概要
略歴
1953年3月31日、大分県中津市に誕生。父の要は日本各地を転々としており、その後、大井競馬場の調教師兼騎手となり、栄治は東京で育った。
1969年、品川区立鈴ヶ森中学校を卒業し、馬事公苑の第19期長期騎手課程を受講。同期には南井克巳、田所秀孝などがいた。
1971年、中央競馬の騎手としてデビュー。東京競馬場の荒木静雄厩舎に所属。3月6日に初騎乗、4月4日に初勝利。
1974年、トウコウエルザの主戦となり好成績をあげるが、嶋田功騎手の頼みで乗り替わりとなり、嶋田はオークス三連覇を達成した。
1981年、フリーとなる。自己最多の27勝。
1984年2月5日、父・要が亡くなる。シンボリヨークで東京新聞杯を勝利。
1986年2月16日、長男・翔が誕生。ビンゴチムールで目黒記念を勝利。
1988年、体重管理が厳しくなり、年間9勝しか挙げられなかった。
1989年、小倉で酒気帯び運転で事故を起こし、信頼を失った中野には騎乗依頼が無く引退寸前であったが、加藤修甫調教師が中野に声をかけ、管理馬アイネスフウジンの主戦騎手とした。12月17日の朝日杯3歳ステークス(GⅠ)でアイネスフウジンが勝利し、中野はデビュー18年目でGⅠジョッキーとなる。
1990年5月27日、東京優駿(GⅠ)でアイネスフウジンが勝利し、中野はダービージョッキーとなる。しかし、アイネスフウジンが脚部不安で引退すると再び中野の成績は下降する。
1992年、年間0勝に終わる。「年間勝利ゼロのダービージョッキー」としてテレビのドキュメンタリーに取り上げられた。
1995年、調教師免許を取得し、騎手を引退。通算成績3,670戦370勝、重賞16勝。
1996年3月、美浦トレーニングセンターで厩舎を開く。
2000年、管理馬トロットスターがCBC賞(GⅢ)を勝ち、重賞初勝利。
2001年、管理馬トロットスターが高松宮記念(GⅠ)を勝ち、GⅠ初勝利。トロットスターはスプリンターズステークス(GⅠ)も制した。
2015年、管理馬ノットフォーマルがフェアリーステークス(GⅢ)で1着。
2024年をもって調教師を定年退職の予定。