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福永祐一

ふくながゆういち

日本中央競馬会(JRA)・ 栗東トレーニングセンター所属の調教師・元騎手(1976~)。騎手として平成時代から令和時代に掛けて長らく活躍し、松山弘平ともども令和初の三冠ジョッキーに輝いた。
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概要

1976年12月9日生まれ、滋賀県栗太郡栗東町(現・栗東市)出身。身長160cm、体重51kg。血液型B型。愛称は「祐一(媒体によっては『ユーイチ』または『ユウイチ』とも表記)」、「いっくん」、「祐ちゃん」、「祐くん」、「福永先生」。
「天才」と呼ばれ一世を風靡しながら、落馬事故で無念の引退を余儀なくされた悲運の名騎手・福永洋一の息子。それ故に中学2年生の時に騎手になると決めた際は母親から猛反対されたが説得し、1993年、日本中央競馬会(JRA競馬学校の騎手課程に第12期生として入学した。

福永が入学した騎手課程第12期の面々は、福永の父洋一が岡部幸雄柴田政人伊藤正徳といった名手が揃った馬事公苑第15期長期騎手講習(いわゆる「馬事公苑花の15期生」)の出身だったこともあり、それになぞらえて「競馬学校花の12期生」と称された。
このグループの出身者として著名な人物としては、福永の他にもテイエムオペラオーの唯一無二のパートナーとして知られる和田竜二、JRA初の双子騎手として知られる柴田大知柴田末崎(現調教助手)兄弟、JRA初の女性騎手の一人で引退後は競馬評論家・解説者として活躍している細江純子などがいる。

2013年3月に元フジテレビアナウンサー松尾翠と結婚。3人の子供を授かっている。

2022年12月8日、2022年度の調教師試験に合格。規定に従い、2023年2月25日のリヤドダートスプリントのリメイクで3着となったのを最後に、騎手を引退した。

経歴

デビューとキングヘイロー

1996年に競馬学校を卒業すると、同年3月にデビュー。いきなり2勝を挙げると、97年7月に川崎競馬場で初重賞制覇。早くも「天才二世」と騒がれるようになった同年、キングヘイローと組んで東京スポーツ杯3歳ステークス(現東京スポーツ杯2歳ステークス)を勝利して中央重賞を初制覇し、そのまま1998年のクラシック三冠路線に乗り込んだ。
しかし、皐月賞と菊花賞は横山典弘(セイウンスカイ)に、日本ダービーでは武豊(スペシャルウィーク)の前に惨敗。特にこれが初挑戦となった日本ダービーでは、顔面蒼白となって頭の中も真っ白の中で大逃げを打ってしまい、結果14着に終わった。
新人騎手が有力馬でいきなりのダービー挑戦等、今思えばそうなっても当然といえば当然なのだが、この騎乗は誰の目にもミスが明らかであり、騎手としての評価を大きく損ねてしまうことなった。天才というより新人としては十分上手い部類ではあったのだが、「父の名声で有力馬に騎乗しているに過ぎない」などという口さがない言葉も囁かれ、以後大一番では中々馬券で信用されなくなってしまう。
相棒とみられていたキングヘイローもこの頃には気性難持ちであることが明らかになり、新人には荷が重い存在であるとして主戦騎手をベテランの柴田善臣に変えられてしまった(一応、後を継いだ柴田は「自分や岡部さんはあくまで付属品であって、キングヘイローは祐一くんの馬だ」とフォローしている)。その後も福永はキングヘイローに騎乗する機会があったが、なかなか勝利を挙げることができなかった。

そして、2000年の高松宮記念にてキングヘイローは柴田を鞍上に悲願のGⅠ初勝利を果たしたが、よりによって福永自身は2着となったディヴァインライトと共に真後ろからそれを眺めることとなる。騎乗後の「一番いて欲しくない馬が前にいた」というコメントからもその無念さが窺える他、「負けて悔しかったレースは?」と聞かれた際にこの2000年高松宮記念を挙げている。
現在も事ある毎にキングヘイローへの思い入れの強さを覗かせる彼だけに、GⅠを勝たせてやれなかった後悔は非常に強い様子。先述のように負けて悔しかったレースとして2000年高松宮記念を選んだ際も、「自分が2着だったからっていうんじゃなくて、これまで自分が乗っていたのに、なんでGⅠを勝たせてあげられなかったんだろう、っていう悔しさです」「でも、馬のことを思って、『やっとタイトルがとれてよかったな』という気持ちもあって……複雑な心境でした」とコメントしている。

G1初制覇

そんな福永も1999年、桜花賞プリモディーネに騎乗して勝利し、初G1制覇。これ以降、着実に牝馬戦や短距離・マイル戦を中心としてG1勝利を積み重ね、2005年にはスペシャルウィークの娘シーザリオに乗り、オークスを制覇。同じコンビでアメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を達成した。さらには区切りの年間100勝も達成、このころには堂々たる一流騎手に成長していた。
13年にはエピファネイア菊花賞を、ジャスタウェイ天皇賞(秋)を初制覇。

しかし、日本ダービーだけは、ワールドエースリアルスティールといった有力馬に乗りながらも勝てず仕舞いが続いていた。中でも2013年、エピファネイアで挑んだダービーでは、ゴール手前で武豊が騎乗するキズナに大外から差されて2着に敗れるという屈辱を味わった。それらの印象もあってか、この時点ではまだまだ「大事な時にポカをやらかす」・「クラシック三冠レースでは福永は買わない」といった評価が抜けていなかった。
父・福永洋一はダービーに勝つことなく(最高で3着だった)落馬事故でターフを去っている為、ダービーに勝つ事は「福永家の悲願」でもあったが、その日は遂に来た

悲願のダービー制覇~念願の三冠ジョッキーへ


2018年5月27日、第85回日本ダービー。キングヘイローでダービーに挑戦してから20年、19回目のダービーに、ワグネリアンで挑んで優勝。昭和からの悲願を平成最後のレースで成就させた。
ちなみに、ダービー初制覇までの所要回数19回は、父の洋一と同期の柴田政人と並ぶ最多数である。
そして、この悲願達成で憑き物が落ちたかのように快進撃が始まる。 

2019年にかつての相棒・キングヘイローが他界するが、その数日後に開催された高松宮記念にてミスターメロディで制覇。その時の着順は奇しくも「3-4-7-13-5(さよなら、キングヘイロー号)」となっていた。

2020年4月19日、第80回皐月賞コントレイルで制覇して、史上11人目のクラシック完全制覇を達成。そしてコントレイルはこの勢いのまま日本ダービーと菊花賞も無敗で勝利し、史上8頭目の三冠馬(及び史上3頭目の無敗の三冠馬)となり、福永も三冠ジョッキーの仲間入りを果たした。
ちなみにこの時福永は43歳で、三冠ジョッキーとしては最年長の達成であった(ちなみに最年少は2011年にオルフェーヴルに騎乗して32歳で達成した池添謙一。なお牝馬三冠も含めるならばコントレイルと同年にデアリングタクトに騎乗して史上初無敗の牝馬三冠を成し遂げた松山弘平騎手の30歳が最年少であり、驚くべきことに同じ年に史上最年長と最年少の三冠ジョッキー記録が樹立された訳である)。

2021年にはワールドプレミア天皇賞(春)を初めて勝利。有馬記念を勝てば八大競走完全制覇というところにまでこぎ着ける。
また、シャフリヤールで日本ダービーを勝利し、騎手として史上3人目のダービー連覇を達成した。都合、初制覇を含め4年で3回ダービーを制覇していることとなる。これは現在ダービー勝ち数トップ(2022年現在、6回)の武豊に迫るハイペースだった。
更には、キングヘイローの孫であるピクシーナイトと共に挑んだスプリンターズステークスにて、14年ぶりの3歳馬勝利という快挙を成し遂げた。インタビューでも「キングヘイローにようやく恩返しできた」と語った。

相次ぐ不運と転機

その後、福永はピクシーナイトと共に香港スプリントに挑戦する。しかし、第4コーナーで先頭を走っていたアメージングスターが転倒、ピクシーナイトがその落馬に巻き込まれて転倒し、福永騎手も落馬してしまった。幸い人馬ともに命に別状こそなかったものの、福永は左鎖骨を骨折した(ピクシーナイトは左前脚橈側手根骨を剥離骨折)。
政府から新型コロナウイルス対策で帰国後14日間の自宅での隔離(通院目的の外出は可能)が命ぜられていた分、有馬記念の騎乗が見送られるなど日程に比較的余裕が生まれていたことから、2022年2月中を目標に当面の間リハビリに専念した。

  • ちなみに事故直後、自らの足で救急車に乗り込んだようだが、福永によると「この時の記憶がない」らしく、恐らく脳震盪の状態だったのではないかと推察している。

2022年に入ると、騎手として初のダービー制覇を成し遂げた相棒であるワグネリアンが急死するなど不運が更に相次いだ。この療養期間中、福永の心の奥で一つの考えが強くなっていった。

このまま騎手を続けていては馬たちと長く向き合えないのではないだろうか。
 調教師になれば、今よりももっと長く馬たちと向き合えるようになるはずだ。
 騎手も続けたいけど、一通り勝ちたかったレースには勝てたわけだし、
 そろそろ騎手とは違う立場で競馬に関わってもいいのではないか。

福永は、予てより引退後のビジョンとして調教師転向を思い描いていたが、今回こそが調教師を目指す絶好のチャンスと捉え、戦線復帰を目指しつつも調教師試験の受験を決意する。

そして2022年2月5日、中京競馬場第3レースで約2か月ぶりに復帰。同日のメインレースであるアルデバランステークスをスマッシングハーツに騎乗して勝利し、復帰後初勝利。さらに2月20日にはGIフェブラリーステークスに昨年同レース覇者カフェファラオとの初コンビで参戦し優勝。テン乗りでカフェファラオを連覇に導いた。 
その後、ジオグリフに騎乗し皐月賞を2年ぶりに制覇。同馬の二冠とともに騎手史上初となる日本ダービー三連覇を目指してダービーでも騎乗したが、ドウデュースを駆る武豊のダービー6勝目記録の前に泡と散った。

調教師試験合格~最後の有馬挑戦

2022年12月、福永は難関とされる調教師試験を一発で合格し、念願の調教師免許を獲得した。
これにより、騎手免許と調教師免許は同時に所有できない(いわゆる調騎分離)という規則に従い、騎手免許の更新期限が来る2023年2月末を以て騎手引退が決定した。
2022年12月25日、クリスマス開催の有馬記念が最後のグランプリであり、これまでグランプリに勝ったことが無い福永にはこれがグランプリ制覇(及び旧八大競走完全制覇)最後のチャンスとなった。この大一番に福永は同年の菊花賞2着馬であるボルドグフーシュに跨り出走。

向こう正面で最後方から追込をかけ、大外から全て悉く抜き去りにかかった…のだが、好位から圧倒的な末脚で突き抜けたクリストフ・ルメール駆るイクイノックスの2着に終わった(上がりタイムは2位クラス。なおボルドグフーシュは上がり1位だった)。
そう、イクイノックス。父キタサンブラック、母シャトーブランシュ、そして母父キングヘイローという血統を持つこの馬が、あの日ディヴァインライトに乗った時と同じ勝負服を着た福永の、最後のグランプリ獲得チャンスを阻んだのである。彼の物語の最後にも、キングヘイローの影が在った。

2023年のラストライドへ

2023年2月末日を以て騎手として現役引退が決まっている中、中央の国内G1ラストランとなる2月19日のフェブラリーステークスではオーヴェルニュと前年の帝王賞以来のコンビで挑んだが、コース上では折り合いを欠いて10着と惨敗し、昨年度のテン乗り連覇から別馬での連覇で有終の美を飾ることはできなかった。

また、2月25日にサウジアラビアで開催されるリヤドダートスプリント(G3)へリメイクに乗っての出走を発表したため、これが福永の現役生活最後の騎乗となる。
本番では直線でいい位置につけて追い出すものの、同タイミングで抜け出しを図ったランフランコ・デットーリ騎手のエリートパワーには追いつけず3着に終わった。
しかし、日本勢では最上位となり、優勝こそできなかったものの結果を残すラストランとなった。

帰国後は3月4日のチューリップ賞が行われる阪神競馬場で引退式が行われ、チューリップ賞の本馬場入場では、競走馬時代に騎乗経験のある誘導馬ミツバに騎乗した。
引退式のスピーチにおいては、涙ながら改めて家族や周囲、そしてファンへの感謝を示した。

福永洋一の息子として生まれてこなければ、騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在がなければ、騎手の道を志すこともなかったと思っています。母親に対しては、まったく競馬に興味のなかった自分が急に騎手になるということで驚かせてしまい、つらい思いをずっと27年間もさせ続けて、こんな親不孝はないなと思っていましたが、最後はケガもありましたが健康な状態で引退できて、ようやく長きにわたった親不孝を終えることができて、ホッとしていますし申し訳なく思っています。
騎手としての僕は、福永洋一と北橋先生、その2人の作品だと思っています。ジョッキーとしては出来が悪くて、北橋先生には迷惑を掛けっぱなしでしたが、沢山の人に支えてもらったおかげで、ここまで勝利を積み上げることができました。僕のことを『努力の天才』と言って下さるファンの方もいますが、自分が努力できたのは、沢山のファンの方々が支えてくれて、その想いに応えるためには頑張ることしかできませんでした。本当はもっと勝たなきゃならないぐらい応援してもらっていましたが、思うように勝てなかったこともあり、応援してくださる方々の期待に本当に応えられたかどうかは今でも分かりませんが、一生懸命真面目に勤め上げることしかできませんでした。これからは調教師として一からスタートすることになります。ようやく2人の元から巣立つことができたのかなと思います。
デビュー以来多くのファンに応援してもらえて本当に幸せな騎手人生だったし、自分には過ぎた騎手人生でした。これからは調教師として応援してもらった皆様にまた応援してもらえるような馬を競馬場に送り出したいと思います。最高の騎手人生でした。本当にありがとうございました!

2023年度は厩舎開業の準備期間に充て、2024年3月より栗東に厩舎を開業する予定である。

人物像

ここまで騎乗歴に関することを記述しているが、実はテレビゲームマニア(キングヘイローも登場するウマ娘もプレイ済み)。幼少期は信長の野望三國志が好きだったほか、競馬ゲームも好きなようで、時間さえあれば実際のレースの合間を縫ってまでプレイしていたことから周りに呆れられたことも(騎手として大成することを目指す『ジーワンジョッキー』シリーズも「イメージトレーニングのため」と称してプレイしており、後に同シリーズに手綱の動きに関するアドバイザーとして携わった)。
コラムでの情報発信なども積極的に行っていたため、pixivでもそこそこイラストが投稿されている。

また、2016年7月に普段から仲のいい川田将雅と共にホリプロとマネジメント契約を締結(藤田菜七子も同年4月に契約締結)した為、メディアへの出演も多い。
GIレース前にはテレビ番組のインタビューでコースの特徴やレース展開の予測を披露してくれることがあるが、実際のレースでも解説・予測通りに展開することがありファンを驚かせている。こういった分析力の高さが、福永の活躍を支えているのだろう。


結婚観について

今でこそ親子で写真を撮ったり良い家庭(夫)と評される福永だが、結婚の数年前には独身貴族を貫いていたせいか、「3日目になったら帰ってくれんかな」「知らない誰かが家にいるの嫌だ」などテレビで発言していた。また、同期の和田竜二騎手の奥さんに「結婚なんて人生の墓場」(和田騎手の交際経緯は福永が関わっているのだが)としつこく言ったせいで出禁にされている。

なお、結婚後に同じ番組で再び質問された際は、先述した感情はいざやってみると無くなっており、幸せであると語った。
もちろん、他の番組で和田騎手から不評を買ったのは言うまでもない。 

騎乗スタイル 

序盤は控え、中団〜ラスト直線でごぼう抜きの末脚を見せる、通称・差し追込戦法が多く、先述のキングヘイローでダービー初騎乗した際を除いて、逃げ戦法を取ることはほとんどない。 
これは「一度逃げることを覚えてしまうと、その後の成長が見込めなくなる」からとし、特に2歳馬に騎乗する際には道中折り合いをつけることを覚えさせる目的で敢えて馬群に入れる戦法を取るようにしている。 
その結果、馬群を抜け出せずに晴れのデビュー戦で敗北を喫することも多いものの、このような若駒を育てるような騎乗を基本とすることから、競馬ファンからは「競馬を教える騎乗」としばしば称される。騎手を引退した2023年に至っては、後続に託した騎乗馬の多くが中央・地方重賞を総なめにし、引退から1ヶ月ちょっとしか経たない段階で「福永が降りた馬はよく走る」と称賛することが囁かれ出している。 

なお、的場均ほどではないが、馬にムチを打つことを嫌う傾向があり、追込みの際にも見せムチしか行わない場合も多かった。これは、孔子やキリストの「自分がされて嫌なことは人にもしない」「自分がして欲しいと思うことを人にしてあげなさい」という思いやりに関する教えからであるとしている。 
つまり、自分が馬だった場合、「何もしてないのにムチで叩かれたり、ちょっと暴れただけで怒られたら嫌」であり、それよりも「気分をおだてて走る気にさせてくれる」方がいいからこそ、突き詰めて身に付けた騎乗スタイルなのである。 

主な騎乗馬

※勝鞍は福永とコンビを組んだもののみ記載。
※海外重賞は()に開催国を、地方交流重賞は〈〉に開催地を記載する。

GⅠ勝利馬

'99桜花賞

'99朝日杯3歳ステークス、'01香港カップ(香港)、'02/'03クイーンエリザベス2世カップ(香港)

'02JBCスプリント〈盛岡〉

'02阪神ジュベナイルフィリーズ

'02朝日杯フューチュリティステークス

'04高松宮記念

'04優駿牝馬

'05桜花賞、'05NHKマイルカップ

'05優駿牝馬、'05アメリカンオークス(アメリカ)

'05朝日杯フューチュリティステークス

'06エリザベス女王杯
※2着入線だったが、1着に入線したカワカミプリンセスが進路を妨害したとして降着となり繰り上げで優勝。

'07優駿牝馬

'10阪神ジュベナイルフィリーズ

'11阪神ジュベナイルフィリーズ

'12安田記念

'13菊花賞

'13天皇賞(秋)、'14ドバイデューティーフリー(ドバイ)

'16高松宮記念

'16秋華賞

'17帝王賞〈大井〉、'18川崎記念〈川崎〉、'18JBCクラシック〈金沢〉

'18東京優駿

'19高松宮記念

'19安田記念

'19ホープフルステークス、'20皐月賞、'20東京優駿、'20菊花賞、'21ジャパンカップ

'21天皇賞(春)

’21東京優駿

'21スプリンターズステークス

'22フェブラリーステークス、'22マイルチャンピオンシップ南部杯〈盛岡〉

'22皐月賞 

彼での勝利が現役最後のG1制覇となった。 

キングヘイローとの縁

長きに渡るキャリアで数多くの結果を出してきた福永だが、新人の頃に乗ったキングヘイローは福永にとってもファンにとっても特別な縁や思い入れがある馬として挙がる。
戦績だけ見ればG1を取り逃すどころかダービー惨敗だの主戦交代した後にキングに負かされる等の苦い思い出の方が目立つのだが、

  • 人馬共に父親が圧倒的な実績を持つ天才だったが、不慮の事故・病気でその才を失った。 
  • 人馬共に初挑戦のクラシックで惜敗も惨敗も経験する。 
  • 人馬共に圧倒的な実力者の前に負け続けた上で覚醒。 
  • 2018年にウマ娘アニメ化にあたってキングヘイローが登場することが急遽決定し当時のエピソードに注目が集まり、そのアニメのダービー回の直後に開催された日本ダービーで福永の初ダービー制覇。 
  • そのダービー制覇の翌年にキングヘイローが逝去したが、数日後に開催された高松宮記念で今度は福永が1着となり弔い合戦を勝利で飾る。 
  • 2021年にウマ娘アニメ2期やアプリ開始でさらに知名度が上がった年のダービーも2連覇かつ通算3勝を達成。しかもこの頃から母父キングヘイローの馬が次々と実績を挙げて注目され、福永自身も母父キングのピクシーナイトでスプリンターズステークス勝利へ。 
  • 2022年、現役最後の有馬記念ではキングヘイローの孫の2着という、かつての2000年の高松宮記念を想起させる決着。 

…などなど、生まれや経歴の共通点、そしてメディア等でキングヘイローに注目が集まった直後の大一番やキングの子孫との絡みでのレース結果など、
長いキャリアと箇条書きマジックを考慮したとしてもここまで続けば特別な縁を感じざるを得ないコンビとなっている。
福永本人もダービー惨敗、高松宮記念など当時の話題を度々インタビュー等で挙げる事があり、「恩人と呼べるような馬」とも評している。

ウマ娘のキングヘイローとの関係 

アニメ一期にて主要キャラとして扱われた黄金世代たちは、まだ企画コンセプトが固まっていなかったこともあってか、キャラ付けの中で「主戦騎手の性格・エピソードを盛り込まれている」というものがあるのだが。 
他のメンバーが、「実馬の性格に騎手自身あるいは戦法に合わせた性格が付与」されているのに対し、キングだけはほぼ福永祐一そのものといっても過言ではなく「主戦騎手を美少女化して実馬の性格を申し訳程度に付与」されている感じになっている。 
先述の通り、ウマ娘のアニメ一期放映およびキングヘイローのウマ娘化が成された年にダービー初制覇を成し遂げたわけだが、奇しくも福永がダービー初制覇したその日に放映された回(史実ではスペシャルウィークの春秋連覇の前に7着に終わった第120回天皇賞秋を題材とした回)にて、キングヘイローは「ライバルが強いほど、私も強くなりますわ」というコメントを残していた。

関連イラスト

東京優駿


2018年、初の日本ダービー制覇を記念したイラスト。キングヘイロー(ウマ娘)、かつての相棒を祝福。

関連タグ

騎手 調教師 キングヘイロー コントレイル ホリプロ

福永洋一:実父で元中央競馬騎手。
高知競馬場でのトークショーの発言を機に福永洋一記念が創設され、祐一氏は今も関わり続けている。

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