概要
長身(177cm)を活かしたフォームが特徴だったが減量が非常に厳しく、現役時代は体重管理に悩まされた。
来歴
1978年
父は元騎手・調教師の武邦彦。兄は武豊という競馬一家に生まれ育った。
幸四郎が生まれた直後に邦彦がインターグシケンで菊花賞3勝目を挙げたことから、邦彦は「菊三(きくぞう)」という名前を提案したが、妻から「落語家みたい」と却下された。
1994年
中学校を卒業し、日本中央競馬会競馬学校に入学(第13期)。同期には秋山真一郎、池田鉄平、板倉真由子、今村康成、江田勇亮、押田純子、勝浦正樹、田村宏之、仲田雅興、武士沢友治、松田大作、村田一誠がいた。
1997年
競馬学校を卒業。成績優秀だったため卒業時にアイルランド大使特別賞が贈られた。
JRA騎手免許を取得し、武邦彦厩舎所属となる。豊の弟という事もありメディアで大々的に取り上げられた。父からは「やめた方がいい。絶対豊と比べられるぞ?」と心配された。
3月1日、阪神競馬第1競走でメイショウユリヒメに騎乗しデビュー。13頭中6着。
3月3日、11番人気のオースミタイクーンでマイラーズカップ(GⅡ)を制し初勝利が重賞制覇という離れ業をやってのけた。現在もJRA史上最年少(18歳)重賞勝利記録として残っている。兄・豊も同日にランニングゲイルで弥生賞を制しており兄弟同日重賞制覇となった。
2000年
10月15日、10番人気のティコティコタックで秋華賞を勝利しGⅠ初制覇。
2003年
5月11日、9番人気のウインクリューガーでNHKマイルカップを制した。
2006年
10月22日、8番人気のソングオブウインドで菊花賞を制し牡馬クラシック初勝利。父・邦彦との親子2代菊花賞制覇、そして兄・豊との兄弟菊花賞制覇。
その後、ケガの影響で騎乗機会、勝利数が徐々に低下。
2009年
1999年から続いていた重賞勝利が途切れた。
2011年
年間7勝に終わる。酷いスランプに陥っていたが、子供の頃から幸四郎を知る松本好雄オーナー(冠号「メイショウ」)は見捨てず、メイショウマンボを任される。
2013年
5月19日、9番人気のメイショウマンボで優駿牝馬を勝ち、5年ぶりの重賞勝利となった。兄・豊との優駿牝馬兄弟制覇も記録。
10月13日、メイショウマンボで秋華賞(10月13日)を勝つ。
11月10日、メイショウマンボでエリザベス女王杯を勝つ。メイショウマンボは年間GⅠ3勝。
2014年
騎乗数は倍以上に増えたが、メイショウマンボの不調もあり再び成績は低下した。
調教師転身
2016年
父・邦彦が死去。それを受けて調教師試験を受験し合格。
2017年
騎手を引退。引退後1年間は藤沢和雄厩舎(美浦トレーニングセンター)で技術調教師として研修を兼ねて運営を学んだ。
2018年
3月1日、栗東トレーニングセンターで厩舎を開業。南井大志調教助手が南井克巳厩舎から移籍して番頭格となった。
2019年
3月16日、ハッピーアワーがファルコンステークスを勝ち、調教師として重賞初制覇。
主な管理馬
- ハッピーアワー:2019年ファルコンステークス
- ウォーターナビレラ:2021年ファンタジーステークス
- セキフウ:2021年兵庫ジュニアグランプリ、2023年エルムステークス
- ライトクオンタム:2023年シンザン記念
余談
- TVの健康バラエティー番組に出演した時に骨密度を測定すると、無理な減量からか「70~80代の骨密度」という結果が出てしまい、「今すぐにでも生活を改善したほうがいい」と意見された。これを見たファンからは「ボクサーの減量より辛い」「文字通り身を削って馬に乗っている」など、心配する声があがった。本人は「仕方ない」と答えていた。
- TV番組で競馬学校第13期生が教官から「5期と7期は本当に悪かった。お前らはそれ以来や!」と言われていたのを明かし、1期下の池添謙一から「幸四郎さんは裏番でしたから」とバラされていた。
- 2011年8月19日、京都市の飲食店でトラブルとなり、顔などを殴られ左顎を骨折する重傷を負った。復帰には12月までかかった。