北方四島
ほっぽうよんとう
北方四島(ほっぽうよんとう)は、北海道から東沖に位置する北方領土に含まれる歯舞群島と、択捉、色丹、国後の3島を併せた総称である。歯舞は5島からなる群島である為、実際は北方8島なのだが、便宜上、北方四島と呼ぶ事が多い。
1945年9月までに当時のソ連がこの地を不法占拠してから同国及びその事実上の継承国であるロシア連邦が国際法に違反して占拠し続けており、日本はロシアに対して返還を要求している。
初期
1853年8月にエフィム・プチャーチンが訪日し、両国の条約締結交渉が開始された。1855年2月に締結された日魯通好条約(日露和親条約)によって、両国は平和の内にウルップ島と択捉島の間に最初に国境を規定し、4島は日本の領土として画定した。
戦時中・戦後
1945年7月のポツダム宣言で、ソ連を含む連合国は領土の不拡大を表明した。しかし、ソ連は日本との中立条約を破棄して降伏寸前の日本へと侵攻。同年8月15日に日本が降伏してもソ連軍による日本侵攻は続き、同年9月までにソ連は4島を不法占拠。1946年2月に「南サハリン州の設置に関するソビエト連邦最高会議幹部会令」の発令によって不法編入された。
1951年9月に締結されたサンフランシスコ平和条約では、ソ連は領土問題などを理由にこの条約の調印を拒否した。1956年10月に日ソ共同宣言が締結されて日本とソ連は外交関係を回復し、未解決の領土問題を含んだ平和条約締結交渉の継続が約束された。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへと軍事侵攻をして、日本がウクライナを支持したことにより日露関係はさらに悪化した。そして岸田首相はそれまで「主権を有する領土」と弱い表現だったのを、「ロシアによって不法占拠を受けている日本固有の領土」と強い表現に変更した。
利益の薄い歯舞、色丹だけを返還したいロシアと、全島返還を望む日本の交渉は噛み合わず、
2023年3月現在でも未だに1島たりとも日本に返還されておらず、平和条約さえも締結していない。
冒頭にも述べたように、歯舞が群島である事すら知らない日本国民も多い。
第3国の立場
日本の立場を支持している。
2022年2月7日、駐日アメリカ合衆国大使・ラーム・エマニュエルが、北方領土問題においてアメリカが日本を支持している事実を発表する動画を投稿した。
日本の立場を支持している。
2005年7月7日に、北方領土の日本への返還をロシアに促す決議を採択した。
日本の立場を支持している。
2022年10月7日、ウクライナ大統領・ヴォロディミル・ゼレンスキーが、ウクライナは北方領土問題に関して日本の立場を支持する大統領令に署名した。
2023年2月7日、ゼレンスキー大統領は、「北方領土の日において、われわれ(ウクライナ)は日本政府や日本人と連帯する。日本とウクライナで国際法と正義が回復されなければならない」という[声明を発表した>https://www.sankei.com/article/20230208-7V7U56AI4JNVBNCSYMZSKN72JM/]。
同年3月23日、ゼレンスキー大統領は、「我々は我々の領土を取り戻し、日本は日本の領土を取り戻すだろう。我々は戦わなければならない」「彼ら(ロシア)に時間を与えたら、私物化する」と、北方領土の早期回復に向けて国際世論を喚起することの重要性を強調した。
1960年から1989年の間の中ソ対立の時期は、中ソ間で国境紛争が起きたこともあって日本の立場を支持していた。だが後に中ソ関係が再び良好になると、尖閣問題もあってロシアの立場を再び支持するようになった。