概要
ロッキード社が開発しアメリカ空軍に採用されたジェット練習機で、F-80戦闘機から発展した。アメリカ海軍型のTO-2(1950年以降はTV-2)もある。
愛称はF-80と同様「シューティングスター(流星)」。この機で教習を受けたパイロットからは「Tバード」と呼ばれ親しまれている。
沿革
第二次世界大戦終結後、主力戦闘機はジェット機へと切り替わろうとしていた。
レシプロ機と比べ段違いに高速なジェット機の操縦を習得させるため、ジェット練習機による訓練の必要性が高まった。
F-80C(F-80の戦闘爆撃機型)は操縦性が穏やかで、ジェット練習機として利用されていた。
これを、教官が同乗して飛行訓練を行うため胴体を延長して複座とし、機首の機関銃を2挺に減らした試作機が1948年3月に初飛行した。結果は良好で、アメリカ空軍にTP-80Cとして採用され、後にT-33に改称された。
1961年より順次T-38に更新されるが、その後も連絡機などに用いられ、老朽化した機は装備品実験機(NT-33)や改造無人標的機(QT-33)となった。
カナディア社(カナダ)でのライセンス生産分も含め、1959年に終了するまでにF-80のおよそ3倍、6,557機が生産された。
世界各国に輸出され、多い時には31ヶ国で運用されていた。
偵察カメラを装備したRT-33、主翼にパイロン2箇所を追加した軽攻撃機AT-33なども作られ、AT-33はボリビアでゲリラ相手のCOIN機として現役である。
また、民間に払い下げられた機体も未だ数十機が運用中である。
航空自衛隊での運用
1954年、航空自衛隊は創立当初、アメリカからT-33Aを68機供与された。
1955年、川崎航空機によるライセンス生産(210機)が始まる。
空自での公式愛称は「若鷹」だが、専ら「サンサン」と呼ばれ、乗員の育成、訓練、連絡などに用いられた。
1999年11月22日、入間基地所属機が墜落事故を起こし(パイロット2名の奮闘の結果、住宅地への墜落を免れたが、両名は殉職)、2002年退役の計画は前倒しとなり、残存8機に即飛行停止が下された。
2000年、全機除籍(退役)。
派生型
TP-80C(後のT-33)にレーダーを搭載し、エンジンをアフターバーナー装備のJ-33に換装した夜間(全天候)ジェット戦闘機。愛称は「スターファイア」。
試作機は1949年4月16日に初飛行し、1950年5月よりアメリカ空軍への配備が始まった。
855機が製造され、運用はアメリカ空軍のみ。