開発経緯
防衛庁(現:防衛省)は1981年にT-1B及びT-33の老朽化に伴う次期中等練習機計画のMT-Xを発表。国内企業の応募を開始する。同年9月に川崎重工案を採用し、開発を開始した。そのわずか4年後の1985年には試作1号機が初飛行と、航空機開発としては異例の速さで開発が進んだ。正式に開発が開始する前から独自研究が進められていたとされるが、米国等からの圧力を避けるためとも言われている(同様の事例に陸上自衛隊の偵察ヘリコプターOH-1ニンジャがある)。
開発
T-4は主開発が川崎重工(協力に三菱重工と富士重工)。エンジンは石川播磨重工(現:IHI)が担当した。つまり頭の先からつま先間で純国産の飛行機である。航空自衛隊における純国産の練習機は先代の中等練習機であるT-1Bに続き二代目となる。
練習機としてのT-4
プロペラ機からの機種転換がスムーズに行えるように、操作は素直で安定性能も高いとされている。エンジンは双発、操作・油圧系は2重にされているため安全性も高い。
同世代の海外の練習機(イギリスのBAeホーク、フランスとドイツのアルファジェット等)は練習機とはいえ武装が可能となっており、有事の際には軽攻撃機としても転用が可能となっている。T-4は試作機時代にこそ武装する試験は行われたものの、現用のT-4では武装がすることは出来ない。その代わり、曳航目標やトラベルポッド(パイロットの荷物入れ)、集塵ポッドの運用が可能である。このうち集塵ポッドは北朝鮮の核実験の際に大気中の塵を採取するために使用され、その光景はニュース等で大きく報道された。
現在T-4は戦闘機パイロットの養成だけではなく、各基地の連絡用、ブルーインパルス(後述)の使用機として幅広く使われている。
なお、航空学生が使用するT-4は白地に赤いラインが入っていることからレッドドルフィンと呼ばれていたが、2022年にレッドインパルスに変更された。
ウィングマークへの一歩
航空自衛隊において、戦闘機パイロットを目指す航空学生は、初等訓練のプロペラ飛行機であるT-7を経て、このT-4を使って中等練習過程へ入る。ここでの試験に合格した者のみ、戦闘機への搭乗が許されるウィングマークを取得し、晴れて戦闘機パイロットへの道が開けるのである。
ブルーインパルス
現在ブルーインパルスはT-4を使用している。白地に青いラインを入れたカラーリングで各地の空を飛んでいる。使用しているT-4は専用に製造されたもので、ラダーの可動角やリミッターの調整などが行われている。正式には戦技研究仕様機と呼ばれている。
当初は最初から戦技研究仕様として製造された機体が11機あったが、現在これらは全て退役しており、通常のT-4から改造した機体に全て入れ替わっている。
一応、T-4のパイロット全般を指す言葉だが、特にT-4ブルーインパルスのパイロット達の事をドルフィンライダーと呼ぶ。