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アグネスワールド

あぐねすわーるど

アメリカ合衆国生産、日本調教の競走馬・種牡馬。日本調教馬として初めてイギリスのGⅠレースに勝利した。
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概要編集

アメリカ合衆国生産日本調教競走馬種牡馬

主な勝ち鞍はアベイドロンシャン賞(1999年)、ジュライカップ(2000年)、CBC賞(1999年)など。日本調教馬として初めてイギリスGⅠレースに勝利した。

スピード能力に優れていたがコーナリングが苦手で、国内のGⅠは勝つことができなかった。海外GⅠの勝利は何れも直線コースのみのレースであった。


プロフィール編集

生年月日1995年4月28日
英字表記Agnes World
性別
毛色黒鹿毛
ダンジグ
ミステリーズ(母父:シアトルスルー
生産者カルメット・ファームケンタッキー州
馬主渡辺孝男吉田照哉との共同所有)
調教師森秀行栗東トレーニングセンター
競走成績20戦8勝
  • JRA:15戦5勝
  • 地方:1戦1勝
  • フランス:1戦1勝
  • イギリス:2戦1勝
  • アメリカ:1戦0勝

略歴編集

1995年

4月28日、ケンタッキー州レキシントンの名門牧場「カルメット・ファーム」で誕生。

父・ダンジグはサドラーズウェルズと並ぶノーザンダンサーの代表的後継種牡馬。母・ミステリーは4戦0勝ながらアメリカ三冠馬シアトルスルーを父に持っていた。

半兄にヒシアケボノ、甥にドバイディスティネーションリブレティストがいる。


1996年

キーンランド・ジュライセールで105万ドル(当時のレートで約1億円)で渡辺孝男に落札され、日本に輸入された。社台グループ代表・吉田照哉が共同馬主となる。


1997年

栗東の森秀行厩舎に入厩。

6月7日、武豊騎手を鞍上に函館競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビューし1着。

7月27日、函館3歳ステークスGⅢ)に出走しレコード勝ちで重賞初勝利。骨折により休養に入る。

12月7日、4ヶ月ぶりに復帰し、朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティステークス)(GⅠ)に出走。グラスワンダーの4着に敗れた。

12月29日、全日本3歳優駿GⅡ)でダートに初挑戦し1着。


1998年

1月18日、シンザン記念(GⅢ)に出走しダンツシリウスの2着に敗れた。骨折により休養に入る。


1999年

1月10日、1年ぶりに復帰。横山典弘騎手に乗り替わりガーネットステークス(GⅢ)に出走。ワシントンカラーの6着に敗れた。

2月21日、武豊騎手に乗り替わり淀短距離ステークスオープン)に出走。トキオパーフェクトの2着に敗れた。

4月25日、横山典弘騎手に乗り替わりシルクロードステークス(GⅢ)に出走。マイネルラヴの2着に敗れた。

5月23日、高松宮記念(GⅠ)に出走しマサラッキの5着に敗れた。

6月13日、武幸四郎騎手に乗り替わり安田記念(GⅠ)に出走。エアジハードの8着に敗れた。

7月17日、武豊騎手に乗り替わり北九州短距離ステークス(オープン)に出走。当時の芝1200mの日本レコードを更新して1着。

8月29日、小牧太騎手に乗り替わり小倉日経オープン(オープン)に出走し1着。

9月、ドージマムテキを帯同馬にフランス遠征へ向かう。武豊騎手が騎乗する事となった。前年のシーキングザパール同様、ニューマーケット競馬場(イギリス)で調教を積む。9月30日にフランスへ移動。

10月3日、ロンシャン競馬場でアベイドロンシャン賞(GⅠ)に出走し1着。GⅠ初勝利が海外GⅠとなった。

11月27日、帰国後初戦のCBC賞(GⅡ)で1着。

12月19日、スプリンターズステークス(GⅠ)に出走しブラックホークの2着に敗れた。


2000年

3月26日、高松宮記念に出走しキングヘイローの3着に敗れた。国内には当分出走できるレースがないため、海外遠征する事となる。

6月、ドージマムテキを帯同馬としてイギリスへ遠征。昨年に続き、ニューマーケット競馬場を拠点とする。

6月20日、アスコット競馬場(イギリス)でキングススタンドステークス(GⅡ)に出走しニュークリアディベートの2着に敗れた。

7月13日、ニューマーケット競馬場でジュライカップ(GⅠ)に出走し1着。日本調教馬として初のイギリスGⅠ勝利となった。

10月1日、帰国後初戦のスプリンターズステークスではダイタクヤマトの2着に敗れた。ブリーダーズカップを引退レースとする事となり、アメリカへ向かう。

11月4日、チャーチルダウンズ競馬場BCスプリント(GⅠ)に出走しコナゴールドの8着に敗れた。

12月6日、JRAの登録を抹消し現役引退。


2001年

社台スタリオンステーション安平町)に繋養され、種牡馬となる。リース種牡馬としてイギリス、シャトル種牡馬としてオーストラリアでも供用された。良血のため初年度から105頭の繁殖牝馬を集めたが受胎率が低く、40%以下であった。


2004年

日本で生まれた産駒・カズサライン(母・カズサグリッター)が全日本2歳優駿(GⅠ)で勝利。


2005年

日本で生まれた産駒・アグネスジェダイ(母・ラッキーパイシーズ)が東京盃(GⅡ)で勝利。


2006年

オーストラリアで生まれた産駒・ワンダフルワールド(母・サクセステール)がコーフィールドギニー(GⅠ)で勝利。


2009年

種牡馬を引退し、新田牧場池田町)で余生を送る。


2011年

社台スタリオンステーションの功労馬厩舎へ移動。


2012年

8月20日、腰痛の悪化により起立が困難になり、安楽死処分となった(17歳没)。


余談編集

  • コーナリングが下手な事で知られるが、ペース配分も苦手で最初から全力でとばすため、長い距離は向いていなかった。森秀行調教師は「1200メートルでもちょっと長いかなというぐらい」と述べている。
  • 2ヶ国以上でGⅠを勝利した馬としては他にエイシンヒカリラヴズオンリーユーがいる。
  • 2019年、ディアドラナッソーステークスに勝利し、日本調教馬として2頭目のイギリスGⅠ勝利を挙げた。

関連タグ編集

98世代 JRA 競走馬

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