マージ・マジ・マジーロ!(概要)
全てのはじまりは1948年、フーガ社がフランス空軍省に向けて売り込んだCM.130が基になっている。
このCM.130はパワー不足と判定され、書類審査で不採用になってしまったが、エンジンを強化し、寸法を拡大して全金属製に設計し直したCM.170として再提出する。
1950年、フランス空軍省は3機の試作機を発注し、最初の機が1952年7月23日に初飛行を遂げる。
この結果に満足した空軍省はCM.170「マジステール」として、1953年6月に続く初期生産機を10機、1954年1月には生産型95機を発注。1956年には本格的な運用が始まり、以来フランスなど世界の空で、多くの飛行士を育成してきた。
就役期間は長いが、その間に生産と整備を担当する企業は移り変わり、フーガ⇒ポテーズ(フーガ)⇒シュド(フーガ)⇒アエロスパシアル(フーガ)と変遷を遂げていった。どれも(フーガ)なのは生産・整備施設が引き継いだものだからである。
エア・フーガ社
1920年にガストン・フーガが南フランスで設立した会社で、航空機開発に携わってきたメーカーである。CM.8グライダーなどV字尾翼が特徴的であり、中にはCM.88「ジェムー」のようなゲテモノ(?)も存在する。まずはぜひとも画像検索されたい。
V字尾翼(蝶尾翼)
見た目は非常に奇抜であるが、実は垂直尾翼・水平尾翼の機能を、2枚の「ラダベータ」で済ませられるようになる合理的な設計でもある。ただ本機のように機体上に設置すると、旋回で補助翼の働きを空力的に邪魔してしまうため、ロール率では劣るようになるので戦闘機などには向かず、グライダーのように運動性より軽量化を追求する場合に有利な設計である。
ちなみに、これが機体下なら逆に促進するようになるのだが、今度は離着陸で壊す可能性が出てくるため、今のところUAVへの採用にとどまる。
マージ・ジルマ・マジ・マジカ!(武装)
機首に7.5mm機銃(国産)か、7.62mm機銃(NATO共通規格)のいずれかを2挺装備できる他、主翼下に50kg爆弾やロケット弾ポッドなど、軽量な武装を2か所に装備できる。
これらは主に訓練用に備えられたものであるが、コンゴやアルジェリアなどでは武装機として使われた。ただ軽武装には違いないし、なにより構造上やや鈍重とならざるを得ないため、本格的な戦闘機に対抗するには力不足もいいところだった。事実、コンゴ内戦で投入されたマジステールはトゥンナンが投入されてから飛行することはなく、そのまま放置されるままになった。
マージ・マジーロ!(派生型)
生産は1962年まで続けられ、フィンランドでも1967年まで生産されている。
主な型を下に挙げる。
空軍・輸出向け
CM.170
試作機3機、および初期生産機10機。空軍向け審査用。
CM.170-1
CM.170と同規格の本格的生産型。チュルボメカ「マルボレⅡ」エンジン搭載。
761機が生産され、うち188機が西ドイツ、18機がフィンランド(別に62機がライセンス生産)、50機がイスラエルで運用された。
CM.170-2
1960年から切り替えられた後期型。エンジンが「マルボレⅣ」に換装され、出力が3.92KNから4.7KNとなった。
海軍向け
CM.170M
海軍向け審査用で試作機2機が相当。1956~7年に初飛行。
CM.175「ゼファー」
空母への離発着練習用で30機生産。
ジルマ・マジーロ!(主な海外輸出機)
フランス以外にもイスラエル、フィンランド、ベルギー、アイルランド、ブラジル、エルサルバドル、モロッコ、カタンガなどで運用された。その後、各国の中古機が放出され、アフリカ・アジア・中南米の各国で活躍した。
イスラエル
16機を購入、また36機がIAIにてライセンス生産され、「ツヅキット」として採用された。
練習機として使われる一方、第3次中東戦争に実戦投入され、近接航空支援向けに威力を発揮したが、損失も出している。
フィンランド
1958年~59年にかけて最初の18機を輸入・受領する一方、ヴァルメット社でも1958年~67年にかけて62機をライセンス生産している。1988年まで運用され、後継はBAeホークである。
ベルギー
最後までマジステールを運用していた国。
最盛期で50機を運用し、以降は残存機を細々と運用していた。
空技飛行隊「レッドデビルズ」にも採用。
アイルランド
1975年~99年にかけて6機を運用。
内4機は空技飛行隊「シルバースワローズ」専用である。
ブラジル
1968年~75年にかけて、CM.170-2をT-24として空技飛行隊「スモーク・スコードロン」で46回公演している。
エルサルバドル
イスラエルから9機、フランスから3機の中古機を輸入し、練習用・対地攻撃用として内戦に投入された。
モロッコ
1956年、および1970年にフランスから計25機を輸入。
戦闘損失などにより1980年代には退役したとみられている。
カタンガ
おそらくもっとも有名な戦例がコレ。
1961年に新規生産機(9機)とベルギー向け輸出機のうち3機が送られ、コンゴ内戦ではとくに1機がベルギー人傭兵により国連軍にむけて猛威をふるった。これに手を焼いた国連軍は、スウェーデンにトゥンナン(5機)を派遣させて対抗し、ようやく沈静化させることができた。
いくら猛威をふるったとはいえ、マジステールは練習機に過ぎず、しかも機動性や運動性はいっぱしの戦闘機を相手にまわすには、さすがに分が悪かった。したがって戦闘機の脅威に立ち向かうことは早々にあきらめ、その後は地上に留め置かれるまま朽ち果てるのだった。
その後戦乱は1962年まで続いたのちにカタンガは解体され、現在はコンゴ民主共和国の一部となっている。
マジ・マジ・マジカ!(発展と現在)
この後も各種発展型は開発され、チュルボメカ「ガビゾ」エンジンを搭載したCM.171「マカル」(試作1機:1957年墜落)や、同じく「シュペル・マルボレⅥ」に換装したCM.173「シュペル・マジステール」(試作1機)などが計画されたが、いずれも採用には至らなかった。1962年にはポテーズ・ハインケルCM.191のように胴体を再設計し、4人乗りとした民間用スポーツ機も生み出されたが、これも試作に留まった。
現在では軍隊での運用は軒並み終了しているが、しかし練習機あがりの素直な安定性・操縦性を忘れられない飛行士もいるようで、少数ながら自家用として飛行を続ける機もある模様。
ただ大戦終結以来、フランス製独自開発機としてマトモに形になった練習機はこの1機種のみに終わり、マジステールの後継はドイツと共同開発したアルファジェットに継がれることになった。今にして考えれば、ヨーロッパの航空機開発事情は1970年手前にして、既に行き詰まりの前兆を示していたのかもしれない。
マジーロ・マジカ!(映画のマジステール)
チョイ役ではあるが、「007・リビングデイライツ」において、アフガニスタン(実際にはモロッコ)の飛行場にひっそりと駐機してある。なお、この映画では他にも、各種ソ連製兵器のかわりに「それっぽい」西側製兵器を使っている。