ドージマムテキ
どーじまむてき
日本の競走馬。
主な勝ち鞍は京王杯オータムハンデキャップ(1995年)など。
1990年
3月31日、北海道新冠町の堂島牧場に誕生。
父・テュデナムキングは18戦1勝で種牡馬になったテュデナムの仔。
母・ドージマビクトリーは下総御料牧場の基礎輸入牝馬・星旗(フェアリーメイデン)の血を牝系で引いていた。
1992年
ドージマビクトリーを管理した戸山為夫厩舎に入厩。
1993年
1月6日、京都競馬場の新馬戦(芝1400m)でデビューし1着。
3月7日、弥生賞(GⅡ)に出走しウイニングチケットの10着に敗れる。
4月18日、皐月賞(GⅠ)に出走しナリタタイシンの15着に敗れる。
5月9日、京都4歳特別(GⅢ)に出走しケイウーマンの2着に敗れる。
5月29日、戸山為夫調教師が病死。鶴留明雄厩舎に仮移籍。
5月30日、東京優駿(GⅠ)に出走しウイニングチケットの17着(18頭立て)に敗れる。以降、スプリント~マイル路線に転ずる。
9月、戸山為夫厩舎のスタッフだった森秀行が新たに厩舎を開き、ドージマムテキは森秀行厩舎へ引き取られる事となった。
12月19日、スプリンターズステークス(GⅠ)に出走しサクラバクシンオーの6着に敗れる。
1994年
2月6日、東京新聞杯(GⅢ)に出走しセキテイリュウオーの8着に敗れる。
4月3日、ダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)に出走しサクラバクシンオーの2着に敗れる。
11月13日、高雄ステークス(1500万下)に出走しアルファルドの3着に敗れる。
1995年
5月20日、府中ステークス(1500万下)に出走しトロットサンダーの12着に敗れる。
7月16日、福島民報杯(オープン)に出走しホクトフィーバスの2着に敗れる。
8月13日、BSNオープン(オープン)に出走し1着。2年半ぶりの勝利となった。
9月10日、京王杯オータムハンデキャップ(GⅢ)に出走し1着。ジェニュインとヒシアケボノをゴール前で差し切り重賞初制覇となった。
10月8日、毎日王冠(GⅡ)に出走しスガノオージの2着に敗れる。
11月19日、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)に出走しトロットサンダーの6着に敗れる。
12月10日、フジヤマケンザンの帯同馬として沙田競馬場へ遠征。香港国際ボウル(GⅢ)に出走しモノポライズの5着に敗れる。フジヤマケンザンは香港国際カップ(GⅠ)で1着。
1996年
3月3日、マイラーズカップ(GⅡ)に出走しニホンピロプリンスの9着に敗れる。
11月17日、マイルチャンピオンシップに出走しジェニュインの4着に敗れる。
12月8日、シーズグレイスの帯同馬として沙田競馬場へ遠征。香港国際ボウルに出走しモノポライズの2着に敗れる。シーズグレイスは香港国際カップで9着。
1997年
3月2日、マイラーズカップに出走しオースミタイクーンの9着に敗れる。
8月10日にドーヴィル競馬場(フランス)で行われたモーリス・ド・ギース賞(GⅠ)に出走を計画していたが頓挫。
9月28日、セントウルステークス(GⅢ)に出走しオースミタイクーンの3着に敗れる。
10月25日、スワンステークス(GⅡ)に出走しタイキシャトルの14着に敗れる。
1998年
2月22日、淀短距離ステークス(オープン)に出走しセンタームービングの13着に敗れる。
5月24日、高松宮記念(GⅠ)に出走しシンコウフォレストの7着に敗れる。
7月21日、シーキングザパールの帯同馬としてフランスへ遠征。
8月9日、シーキングザパールがモーリス・ド・ギース賞に出走し1着。日本調教馬初の海外GⅠ勝利となった。
12月20日、スプリンターズステークスに出走しマイネルラヴの13着に敗れる。力の衰えが目立ってきたが、翌年も現役続行となる。
1999年
1月31日、フェブラリーステークス(GⅠ)に出走しメイセイオペラの16着に敗れる。
5月23日、高松宮記念に出走しマサラッキの16着に敗れる。
8月15日、札幌日刊スポーツ杯(オープン)に出走しコウチエラミーの6着に敗れる。
9月、アグネスワールドの帯同馬としてフランスへ遠征。
10月3日、ロンシャン競馬場でアベイ・ド・ロンシャン賞(GⅠ)に出走し、アグネスワールドの13着に敗れる。森厩舎は前年に引き続き仏GⅠ勝利。
2000年
6月、アグネスワールドの帯同馬としてイギリスへ遠征。
6月20日、アグネスワールドと共にアスコット競馬場でキングススタンドステークス(GⅡ)に出走しニュークリアーディベイトの22着に敗れる。アグネスワールドは2着。
7月13日、アグネスワールドがニューマーケット競馬場でジュライカップ(GⅠ)に出走し1着。
8月6日、フランスへ渡りモーリス・ド・ギース賞に出走しボールドエッジの11着に敗れた。
2001年
4月18日、登録を抹消され現役引退となる。故郷の堂島牧場へ帰り、功労馬として繋養される。
2010年
11月7日、死亡(20歳)。
馬は群れで生活する動物のため、海外遠征においては長距離の移動、検疫などを1頭だけで過ごすことがストレスとなり、レースで実力を発揮出来ない事が多い。
そのため、遠征先でリラックスして過ごせるよう親しい馬を一緒に連れて行くようになった。
ドージマムテキは年長で落ち着きがあり、トレーニング・パートナーとしても十分な能力を備えていたため、帯同馬としては最適であった。