概要
大日本帝国憲法(1890-1947年)と日本国憲法(1947年- )に定められた日本の中央政府組織である。明治初期は薩摩、長州、土佐、肥前藩の維新志士の生き残り(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、江藤新平ら)に平安京(794-1867)が置かれた天皇の朝廷政府(旧革新公家勢力、岩倉具視、三条実美ら)などが合議してゆく形で構築された。
国会(帝国議会)は明治元年(1872年)の五箇条の御誓文に基づいて創設されたが、当初は現在行われている普通選挙ではなく、一定の税金を納めた男子のみに許された制限選挙であった。(大正14年(1925年)、男子による普通選挙が行われるようになった)
また内閣制度は明治18年(1885年)に創設、元老院(貴族院)が内閣総理大臣となる人物を推薦、天皇が組閣を命ずる形で行われた。その制度は太平洋戦争が終結し、幣原喜重郎が戦後処理を終えるまで引き継がれることとなった。日本国憲法は昭和21年11月3日に公布され、同22年5月3日に施行された。太政官による中央政府(1864-1885)とは区別されることが大半である。
明治23年(1890年)、前述の大日本帝国憲法が公布された。憲法を起草にするにあたって伊藤博文、井上馨らは憲法を学ぶために渡欧、民主主義を唱えるイギリスの憲法を有力な候補として推す声も多かったが、伊藤らは「天皇」の権力の維持と日本ではいまだ「民主主義」が未成熟であることを理由にドイツのプロイセン憲法を参考にして大日本帝国憲法を作成、公布することとなった。
日本国憲法は、主権が国民に存する国民主権を定める。また、政治上の権力を立法・行政・司法の三権に分け、それぞれを国会・内閣・裁判所に配する権力分立の体制を定める、日本の政治は、日本国憲法に定められた体制に基づいて行われるなので日本は、明文化された立憲主義に基づく国家であると言える。日本の行政・司法は、憲法と国会が定める法律以下明文化された法令等に基づいて行われる。そのため日本は法治国家であると言える。
日本国憲法は、主権が国民に存する国民主権を定める。国会を国権の最高機関とする間接民主制を採り、国会と内閣の協働による議院内閣制が採られる。
の三権に分かれ、それぞれを内閣・国会・裁判所に配する権力分立の体制を定める。
さらに「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として、世襲君主である天皇を戴く。天皇は国政に関する権能を有しないと憲法で定めており、内閣の助言と承認により「国事行為」を行う。
日本国憲法はまた地方自治を定める、日本の地方自治は
の2段階の地方公共団体によって担われ、日本の全ての地域はいずれかの都道府県に属する。 無人島の中には、特定の市町村に属せず都県が直轄するものも一部ある。すべての都道府県と市区町村には、議事機関である議会と執行機関である首長が置かれる。
首長とは、すなわち
である。
地方公共団体は、国政とは異なり直接選挙による首長と議会による間接民主制を採用している(人口が極く少ない町村においては、町村総会による直接民主制を採用できるが、1955年を最後にこれを行っている町村は無い)。議会は法律の範囲内で条例を制定することができる。
関連
太政官・・・古名『オオイマツリゴトノツカサ』、古代日本の天皇政治体制を支えるために中華律令帝国の唐帝国の中央政府(朝廷政府)の組織を参考に作られた天皇政府(古代~中世の日本政府)と中央省庁(八省)明治維新(1868-1889)に維新藩(革命勢力)が『王政復古』という事で革命革新で日本型西洋近代帝国国家建設を唱えながらも古代天皇政権の延長線上の刷新という事で新たに『太政官』を日本の中央政府として組織した。