概要
北方領土(ほっぽうりょうど、ロシア語:Проблема принадлежности южных Курильских островов)とは、第二次世界大戦後にソ連が占拠した日本本土のうち、北海道の北東に連なる歯舞・色丹・国後・択捉の4つの島々(北方四島、歯舞群島は一まとめにされており文字通り4つの島という意味ではない)を指す。現在はソ連を事実上継承したロシア連邦が占領を継続しており、日本は返還を求めている。
広義においては、第二次世界大戦後にソ連に占拠された日本本土のすべての地域、すなわち南樺太と北千島も含めて指す場合もある。
北方四島
1959年3月に「内閣府設置法第四条第一項第十三号に規定する北方地域の範囲を定める政令」が公布され、それによって以下の4島が該当する。1982年8月に制定された「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」でも同様である。
北海道根室半島の納沙布岬(のさっぷみさき)の沖合3.7キロメートルから北東方に点在する小島嶼すなわち貝殻島(かいがらじま)・水晶島(すいしょうとう)・秋勇留島(あきゆりとう)・勇留島(ゆりとう)・志発島(しぼつとう)・多楽島(たらくとう)などの島々から成り立つ。このうち貝殻島は戦後しばらくは日本が実効支配していたが、1948年以降にソ連が占拠した。
歯舞群島の北東方22キロメートルに位置し、正確にはここも歯舞群島の一部である。
根室半島と知床半島との中間で、北海道本島の沖合16キロメートルの地点から北東方に位置する全長122キロメートルの島である。
国後島の北東方22.5キロメートルに位置する全長204キロメートルの島である。北方領土の中では最大であり、日本の離島の中では最大である。ただし歯舞群島と色丹島は大昔根室半島と地続きであったが、土地の陥没などによって離れ島になったと言われている。
北方領土及びその周辺を巡る年表
- 1855年:2月、日本とロシア帝国の間で日魯通好条約(下田条約)が締結され、ウルップ島より南の北方四島が正式に日本の領土になる。
- 1875年:5月、日露間で樺太・千島交換条約が締結。日本は樺太の領有権を放棄する代わりにロシアからウルップ島以北の18島(千島列島)を譲渡された。
- 1905年:9月、日露間でポーツマス条約が締結さ。日本は千島列島の領有権をそのまま保持し、ロシアから樺太の北緯50度以南を譲渡された。
- 1917年:ロシア革命によって、ロシア帝国が崩壊。
- 1922年:ロシア帝国の事実上の継承国・ソ連が誕生。
- 1941年:日本とソ連の間で日ソ中立条約が締結される。この中立条約の効力は1946年4月25日まで有効とされていた。
- 1945年:8月8日、ソ連は一方的に日ソ中立条約を破棄して日本へと侵攻。8月15日、日本はポツダム宣言を受諾してソ連を含む連合国に対して降伏。しかしソ連は、日本が降伏した後も侵攻を続け、同月28日から9月5日までの間に、当時日本領であった南樺太・千島列島(北方四島を含む)の全てを占領。10月2日、アメリカ合衆国を中心としたGHQが、日本を統治。
- 1946年:2月、ソ連は北方四島を含む千島列島を編入。
- 1947年:7月、ソ連による命令で、北方四島から日本人が強制退去させられる。
- 1948年:12月、GHQが設定した日本漁船の活動可能領域(マッカーサー・ライン)で貝殻島がソ連海域に含まれる。
- 1949年:7月、前述した強制退去が終了。
- 1952年:4月28日、サンフランシスコ平和条約により、日本は主権を回復。日本は千島列島の領有権を放棄した。締結当時、日本政府は北方4島の中で国後島と択捉島は千島列島に含まれると答弁していた。
- 1956年:2月11日から、日本政府側は突如国後島と択捉島は千島列島に含まれないと主張。これは日ソ関係の改善を望まないアメリカの意向によるとする説が有力。同年12月12日に日ソ共同宣言が発効し、平和条約締結時に歯舞群島と色丹島を日本側に引き渡す事が取り決められた。
- 1991年:ソ連が崩壊。継承国のロシアは北方領土を引き続き占領下に置く。
- 1992年:北方領土とのビザなし交流が開始される。これにより元島民を含む1万人以上の日本人が現地に渡航した。
- 1993年:ロシア側が、1956年の日ソ共同宣言を含む日ソ間の国際的約束が日露間に引き続き適用される事実を発表。
- 2005年:7月7日に、欧州連合が北方領土の日本への返還をロシアに促す決議を採択。
- 第二次安倍政権期:中国脅威論の高まりから日露接近政策に。二島返還論が議論された。
- 2022年:2月24日、ロシアがウクライナへと軍事侵攻。日本がウクライナを支持したことにより日露関係は悪化。岸田首相はそれまで「主権を有する領土」と弱い表現だったのを、「ロシアによって不法占拠を受けている日本固有の領土」と強い表現に変更した。9月にはロシア側が日本とのビザなし交流を一方的に破棄した。
日本政府の基本的な立場
以下政府の公式見解の要約。
- 政府は北方4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っている。
- 北方領土問題の解決に当たって、我が国としては北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については柔軟に対応し北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権・利益・希望は北方領土返還後も十分尊重していく。
- 日本国固有の領土である北方領土に対するロシアによる不法占拠が続いている状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行う事を含め、北方領土においてあたかもロシア側の『管轄権』に服したかの如き行いを為す事、またはあたかも北方領土に対するロシアの『管轄権』を前提としたかの如き行いを為す事などは、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず容認できない。従って日本政府は広く日本国民に対して、1989(平成元)年9月の閣議了解で北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠下にある北方領土に入域しないよう要請している。
- また政府は第三国国民がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域するか、または第三国企業が北方領土において経済活動を行っているという情報に接した場合、従来からしかるべく事実関係を確認の上で申し入れを行っている。
「固有の領土」について
「一度も他の国の勢力に入った事がない領土」という意味である。「国際法的に領有の正当性がある領土」とか、「他国の侵略を受けた領土」という意味ではない。
日本がどうしてこのような主張をしているのかというと、サンフランシスコ平和条約(サ条約)で日本は千島列島の放棄をしているので、これを前提とする限り歯舞色丹の領有権主張しかできなくなってしまうためである。サ条約と国後・択捉の領有権主張を両立させるため、「国後・択捉の2島に関しては固有の領土なので千島列島に含まれない」という解釈が持ち出されているわけだ。
なお、ソ連はサ条約の批准はしておらず、また同条約で日本が放棄した千島列島についてもソ連に帰属すると規定しているわけではないので、南樺太や千島列島は「日本が潜在的主権を有する」あるいは「無主地」という解釈もありえる(日本の世界地図で南樺太と北千島がしばしば白塗りになっているのはこれが理由)。しかし、日本の外務省は南樺太のユジノサハリンスクに領事館を置いているため、南樺太に関しては事実上ロシア連邦による領有を認めていると考えられる(後述の「余談」も参照)。
第3国の立場
アメリカ合衆国
上述の通り、日本の北方四島の領有権主張はそもそもアメリカ合衆国の意向に沿ったものであるとされ、現在も同盟国である日本の立場を支持している。2022年2月7日、駐日アメリカ合衆国大使・ラーム・エマニュエルが、北方領土問題において日本を支持するとした動画を投稿した。
欧州連合
2005年7月7日に北方領土の日本への返還をロシアに促す決議を採択した。
ウクライナ
2022年10月7日、ウクライナ大統領・ヴォロディミル・ゼレンスキーが北方領土問題に関して日本の立場を支持する大統領令に署名した。なお、北方領土を含むサハリン州にはウクライナ系の人々も多く居住している。
中華人民共和国
「日露二国間の問題であり、日露双方が協議を通じて妥当に解決することを望む」というのが公式見解。かつては毛沢東が非公式に日本の立場を支持していたこともあったが、ウクライナ侵攻後は「反ファシズム戦争の成果は守られるべきだ」とロシア寄りの姿勢を見せている。
余談
1981年1月6日の閣議了解で決定した2月7日の北方領土の日は、日魯通好条約(日露和親条約)が締結された1855年2月7日に因んでいる。
2014年にロシアに併合されたクリミア半島は、歴史的には様々な政権が興亡しソ連時代の1954年にロシアからウクライナに移管されたもので、ウクライナ固有の領土ではない。しかし、クリミア侵攻はロシアによるあからさまな侵略戦争として、日本も含めロシアの領有を認めない国が大半である。
フィンランドに属していたが大部分が冬戦争でソ連に割譲されたカレリアは、イングリア(現在のサンクトペテルブルク周辺)とともにフィン人の起源の地とされ、ロシア帝国もフィンランド大公国の領域としていたフィンランド固有の領土である。しかし、カレリア奪還を期して行なった継続戦争で敗北したフィンランドは、ソ連の圧倒的な軍事的圧力のもとで独立を保つ状態となり、現在のフィンランド政府もロシアに対して返還は求めてはいない。
外部リンク
関連タグ
2月7日:1981年1月以来、北方領土の日はこの日となっている(※メイン画像)。
シンオウ地方 - ポケットモンスターダイヤモンド・パールの舞台で、北海道地域がモデル。国後島西部に相当する場所がこの地方に含まれており、ポケモンリーグの開催場所となっている(ただし、ヒスイ地方時代には該当する場所には陸地が存在していない)。