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福永祐一

ふくながゆういち

日本中央競馬会(JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手である。
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概要

1976年12月9日生まれ 滋賀県栗太郡栗東町(現・栗東市)出身。

「天才騎手」と呼ばれながらも、落馬事故で引退を余儀なくされた福永洋一の息子。

1996年3月にデビューしていきなり2勝を挙げると、97年7月に川崎競馬場で初重賞制覇。早くも天才2世と騒がれ同年、キングヘイローと組んで中央重賞初制覇し、そのまま98年クラシック三冠に挑むも、横山典弘(セイウンスカイ)・武豊(スペシャルウィーク)の前に惨敗。特に日本ダービーでは、顔面蒼白になり、頭の中も真っ白の中で大逃げを打ってしまい、14着。
新人騎手が有力馬でいきなりのダービー挑戦等、今思えばそうなっても当然といえば当然なのだが、この騎乗は誰の目にもミスが明らかで、天才というより新人としては十分上手い部類だったが、父の名声で有力馬に騎乗しているに過ぎないなどと口さがない言葉も囁かれ、以後大一番では中々馬券で信用されなくなってしまう。
相棒とみられていたキングヘイローもこの頃には気性難が明らかになり、新人には荷が重い存在であると主戦騎手をベテランに変えられてしまう。

99年、桜花賞プリモディーネに騎乗して勝利し、初G1制覇。これ以降、着実にG1勝利を積み重ね、2005年にはスペシャルウィークの娘シーザリオに乗り、オークスを制覇。同じコンビでアメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を達成した。さらには区切りの年間100勝も達成、このころには堂々たる1流騎手に成長していた。


しかし、日本ダービーだけは、ワールドエースリアルスティールといった有力馬に乗りながらも勝てず仕舞いが続いていた。中でも2013年、エピファネイアで挑んだダービーでは、ゴール手前で武豊が騎乗するキズナに大外から差され敗北という屈辱を味わった。
父・福永洋一は、ダービーに勝つことなく落馬事故でターフを去っている為、ダービーに勝つ事は「福永家の悲願」でもあったが、その日は遂に来た。


2018年5月27日、第85回日本ダービー。キングヘイローでダービーに挑戦してから20年、19回目のダービーに、ワグネリアンで挑み、優勝。昭和からの悲願を平成最後のレースで成就させた。
ちなみに、ダービー初制覇までの所要回数19回は、父の洋一と同期の柴田政人と並ぶ最多数である。

2020年4月19日、第80回皐月賞コントレイルで制覇して、史上11人目のクラシック完全制覇を達成。そしてコントレイルはこの勢いのまま、日本ダービーと菊花賞も無敗で勝利し、史上8頭目の三冠馬となり、福永も三冠ジョッキーの仲間入りを果たした。

ここまで騎乗歴に関することを記述しているが、実はゲーム好きでコラムでの情報発信なども積極的に行っていたため、pixivでもそこそこイラストが投稿されている。

主な騎乗馬

※海外重賞は()に開催国を、地方交流重賞は〈〉に開催地を記載する。


'99桜花賞

'99朝日杯3歳ステークス、'01香港カップ(香港)、'02/'03クイーンエリザベス2世カップ(香港)

'04優駿牝馬

'05桜花賞、'05NHKマイルカップ

'05優駿牝馬、'05アメリカンオークス(アメリカ)

'06エリザベス女王杯
※2着入線だったが、1着に入線したカワカミプリンセスが進路を妨害したとして降着となり繰り上げで優勝。

'07優駿牝馬

'10阪神ジュベナイルフィリーズ

'13菊花賞

'13天皇賞(秋)、'14ドバイデューティーフリー

'16高松宮記念

'16秋華賞

'17帝王賞〈大井〉、'18川崎記念〈川崎〉、'18JBCクラシック

'18東京優駿

'19高松宮記念

'19安田記念

'19ホープフルステークス '20皐月賞 '20東京優駿 '20菊花賞 


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東京優駿


キングヘイロー(ウマ娘)、かつての相棒を祝福。

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騎手 キングヘイロー

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