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プロフィール

生年月日1953年1月17日
出身地愛知県刈谷市
開業年2000年
所属栗東トレーニングセンター
騎手時代の所属厩舎工藤嘉見厩舎(1971年~1977年)⇒フリー(1977年~1978年)⇒宇田明彦厩舎(1978年~1994年)⇒星川薫厩舎(1994年)⇒フリー(1994年~引退)
血液型O型
身長158cm
体重52kg
騎手時代の通算勝利数1,521勝(JRA)、18勝(NAR)
調教師時代の通算勝利数446勝(JRA)、45勝(NAR)

概要

JRAの元騎手・元調教師。騎手時代は激しく馬を追う闘志あふれる騎乗スタイルから「剛腕」、「ファイター」などと呼ばれた。

長男の南井大志は元騎手。2012年より南井克巳厩舎で調教助手となったが親子関係は良好とは言えず、2018年より武幸四郎厩舎へ移籍。

来歴

1953年

1月17日、京都市伏見区で誕生。

1957年

愛知県刈谷市に転居。万燈祭りで行われる古式競馬に惹かれた。

1968年

中学校を卒業して豊明市にある中京競馬場厩舎に通い、工藤嘉見調教師に声を掛けられ、馬事公苑の第19期長期騎手課程を受講。同期には中野栄治田所秀孝などがいた。

1970年

長期騎手課程を卒業し、工藤嘉見厩舎の見習騎手となる。

1971年

3月6日、騎手としてデビューする。中京競馬場第4レースにタイセイキングで出走し9着だった。第6レースでカミノサブロウへの騎乗で初勝利。1年目から20勝を挙げた。

1973年

2月4日、キョウエイアタック中日新聞杯を勝ち、重賞初勝利。

ライトロングに騎乗し、4月15日に皐月賞(11着)、5月27日に東京優駿(21着)へ出走。3年目で八大競走出走を果たし、年間46勝を挙げる。

1977年

工藤厩舎から独立してフリーとなるが、翌年から成績が下降し、大舞台に恵まれず、勝利数も上積みがないことから引退も考えた。

1978年

スランプの最中、宇田明彦調教師に声をかけられ、宇田厩舎所属となった。南井は「大変ありがたいことだった」「騎手の楽しさがわかるようになった」と語っている。宇田厩舎の挙げた重賞10勝のうち8勝は南井によるものだった。

1987年

小原伊佐美調教師からタマモクロスの騎乗を依頼され、これが南井にとって転機となった。当時のタマモクロスは条件馬にすぎなかったが、秋にはオープンに昇級。12月6日、鳴尾記念で重賞初挑戦、1着となる。

1988年

タマモクロスは京都金杯(1月5日)・阪神大賞典(3月13日/同着)・天皇賞(春)(4月29日)・宝塚記念(6月12日)・天皇賞(秋)(10月30日)と重賞6連勝・GⅠ3連勝を達成。ジャパンカップ(11月27日)・有馬記念(12月25日)では2着となり、ダイナカーペンターオグリキャップペイザバトラーらと激闘を繰り広げた。南井も自己最高の年間110勝を挙げる。

1989年

9月17日、オールカマーオグリキャップの主戦騎手として騎乗し1着。以後、年末まで毎日王冠(10月8日/1着)・天皇賞(秋)(10月29日/2着)・マイルチャンピオンシップ(11月19日/1着)・ジャパンカップ(11月26日/2着)・有馬記念(12月24日/5着)でイナリワンスーパークリークホーリックスらと激闘を繰り広げた。

11月5日、バンブービギン菊花賞を勝った。

1990年

4月15日、ハクタイセイにテン乗りし、皐月賞を勝った。

1994年

1月19日、宇田師が肝臓癌のために死去。所属厩舎が解散し、南井は星川薫厩舎に移籍するが、4月よりフリーとなる。南井は調教時、宇田師の恩を忘れないよう宇田厩舎の「黄色・黒丸」の調教服を使用した。

主戦を務めるナリタブライアンが史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬となり、南井も三冠騎手となる。ナリタブライアンで12月24日の有馬記念も勝った。

11月27日、マーベラスクラウンでジャパンカップも勝って年間GⅠ5勝を達成(2005年に武豊が更新するまで1位タイ記録)。同年のJRA賞特別賞を受賞。

1997年

11月2日、マチカネフクキタル菊花賞3勝目を挙げ最多タイ記録。

1998年

7月12日、サイレンススズカにテン乗りして宝塚記念で勝利し、サイレンススズカ唯一のGⅠ勝利となる。自身最後のGⅠ勝利ともなった。

1999年

調教師免許を取得し、騎手引退が決まる。

2月28日、最終騎乗となった白川郷ステークスを勝ち、有終の美を飾った。

2000年

栗東トレーニングセンターに厩舎を開く。調教服は宇田厩舎時代の「黄色・黒丸」とした。前年解散した工藤厩舎の管理馬を引き継ぐ。

11月25日、工藤師から引き継いだウイングアローで第1回ジャパンカップダート(現在のチャンピオンズカップ)を制した。これが南井厩舎唯一のGⅠ勝利となる。

2004年

10月30日、タマモホットプレイスワンステークスを勝利。

2006年

2月5日、タマモホットプレイでシルクロードステークスを勝利。

2013年

2月3日、タマモベストプレイきさらぎ賞を勝利。

2018年

2月4日、サトノフェイバーできさらぎ賞を勝利。

2021年

調教師としてJRA通算400勝を達成。

2023年

2月28日、定年を迎え調教師を引退。調教師としては重賞13勝。

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JRA 騎手 調教師

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  • オグリキャップと5人の名トレーナー

    ファイターは三冠ウマ娘に脳を焼かれなかったのか?

    このシリーズはずっと放置していたんですが、何とか完結できるようにします。というわけで今回はオグリとファイター・南井さんとそのお手ウマたちのお話。 長らくネタが思いつかなくて悩んでいましたが、'94年末競馬回顧という昔の特番で井崎さんや福原アナと談笑しながら鍋を突っついている南井さんを見て「これだ!」と一気に書き上げました(笑) 南井オグリはイナリワンとの毎日王冠といい、バンブーメモリーとのマイルCSといい息つまる接戦が多い印象があります。だからか『岡部や武が主戦だったらもっと楽に勝ってた』なんて言う方も多少なりともおりますがあのマイルCSの涙ながらのインタビュー観てるとね....このコンビもいいコンビだったんだと僕は思います(当時に見ていた方と後追いの僕とでは、見方が変わってしまうのはどうしようもありませんね(笑)) キャラ崩壊、ウマ×騎手要素あります。苦手な方はご注意を。
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  • シャドーロールの誓い

    以前、某まとめサイトの掲示板で南井×ブライアンも良いよねってコメントを見てブライアンと同じく彼のお手馬であるタマモも交えたら面白いかなと思って書きました
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    ナリタブライアンの阪神大賞典。95年も96年もどっちも見応えがあって好きです。95年の暴力的な強さを見せつけて7馬身ちぎって勝つブライアンも、96年の意地でマヤノトップガンにアタマ差競り勝つブライアンもかっこいいです。 朝日杯を勝って名乗りを上げ、最後は月桂樹の名を持つ同期のサクラローレルに交わされていくブライアンの競走生活はなんとも哀愁を感じます(高松宮杯出走?そんなものないですよ(笑)) 96年の方の実況は杉本アナ版と宮本アナ版の2つが有名ですが今回は後者を引用しています。(僕の好みはこっちだから。) 『ウマ娘 スターブロッサム』にもナリタブライアンとそのトレーナーさんが出ましたね!苗字が”阿武隈”で3文字だからどちらかと言うと南井さんより大久保調教師因子が強いのでしょうかね? 決して批判するわけではないのですが、故障後のブライアンを巡るローテーションや春天後の高松宮杯出走など取り上げるにはなかなか苦労しそうな話題でどんな風に調理するのか興味深いです。 ウマ×騎手、キャラ崩壊あります。苦手な人はご注意を。
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