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ハギノアレグリアス

はぎのあれぐりあす

ハギノアレグリアスは、日本の競走馬である。主な勝鞍は2023年の名古屋大賞典、2023年・2024年のシリウスS。
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プロフィール編集

生年月日2017年4月27日
欧字表記Hagino Alegrias
性別
毛色鹿毛
キズナ(JPN)
タニノカリス(JPN)
母の父ジェネラス(JPN)
生産者岡田スタッド
馬主日隈良江
管理調教師松田国英(栗東)→四位洋文(栗東)

牝系は3代前からの谷水牧場ゆかりの血統で、母タニノカリスは日本ダービータニノギムレットの姉。母が20歳というなかなかの高齢で産んだ11番仔である。


経歴編集

デビュー前編集

2018年のセレクトセール1歳において1600万円(税込1728万円)で落札される。


2歳時(2019年)編集

9月15日、阪神芝1800mの新馬戦でデビューする。1馬身ほど出遅れて最後方を追走し、直線も伸びずに6着に終わる。この時新馬戦を勝った馬こそが後に無敗三冠を達成するコントレイルであった。


3歳時(2020年)編集

8ヶ月の休養から復帰し2戦目はダート転向の未勝利戦。ここも出遅れるが促して中団後ろに付け、3角で手応えよく進出、直線で前を行く各馬を一気に交わし去り初勝利を飾った。

中1週で挑んだ1勝クラスは6着に終わる。

短期放牧を挟んで7月の1勝クラスは後のDG3勝馬メイショウカズサの2着も、そこから中1週の1勝クラスではスタートを改善し単勝1.7倍の圧倒的人気に応え先行策から快勝。

レパードSへ登録していたが、22頭が横並び(うち出走可能9頭)となる抽選に恵まれず出走できなかった。なお、この時一緒に除外された馬の中にはテーオーケインズやメイショウカズサなどの後の重賞馬もいた。

その後短期休養を挟んだ日進特別(2勝)で単勝1.9倍に応え横綱競馬で完勝。

更に白川郷S(3勝)では中京ダート1900m良馬場で1:56.3という好時計をマークし中団抜け出しOP入りを果たす。


みやこSで重賞初出走の予定だったが、1週前追い切りで両前肢に屈腱炎を発症。休養を余儀なくされた。松田師は「面積は小さいのでまた走れると思う」としたが、結果的に1年8ヶ月に及ぶ休養となってしまう。この間に、松田国英厩舎の解散を受けて四位洋文厩舎に転厩した。


5歳時(2022年)編集

1年8ヶ月の超長期休養が明け、復帰戦はアハルテケS(L)。長期休養明けとあって全く人気はなく、更に道中折り合いを欠きながら、前残りの展開を直線中団からじりじりと差を詰め4着に追い込んだ。

その後再び休養に入り、休養明けの太奉S(OP)で2年ぶりの勝利を挙げた。

そして、2年前調教中の屈腱炎で出走が叶わなかったみやこSに駒を進めることとなる。先行策から脚を伸ばすが4角捲って先頭に立ってきたサンライズホープをアタマ差捕らえられず初重賞挑戦2着で5歳時を終えた。


6歳時(2023年)編集

年明け初戦は東海S。1番人気に推され、好位でうまく立ち回ったが、逃げる3連勝中のプロミストウォリアに逃げ切られ2戦連続の2着となる。なお、このレースはスタート直後に落馬したヴァンヤールがカラ馬で1位入線しており、本馬はヴァンヤールに直線で大きく進路をカットされる不利を受けている。


そして名古屋大賞典へ向かう。ここでは近走のパフォーマンスと鞍上の川田将雅の絶好調ぶりから、12頭立てとはいえ単勝オッズ1.2倍というまさに圧倒的な1番人気に推された。

スタートはまずまず決めて先団の後ろに付ける。2周目向こう正面から3角あたりで進出を開始、4角大外を回して先頭に立ち、最内から伸びてくるケイアイパープルとの激しい叩き合いをハナ差制して念願の重賞初制覇を飾った。四位洋文厩舎は開業初の重賞勝利で、川田将雅は前々日の黒船賞、前日のダイオライト記念に続いて3日連続DG競走勝利を達成した。


帝王賞を目標とするが、ここで長期休養が響き賞金不足となってしまう。賞金稼ぎと叩きを兼ねて平安Sに参戦。五分のスタートから馬群の中で中団を進む。直線外に持ち出して差し脚を伸ばしたが、グロリアムンディを捉えられず2着に敗れた。


賞金加算はできたものの平安S終了時点では除外対象だったが、賞金上位のジオグリフ宝塚記念に参戦するイクイノックスの帯同馬として共に栗東トレセンに向かった関係で帝王賞を回避して宝塚記念に舵を切ったことにより、帝王賞に出走可能となった。

帝王賞ではまずまずのスタートから中団を追走。中盤で位置を押し上げ、直線入口で逃げるプロミストウォリアを交わして先頭に立つが、テーオーケインズメイショウハリオクラウンプライドの3頭に抜き去られ離された4着に敗れた。


その後休養を挟んでシリウスSで復帰。久々の芝スタート、大外枠など不安要素はあったものの、1番人気の支持を得る。

五分のスタートから中団追走。3,4コーナー中間から仕掛け、直線追い出されると先に抜け出したアイコンテーラーとの差を1完歩ずつ詰め、3/4馬身前に出てゴールイン。四位洋文厩舎は重賞2勝目でJRA重賞初勝利であった。


続くチャンピオンズカップでは中団追走から脚を使うが、今ひとつ伸びきれず6着まで。


7歳時(2024年)編集

シーズン初戦に選んだのはダイオライト記念。好スタートから2,3番手に付ける。1周目ホームストレッチで捲ってくるテリオスベルにも動じずに進めたが、直線一気に突き抜けたセラフィックコールに交わされ、テリオスベルにも届かずの3着となる。

続いてアンタレスSに出走。1番人気の支持を受け、前目から運ぶもスレイマンに差し届かずミッキーヌチバナに交わされ2戦連続の3着に甘んじる。

続く平安Sでは行き脚付かずに中団後方からの競馬となり、終いも今ひとつ冴えずに7着と敗れた。


その後帝王賞には出走せず休養に入り、前年と同じくシリウスSで秋始動戦を迎える。

2024年からの負担重量見直しも影響して59.5kgのトップハンデを背負っての出走となり、近走の不振に加えてこの負担重量が嫌われてか、OP勝ち以降GI以外では初めての2桁倍となる単勝10.8倍の5番人気であった。

好スタートから1番人気オメガギネスの後ろに付けて内ラチ沿いを進む。直線抜け出したオメガギネスに外から襲い掛かり、残り50m付近で交わすと1.1/4馬身差を付けて連覇を達成した。

負担重量59.5kg以上でのJRA重賞勝利は2002年京都記念を60kgで勝利したナリタトップロード以来22年ぶり、JRAハンデ重賞での59.5kg以上の勝利は1999年ダイヤモンドSメジロブライト以来であった。

また、3着はハンデ重量50.0kgのフタイテンロックで、馬券内の負担重量差9.5kgは2000年新潟記念の1着ダイワテキサス(59.0kg)と2着モンレーブ(49.0kg)の10kg差に次ぐ史上2位タイであった。なお、上記の2000年新潟記念および2位タイの1999年日経新春杯の差は牡牝間の2kg差が入ってのもので、同性間での9.5kg差は単独の最大差であった。


関連タグ編集

競走馬 20世代

コントレイル

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