и просил его указаний.
И. В. Сталин ответил:
— Доигрался подлец! Жаль, что не удалось взять его живым. Где труп Гитлера?
(間もなくI・V・スターリンが電話に出た。私はヒトラーの自殺、クレープス〔ハンス・クレープス〕の来訪、そしてV・D・ソコローフスキィ将軍にクレープスと交渉させるという決定を報告し、彼の指示を仰いだ。
 I・V・スターリンは答えた。
「とうとう往生したか、悪党め。生かして捕らえられなかったのは残念だ。ヒトラーの遺体はどこにある?」)
(Г. Жуков, «Воспоминания и размышления», глава 20, «Безоговорочная капитуляция фашистской Германии»)
(訳文は朝日新聞社が出した翻訳『ジューコフ元帥回想録 革命・大戦・平和』528ページの訳を参照し、一部変更)

  • 日本は最後にはまた這い上がってくる」(大戦終結直後)
横手慎二『スターリン 「非道の独裁者」の実像』(中公新書、2014年)240~241ページによれば、ロシアの歴史家で中国史研究者ガレノヴィッチ(ガレノーヴィチ、ユーリィ・ミハーイロヴィチ)の著作で紹介されている会話によるもので、「(日本やドイツのような)敗戦国は復讐戦を挑んでくる」という認識によるもの。1945年8月14日、蒋介石の息子蔣経国に対し発言したとされ、次のような内容だったという(公表されているロシア語の交渉録には記録されていない。同書、240ページ)。
「貴下は、敗北後の日本には、モンゴルを占領してソ連を攻撃することなどできないと断言されておられる。確かに、ある期間はそうであろう。しかし永遠ではない。負かされても、日本人のような民族は必ず立ち上がって来る」
1945年12月にもスターリンと蔣経国は日本の再起について語っている。
Цзян Цзинго говорит, что он помнит, как Генералиссимус Сталин говорил, что Япония может снова встать на ноги.
Тов. Сталин отвечает, что, конечно, это может случиться, ибо Япония является нацией многочисленной и мстительной. Япония пожелает подняться. Чтобы этому помешать, надо взять в плен 500–600 тыс. офицеров и тысяч 12 членов японского генералитета. Тов. Сталин говорит, что американцы не пережили оккупацию Японии, и поэтому они не все понимают. Китай испытал японскую оккупацию. Советский Союз – германскую и в свое время – японскую. Поэтому Китай и Советский Союз понимают, что врага нужно поставить в такие условия, чтобы он больше не мог воевать. Американцы же этого не понимают. Он, тов. Сталин, надеется, что они поймут это.
(蔣経国は言う、彼が理解しているのは、大元帥スターリンが言ったのは、日本がもう一度再起する可能性があるということだ。
 同志スターリンは答える、それは勿論、十分に起こりうることだ、なぜなら日本は多数の、そして復讐心に満ちた民族だからだ。日本は再起を望んでいる。これを防ぐため、50から60万人の士官と1万2000人ほどの将官を捕縛せねばならない。同志スターリンは言う、アメリカ人たちは日本の占領を体験したことがなく、そのため彼らはすべてを理解できないと。中国は日本の占領を体感した。ソ連は――当時はドイツもだが――日本のそれ〔占領。シベリア出兵のこと〕を〔体感した〕。それゆえに、中国とソ連は理解している、敵を、彼がもはや戦えないような状態に置かねばならないと。アメリカ人たちはそれも理解していない。彼、同志スターリンは期待している、彼らがそれを理解することを)
(И. Сталин, «Беседа с Цзян Цзинго, личным представителем Чан Кайши», 30 декабря 1945 года)
(蔣経国との会話。ロシア語版スターリン全集第18巻収録)
この再度の戦争に対する彼の恐怖は、ソ連が独ソ戦で極めて甚大な被害を蒙ったことを考慮せねばならない。スターリンは再度の戦争の勃発を恐れていた。
  • チベット攻撃?結構な事だ」(毛沢東からチベット侵攻の許可を求められての返事)
  • 「北朝鮮は永久に戦い続ければいい。なぜなら、兵士の人命以外に北朝鮮が失うものは何もないからだ」(朝鮮戦争について周恩来に語った一言)
  • 「私はもうお終いだ。誰も信用できない。自分さえも」(1951年にフルシチョフに語った呟き)

スターリンの発言によく帰されるが別の人の発言
  • が全てを解決する。人間が存在しなければ問題は起こらない」
(Смерть решает все проблемы. Нет человека, и нет проблемы)
ロシアの小説家アナトリー・ルィバコフの『アルバート街の子供たち』(1987)の一節だが本家ロシアでもよく誤ってスターリン本人の発言に帰されるらしい

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次代☞マレンコフ

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レーニン フルシチョフ
ヨシフ・スターリン

岡田真澄 そっくりなことで有名。実際スターリン役で演劇もやっている。

関連動画


  • ♪ Шостакович Симфония № 5, "революция"
この人のために作曲家ショスタコーヴィチが製作した。

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